第二十四話「闇市と火縄銃」
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闇市。
なんとも危うく魅力ある響き、公にできない後ろ暗い取引の場である。
鹿女温泉郷の近郊にはそうした闇市が不定期に開かれる、鹿鳴寺という寺院があった。
夜中、奥方ら一行は森林を縫うように作られた参道を歩いて、闇市へ向かう。
ホッホウと夜鳥が鳴き、虫がさざめく中、一行は灯りもつけずに確かな足取りで歩んでいる。
「ねえウコン、後ろに見える灯りは他の参加者かしら」
「でしょうね。夜目の利かない者でも闇市にあえて赴く理由があるのでしょう、しかし深くは詮索しないことです。どんな輩と出くわすか、わかったものでありません」
「こ、怖いわね」
「逆に考えてください、こんな夜道で奥方様のような大虎に出くわした側の方こそ肝を冷やすと」
「なぁーんだそれもそうね」
ほっとする奥方様、ウコンの皮肉に気づく余裕はないらしい。
「暗闇は蝙蝠としていささか得意とするところですが、少し、不安になりますね」
「シノどのシノどの、もう寺はすぐそこだよー」
サコンが指し示した先には、確かに森林地帯の中に広々と開けたところがあり、この片田舎にしては厳かで大きな寺院が建っていた。篝火が惜しげなく焚かれて煌々と明るいのだ。
夜中にも関わらず、人の賑わう声は近づくほどに大きくなり、そこに至れば真昼の城下町もかくやという盛況ぶりにも見えた。
寺院の門前にある塀に沿って、ずらりと多種多様な露天が並んでいるさまはまさに市場だ。
寺院の門は開かれ、屈強な鹿族の僧兵が錫杖を手にして見張っている。
つまり、この闇市の主催者は、鹿鳴寺ということになる。
「これは、まさか、お寺が闇市の胴元を……?」
「はい」
「それはまた随分と世俗的な……」
「市場の成り立ちは、権力者の庇護下にあって安全に商いができるかに根ざします。大昔の寺院は荘園という私的な領地を有しており、武家のような権力を有していたこともあって、そのお膝元に市場を抱えていたのだとか。ここ鹿鳴寺の闇市はその名残です」
「どうみても“こっそり”には見えないのだけど、お役人は黙認しているのかしら」
「藩政に貢献するのであればお上も目を瞑りもしましょう。公然の秘密というやつですよ奥方様」
「闇が、闇が深いわ……!」
奥方はでかい図体を震わせて緊張するが、一方、門前の僧兵もまた奥方を目にして緊迫していた。
屈曲な鹿族の僧兵、といっても奥方よりは一回り小さいのだから無理もない。暗闇に爛々と輝く虎の眼光を目にした日には本能的に恐怖せざるをえない。取り乱さないだけ訓練されている方だ。
「ご、ご苦労さまです」
「う、うむ」
お互いに相手にビビりながら挨拶して、少しずつじりじりと距離をとり、ほっと一息つく。
強そうに見える、というのも難儀なものだとウコンは微苦笑する。
「この闇市に、我が仇敵ユキノジョウの手がかりがあるとそうサコンは言うのですね」
「ある、というよりは他にアテがない、が正しいかなぁ」
銀狐のサコンは数日間に渡ってシノと一緒に行動、諜報担当らしく情報収集に明け暮れていた。
黒狐のウコンはもっぱら湯治と護衛のために奥方と温泉宿で過ごしていたのでシノと直接の会話はまだ少なくて打ち解けていない。元々、ウコンはそう速やかに人と馴染めないのだ。
それに比べてサコンは要領がよく、媚びるのも甘えるのも上手い。そして努力を惜しまず、柔軟な思考力もある。黒川シノとすぐに馴染めたとしても不思議ではなかった。
「情報源を探し当てるにもきっかけが大事、市場はいつでも出会いの場さ」
「要するにサコン、さては何も掴んではいないのだな」
「あ!」
サコンは大げさに驚く素振りをみせて、露天に並んだ商いの品へと一同の意識を誘導してくる。
どれどれとウコンも覗いてみるが、示された商品には驚かされてしまった。
火縄銃。
天下泰平の世にあって、鉄砲を見かける機会というのは希少であった。それが闇市にあるのだ。
篝火に照らされて妖しくぬらりと輝く長筒は勇ましくも不気味であった。
「へっへっへっ、安心なせえお嬢ちゃん」
深めに笠を被った初老の鼠族の男はウコンを小馬鹿にするように笑って、ひげを撫ぜた。
「なにを安心しろというのだ、鉄砲だぞ」
「そいつぁー“農具”だよ。獣払いに使うもんさ。野獣、時には竜魔を追っ払わなきゃならないってのにそこらの農民に刀や槍をもたせたってしようがないだろう?」
「いやいや、領主から農民に貸し与えられる四季打鉄砲は厳重管理の上、借り受けるものだぞ!」
「そこはそれ、時にはお上もお目こぼしくださるんでさぁ」
「……なるほど、ああわかったよ世間知らずはこっちのようだ。ここは闇市だからな」
ウコンは面倒くさくなって素直に引き下がった。
現実問題、貸し与えられる鉄砲だけでは心細いという農村の住人の心境は理解できる。
野獣による農作被害はやっかいこの上なく、竜魔に至っては命懸けだ。
(鉄砲に竜魔刀、あの寒村にも十分な備えがあれば、わたしの母親だって……)
農村や農民に与えられる武装は厳しく制限されている。もし百姓一揆のような暴動が起きた時、数の上では武士より多い農民が武器まで揃えていては大問題だ。領地経営として、少なすぎず、多すぎず、適切な武力を村落に貸し与えなくてはならないのだ。
「それにお嬢さん、火縄銃なんてのは焦げ臭いし手間がかかるしそう簡単には当てらんねぇ。そこのお武家さんみたいな手練には火縄銃の一丁二丁あったところで勝てやしないさ」
そうおだてられた奥方は、しかし顔がひきつっていた。
「絶対無理」
鉄砲に打たてるさまを想像してしまったのか、奥方はわなわなと震えていた。
凛々しい若武者に化けたいつもの男装が、まったくもって台無しといえる意気地のなさだ。
「万が一に当たったら、下手すれば死んじゃうのよ!? で、ござる!」
「へっへっへっ、お武家さん、長生きするには臆病なくらいでちょうどいいといいますぜ」
「長生きしたい! せめて五十歳くらいは生きたいでござる!」
「じゃあ良いもん買って備えねえとな」
「吟味させていただきます!」
危機感を煽られた奥方は真剣に、露天商の並べている品々を確かめはじめた。
しようがなくウコンもああだこうだと口を出してそばにいる。その間に、シノとサコンには情報探しに徹してもらうよう頼んだ。
毎度お読みいただきありがとうございます。
やってきました闇市へ、ブラックマーケットへ!
当作にもあるにはあった火縄銃、しかし作中では竜魔討伐に用いられなかったのは主に四つの理由があります。
ひとつは弓矢と違い、火縄銃は匂いがするので竜魔の端くれに警戒されやすいということ。また単に火縄銃の備えが乏しいこと。
侍は弓矢の鍛錬を積んでいるので、その前提であれば命中精度や連射性で弓矢が勝ること。
そして竜魔には火縄の銃弾もなかなか致命傷たりえず、最後は竜魔刀が決め手になるといった威力不足などです。
ひきつづき、今後ともよろしくおねがいいたします。




