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第一話「おにぎりと昼寝」 2/2

 さらに一刻が過ぎようという頃、事は起きた。

 竜魔だ。


「たたた、助けてくれお武家様っ!! 竜魔が、竜魔が出たんだ!」


 必死の形相で行く先から逃げ帰ってきたとみられる行商人の鹿族の男は、ここまでくれば安心だと言わんばかりに大荷物を降ろして、一息をつく。


 不文律として、丸腰の庶民は竜魔と戦うことを義務づけられてはいない。

 武家の統治支配にあたって、原則的に武具の携帯はごく限られた職業の者にしか許されぬ法令が敷かれているので、武装など護身用の短刀がせいぜいなのだ。


 一方、武家や特例的な職種のものは対抗手段を有するがために竜魔に対処することが責務となる。

 もっとも、それは然るべき準備あってのことで、突発的に単独で、竜魔に挑む義務などない。


「逃げましょう、奥……旦那様」


「な、なにをおっしゃるキツネさん!?」


 即断即決、しっぽを巻いて逃げようというウコンの判断に対して行商人はビックリ仰天だ。


「馬鹿な! このお武家様は白虎族でしょう! どうして逃げるのです!」


「この方は白虎族ではない、そう」


 苦し紛れにウコンは言い切る。


「でっかいしましまの猫です。ご覧なさい、この愛らしい寝顔を」


「もにゃもにゃ」


「……ネコ、なのか」


「ネコです」


「ネコ、か。そ、そんな気もしてきたぞ。頬にお弁当(米粒)くっつけてるし、威厳がないし」


 口からでまかせのわりに意外と説得力があった。

 白虎族という想像上の強面男子とおにぎりをたらふくたべて寝てるだけの男装女子では、同族といえどまったくと言ってよいほど別物なのは道理だ。


 しかし馬鹿という言葉は「馬と鹿の区別もつかないやつ」が由来だというが、今後は「虎猫」と書いて「バカ」でも通じそうだとウコンはひとり思った。


「わ、わかった! ネコならしょうがない! おれは逃げる! お武家様方も気をつけて!」


 脱兎のごとく、鹿の行商人は去っていく。

 それこそ逃げ足にかけては草食系のケモノビトの方が優れていることはままある。この男に限ってはどのみち助かるだろう。

 そう、行商人は元来た道を逃げ帰ることで一日がかりの山越えを無駄足にすることを嫌がったのだ。


 そうした庶民の考えをウコンは理解できる。

 庶民が銭や農作物を年貢として納め、武家に逆らうことなく従順に生きるのはこうした時のため。

 立場の上下はあれど、お互いに利用しあい、あるいは頼り合って生きている社会なのだ。


 しかし、ウコンは武士ではない。隠密だ。

 護衛すべき雪代ノ奥方を守るためならば、他のことを二の次三の次にするのが正しい選択だ。


「奥方様、こちらへ!」

「ん、むぅ……?」


 眠たげに目をこすり、寝ぼけている様子の奥方をどうにかこうにか引っ張って茂みの奥へ。

 まだ頭がぼんやりしている様子の奥方はウコンの事情説明を受け、流石に肝を冷やしたようだ。


「竜魔が、この山に!?」


「竜魔は災厄にして最悪です。これより“竜魔忍術”を用い、隠匿の陣を張ってやり過ごします」


「りゅ、竜魔忍術とは?」


「その名の通り、竜魔の力を用いた忍法です。お武家方の操る“竜魔刀”と同じく、敵の力を分析することで得られた産物になります」


「左様なものが……」


 雪代ノ奥方は腰に刷いた大小二つの“竜魔刀”を見やって、息を呑んだ。

 竜魔の力を宿した武具や術式なくして竜魔と渡り合うのは困難を極める。逆にいえば、竜魔刀を有する奥方には戦えるだけの最低限の備えはある。それはウコンも同じくだ。


 しかし、戦える可能性があるからといって、危険は未知数だ。


「小・木・隠・幻・前」


 忍術を使うべく、口は呪文を、手は印を組む。一連の所作と発声には意味がある。

 設計図面をように、記号化された情報を組み合わせて、対象や性質を明確化する。適切な手順を踏めば、忍術の要となる『竜玉』が明確化された命令通りに実現してくれる。


 特定の所作と発声、体系化した術式化によって『竜玉』は安定した効力を発揮することができる。

 その行使には“心の力”と“竜の力”が欠かせない。


 “心の力”は己自身の内側にあり、“竜の力”は己の外側にある自然界に眠るとされている。

 そうして内なる力と外なる力の双方を制御して融和させた時、竜魔忍術が完成する。


 竜魔刀にしても原理は等しく、武器という形をあらかじめ与えられて明確化されることで多様性を失う分、より純粋にして強靭な竜魔力の発露を実現できるのだ。


「若葉隠れの術!」


 ウコンの竜魔忍術が発動すれば、たちどころに周囲の樹木が葉や蔦を伸ばして、両者を覆い隠す。

 植物の生育を自在に操るという芸当は、およそ通常なしえるものではない。

 これこそ竜魔忍術の力。

 それゆえに、その竜魔忍術や竜魔刀の由来、根源となる竜魔とは、いかに怪物なのかがわかる。


「奥方様、わたくしの手を握って、決して離れないでください」


「は、はい」


 ウコンに言われるがままに奥方は従い、握り返した。不安げな手つき、心細いのだろう。

 ごく限られた覗き穴以外、光の遮られた密室のような植物の籠の中でふたり、息を潜めて過ごす。

 奥方の手はやわらかくもあり、少し硬くもある。彼女なりに剣術や修練を積んだ証左だろうか。


「ウコン、あのね、こんな時だけど一言いいかしら」


「はっ」


「わたし、ネコじゃなくてよ」


「……いえ、流石に存じております」


「そーでなくて」


 雪代ノ奥方はどこか震えるような声で、しかしはっきりと言った。


「わたし、トラなのよ」


 その意味するところがようやくウコンにも理解できた。

 トラとは、雪代家の者ということ、武家の生まれだということ、そして――。

 戦う宿命の元に生まれたということを、彼女は言いたいのだ。


「……奥方様は戦うことが怖くて仇討ちをあきらめたがっているのではないのですか?」


「ええ、怖いわ」


 少しずつ、地響きのような大きな足音が近づいてくるのをウコンは感じ取っていた。

 きっと奥方とて気づいていることだろう。


 徐々に、少しずつ、臓腑の置くまで震わせるような振動が膨らんでいく。

 このままやり過ごすのが一番良いに決まっている。


 こいつは“端くれ”ではない。本物の竜魔のはずだ。勝ち目もなければ戦う理由もない。

 頼むから妙な気は起こさないでくれ、とウコンは願ってやまなかった。


「こんな時、あの人なら勇ましく戦っているのでしょうね」


「……旦那様ですか」


「この竜魔刀はね、あの人にもらったの。とびっきり手強い竜魔を倒して得た竜玉でこしらえさせたと得意げだったわ。その時に負った大怪我も治りきってないのにね」


 迷いを感じさせた。

 奥方は武家としての責務や矜持、名誉をよく理解しているようだ。その一方、懐疑的でもある。


 ズンズン、ズンズンと。

 竜魔の足音が近づいてくる。決断の時が迫っている。


「わたし、トラなの。怖がり屋さんのトラなのよ。今はそれでいいはず。あの人みたいに立派に誰に恥じることなく胸を張って生きられなくても、まだ、……わたしは生きていたいの」


 それっきり、奥方は黙りこくった。

 捕食者が過ぎ去るのを震えながら巣穴で待つ野鼠のように、奥方は身を潜めることをよしとした。

 己の身を守ることにさえ葛藤せねばならぬほどに、雪代家はがんじがらめの家柄なのだろう。

 ウコンには窮屈にみえてならなかった。


「足音が、遠ざかっていく……」


 一安心だ。

 ピンと立てていた狐の尾をゆっくりと降ろして、安堵のため息をついた時、不意に気配がした。

 竜魔より小さく、しかし聞き覚えのある足音。複数、群れている。


(よもや、端くれが――!)


『クィィ―--ギュキャキャキャキャキャ!!』


 異様な、他のいかなる動物とも似つかぬ甲高い叫び声をあげる竜魔の端くれ。数匹が呼応する。

 こちらに感づいて、近隣を探し回っている。完全に見つかってからでは手遅れになる。


「こちらへ!」


「ウコン、どうするの!」


「三十六計逃げるに如かずです!」


 手を握る。

 ぎゅっと握る。

 そしてダッと駆け出して、若葉隠れの忍術で作った隠れ場を抜け出した。


 逃走に選んだのは街道沿いを一直線に、あえて山林の中には脚を踏み入れないことにした。


 背後を見やる。

 そこに竜魔の端くれの姿があった。


 異様なる威容。

 蛇や蜥蜴のような鱗に覆われた冷たい鎧のような表皮は、あたたかな体毛を備えたケモノビトとはまったく異なる生き物だ。


 二本の強靭な足に、長い尾をしならせ、鋭い牙を備えた頭部。前傾姿勢で、野の獣のように四つん這いになることもなく、後ろ足に比べれば小さな前足を有する。


 端くれは脚力に優れる。素早さに自信のあるウコンや奥方であっても、ぐんぐんと距離は縮まる。

 このまま追いつかれてしまえば、囲まれて切り刻まれるだろう。


「こ、このままでは!」


「小・金・付・工・後! まきびし地獄の術!」


 忍術と忍具を組み合わせて、ウコンは後方に竹筒に仕込んでおいた菱の実をバラ撒いた。

 植物種子である菱の実を乾燥させると鉄製のまきびしより軽く、個人携帯でも扱いやすいのだ。


 しかし本来、草鞋履きのケモノビトならばともかく、頑健な皮膚をもつ竜魔の端くれに通じるかは怪しい代物だ。それでも――。


『ギュオォォォォォンッ!?』


 竜魔忍術によって鋭利な金属に等しい強度と硬度を付与された菱の実は、端くれの足底部にものの見事に突き刺さり、二匹か三匹かを足止めすることに成功してくれた。


「お見事です、ウコン!」


「ご油断なさらずに、奥方様」


 だが敵もさるもの、後続の半数はまきびしを理解して迂回することで追跡を続行してきた。

 多勢に無勢。

 ここは逃げの一手しかない。


 あえて隠れ場のない街道沿いを走るのは、どこになにがあるかを事前に把握できているからだ。

 懸命に走り抜けた先に、見晴らしのよい崖があった。行き止まりではなく、折返しとなって岩場の反対側にくだりの道がつながっている。


「奥方、わたくしを抱いてください!」


「え!」


「早く! 抱きしめて!」


「え、え!」


「絶対離さないでくださいね!」


「ま、待って、待って、一体なにを」


「飛びます!」


 歯牙を剥いて、唸り声をあげて喰らいつこうと飛びかかってくる竜魔の端くれ。

 崖に目掛けて、ふたりは全速力で走って、走って、走りぬけて。


 ――跳躍した。


「ぴゃあああああああーーーーっ!!」


 絶叫した。

 自分よりもちっさなウコンに全力でしがみついて、奥方は絶叫していた。

 無理もない。崖下までは目も眩むような高さがある。


 このまま地面に激突してぺしゃんこに。平ぺったいトラの絨毯になるのではと思ったのだろう。


 落ちていく。落ちていく。


 しかしそれはとてもゆっくりと、羽毛が舞い降りるようにゆっくりとした速度であった。


「いた、いだだっ、奥方様、爪が、力加減が……」


「あ、すみません」


 痛がるウコンの苦悶を聞き、奥方は落ち着いたようで力をゆるめ、状況把握に務めた。


 ふわふわと浮いて、ゆるやかに落下している。

 それはウコンの忍法「風船の術」によって広げた風呂敷布を気球代わりにしていたのだ。


 ふわり、ふわり。


(……お、重い)


 崖下に到達するまでの長い時間、ウコンは奥方に抱きつかれたまま、その重みに耐えていた。

 種族も年齢も上の奥方は、二倍近い重量がある。全力疾走と忍術の連発に心身ともに疲労しているウコンには少々、いや、かなり重い。不幸中の幸いは、けっして落下すまいと奥方がぎゅっと抱きついてくれているおかげで重くても支える必要はないことくらいだ。


(これが、でかでかおにぎり七個分の重さ……)


「ウコン、あなたは命の恩人ね」


「し、仕事ですので」


「顔色が悪いようだけど、どこか怪我を……?」


「い、いえ。それより奥方様、人里に辿り着くまでが山越えにございます。ご油断なさらず」


「湯治場として栄えた町と聞き及んでいるわ。今日の疲れをゆるりと癒やしておきたいものね」


「……温泉」


 一難去ってまた一難、という言葉がある。

 不思議と、ウコンは竜魔騒ぎとはまた異なる波乱の予感をおぼえていた。

第一話、お読みいただきありがとうございました。

おにぎり美味しいですよね、今作はちょいちょい和風ファンタジー飯を出していく予定です。

旅にグルメ、そして次回は温泉です。

ひきつづきよろしくお願いいたします。

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