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第二十三話「りんごといちご」

「シノ殿、ささ、遠慮せずお食べになって!」


「あの、困ります……」


 夕食時、目覚めた雪代ノ奥方はやや強引に黒川シノを宿泊先の宿から連れてきてしまっていた。

 献立は、いつもの春野菜の汁物に白米、そして捕まえてきた大きな川魚の香草蒸し焼きだ。

 風味づけに香草を添えてあり、一口食べてみたウコンは心から清流の恵みに感謝した。


「うまい、うまいぞサコン……! イワナの地獄蒸しか、考えたな」


「えっへへー、長ネギやらの香草を添えてじっくり蒸して塩をぱぱっとねー」


「このホクホクとした食感がたまらん……」


 ウコンは箸が止まらなかった。

 身だけで物足りず、岩魚の目玉をくり抜いて食べるほどに美味でならなかった。


「め、目玉を食べてる……!」


 青ざめるシノに気づいた頃にはウコンは岩魚の頬と舌を食べ終えていた。

 大きな魚の場合、頬肉と舌も食べ甲斐があり、ごちそうとあってウコンは余さず食べていた。

 しかしそれがシノにとっては目を疑い、振り袖で顔を半分隠すほど恐ろしいことのようだ。


「ホホや舌まで抉り出して食べるだなんて、岩魚に恨みでもあるのですか……?」


「少々下品なのは認めるが、単に美味いからやってるだけだが……」


 と、サコンに接するような砕けた言葉になってしまったのをウコンは遅れて軌道修正する。

 初対面の時はともかく、今のシノは立場上、主人たる雪代ノ奥方の客人扱いなので丁寧に接さねばならないと言葉遣いを正す。


「こほん、わたくしは食うや食わずのみなしご育ち、魚の頭とて食べずに捨てるのは勿体ないと心得ている次第。お見苦しいやもしれませんが、どうかご理解のほどをたまわりたく存じ上げます」


「スイカの皮を捨てずに食すようなものでしょうか……?」


「そう、まさにしかりでございます」


 シノはようやく合点がいったのか落ち着きを取り戻して、岩魚の骨を見下ろしながら話した。


「私のような大蝙蝠族は草食志向が強く、もっぱら果実や米を食します。少量は肉の類を食べることもありますが、魚は馴染みが薄くて。目玉まで食べるさまを直に見たことがなく」


「左様で……」


「困る、というのは魚を食べないという意味だったのね。それは申し訳ないことをしちゃったわ」


「奥方様は根っから肉食系だからねー」


「サコン、奥方様はちゃんと野菜も召し上がるぞ。ただ草食系のように生で菜っ葉を食せぬだけだ」


「あはは、道草はよく食ってるのにねー」


「雪代様は雑草を食せるのですか、白虎族なのに……?」


「誤解を招く言い方をするなアホギツネ! シノ殿、道草を食うというのは奥方様がいつも横道にそれて遅れがちだという比喩にございますので」


「ウコンサコン! 仮にも主人に対する扱いがひどくはなくって!?」


 主従の滑稽なやりとりを眺めていたシノは、フッとほんの小さく笑ってみえた。


「……失礼」


 シノは振り袖で顔を隠して、途端に内向きに閉じこもるような仕草をみせた。

 苦々しげに、なにか悪いことをしてしまったかのような後ろめたさを宿した表情は異様だった。

 不思議がる奥方は小首を傾げる。


「シノ殿、貴方もしかして……」


 しかし奥方は続く言葉を不自然に飲み込んで、急に「そうだわサコン、シノ殿の夕食にアレをお持ちして」と思い出したように言った。


「こちら、春の水菓子でございますです」


 サコンが運んできたのは水菓子――つまり果物だ。お菓子の「菓」とは、そもそも間食に適した木の実や果物のことで、古来菓子といえば単に果物を意味していた。それが米や小麦を加工した菓子が定着するにつれ、旧来の果実の菓子を水菓子というようになっていったのである。

 竹籠に盛られているのはリンゴ、そしてイチゴだ。


「……なんて、贅沢な」


 シノ殿はふらりと立ちくらみ、喜ぶどころか一瞬、目を背けてしまった。

 ウコンとて、春の果物としてこれらが供されることにはいささか驚かされてしまった。


「まてまてまて、今は葉桜も散った春だろう! なぜ秋に実るりんごがある!」


「ここいら一帯は冷涼な土地柄、秋に収穫しといたリンゴを土蔵でちゃんと冷やしておけば春までは長持ちするんだよ。ちょっと若いリンゴを詰んでおけば、寝かせておくと食べ頃になるんだって」


「春りんごは左様なからくりが……。よく考えたものだ」


「りんご……、久方ぶりに見かけました。庶民の食するものではありませんから……」


 シノは物珍しげに、おとなしい蛇でも眺めるような距離感を保って、リンゴを眺めている。


 リンゴは美しい紅色で玉子くらいに小玉な果実だ。

 大陸渡来のものとされ、武家屋敷や寺社仏閣に少数が育てられている貴重なものだ。この国に古来自生する果樹ではないので数は少なく、観賞用や薬用、お供え物などとして用いられてきた。


 (※注釈するならば、これは和りんごであって、我々のよく知っている西洋りんごではない)


 珍品ゆえに将軍家への献上品とされるほどで、薬食と称して贈答され食べられた牛肉の味噌漬けのようにそんじょそこらで見かけるものではなかった。

 ウコンの認識に即せば、リンゴはそれほど馴染みがなく、春に食せると知らぬのも恥ではなかった。

 一方、奥方は驚く素振りもないどころか、リンゴをひとつ摘んで、気軽にかじってしまった。


「奥方様!? なんてことを!」


「もしょもしょ」


 墓前に供えて拝むような希少な水菓子を、奥方は饅頭をつまみ食いするように食い切った。

 ウコンは戦慄した。シノ殿も見ていられずに翼で目を覆ってしまった。

 一杯十六文の蕎麦と比べて、りんごひとつで十杯や二十杯の価値はありそうだったからだ。


「ああ……、もったいないことを。流石にこれは路銀の無駄遣いではありませんか」


「路銀? これは庭に生っているりんごを実家から贈ってきたのよ」


「ご実家!?」


 ウコンは雪代家での下準備期間を思い出す。確かに、雪代家の広大な庭には果樹があった。冬だったので何の樹が気づかなかったが、まさかリンゴの木だったとは。


「このリンゴは食べないと腐るだけ、食べても小さくてクセがあるのよ。シノ殿、そう身構えず、人助けと思って遠慮せず食べていただけないかしら」


「……勿体なきお言葉ですが、では」


 シノ殿は膳に供された皿上のリンゴを手掴みし、おそるおそる、端っこをかじった。


「……風味は爽やかにして、少々甘く、大変酸っぱいお味にございます」


 美味、と言い切れないシノの表現に、どれどれとウコンも警戒しながらりんごを食してみる。


「本当だ……」


 しゃくりと歯ざわりはよい。薫り高く、見目も麗しい。

 しかし甘さはほどほど、酸味が強い。渋みもある。猛烈というほど強くはないものの、クセがある。


(……梨や柿、葡萄の方がうまいのでは?)


 シャクシャクと食べるには食べる。しかし、このリンゴ、蕎麦何杯分もの価値は見いだせない。


「奥方様、もしやこのリンゴなるもの、甘きに欠けるので庶民に広まらなかったのでは」


「ええ、私は慣れているけど、あの人は渋くて酸っぱくて苦手だとなげいていたわ、ふふっ」


 あの人、とは雪代ノ奥方の亡き夫のことだろう。

 鈴を鳴らしたように笑い話として故人のことを話されるが、時々、奥方の会話はこうして脈略がなく飛躍する。“あの人とは誰か”という疑問を他者が抱くということに気づかないほど、奥方の中では自然なことなのだろう。


「雪代様の思い出の味……私の口には合っているようです。水菓子は好物なので」


 シノ殿は言葉通りに気に入ったらしく、遠慮せずにリンゴを食してくれた。

 ウコンは肉食系、シノ殿は草食系かつ果実を好む。味覚の基準がやや違うのだろう。

 ウコンには絶品料理たるイワナの地獄蒸しがある。シノ殿にもご馳走があるのならば、かえって気兼ねなく食事できるというものだ、とウコンはリンゴのことを忘れることにした。


(それにしても、美味しいのなら笑顔のひとつでも見せてくれればよいものを)


 シノ殿はちびちびと静かに食み、目を細め、翼膜もあって自然と隠すように食べている。


「こちらの、イチゴもどうぞ召し上がってみてちょうだい」


「イチゴ……見慣れぬ形ですが」


 ヘビイチゴ等の、野山に自生するイチゴはもっぱらまずい。美味な品種もあるが、基本的に農家が栽培しているわけではなくて、山岳地帯に自生している。

 ウコンのような山育ちにとって野いちごは見つけたら少々嬉しい天然のおやつである。


「舶来物の西洋イチゴよ、これがなかなか美味でありがたいことに春に実るのよ」


「真っ赤で、大きい……」


 シノ殿はまたもや注意深く、警戒する仕草だ。無理もない。

 野いちごに比べて、おばけのように大きな西洋イチゴ。りんごとさして変わらぬ大きさに、りんごよりもさらに真っ赤な毒々しさ。イチゴは血の色にみえると気味悪がるものも少なくない。


(ふっ、しかし私とて、イチゴは食べたことがあるぞ)


 ウコンはひとり優越感に浸っていた。

 イチゴもまた観賞用の南蛮渡来品、しかもごく近年のものだ。希少かつ不気味なので一般庶民は食さない。しかしド庶民のウコンは食したことがある。


 昔、忍者として忍び込んだ先に観賞用として育てられていたイチゴを、野いちごを食べつけていたのでサコンが盗んできたのだ。ウコンもおこぼれにあずかり、その美味さに感動したのである。

 当然、悪いことなのでヒミツである。


「いただきます」


 シノ殿は拝み、これまた振り袖で隠すようにしてイチゴを食した。


「これは……!」


 口元を隠していても、シノ殿の空虚な眼差しに一時、光が宿るさまは一目瞭然だった

 一粒でも格別に美味なのに、イチゴは更にまだ十数粒もあるのだ。


「あの、このようなものを、本当にいただいてもよろしくて?」


「ええ、ご遠慮なさらず。あなたのために用意させたのよ、食べてもらえないと困っちゃうわ」


「……かたじけない」


 シノ殿は深々と頭を下げると、丹念にイチゴ一粒一粒を大事に大事に食べてくれた。

 シノ殿の食べっぷりは禁欲的に押さえつけてもなお、心の底から湧き上がる感動が隠せていない。

 シノは路銀を稼いで五年間、仇討ち旅をつづけてきたのだ。奥方のような高貴な武家のような贅沢などする余裕はあるはずもなく、心休まる暇もどれだけあったことか。


(……シノ殿、泣いているのか)


 いよいよイチゴを食べ終わろうという頃には、シノ殿は薄っすらと涙を浮かべていた。袖で拭っても、まだぽろぽろとこぼれてくるので、最後には「ご無礼を」とだけ言って、じっくり平らげた。


「あー、一口くらい食べたかったなぁ……」


「サコン、我らにはイワナがあるんだ。ここは譲れ」


「へーい」


 そうして夕食が終わる頃には、シノ殿は少しだけ、薄っすらと微笑みを垣間見せるようになった。

 まだどこか、シノ殿は笑うことに後ろめたさがあるようにみえはする。

 されども、ウコンの目から見ても明確にわかるほど、シノ殿が纏う暗澹とした雰囲気が薄らいだ。


 黒川シノ。


 彼女はおそらく、節制や倹約に留まらず、楽しいことや嬉しいことに後ろめたさを感じて生きているのだろう。仇討ちを遂げぬうちには、自由な心は邪魔になる。復讐に一意専心するために、それ以外の情緒や興味を削いできたのだ。


 それは忍耐強く目的を遂げる上では役立つかもしれないが、心身を蝕む不健全な有り様だ。

 雪代ノ奥方は同じ復讐者として、黒川シノの孤独を和らげてあげたかったのかもしれない。


「奥方様、ここまでお考えになって……」


「すぴーすぴー」


 食べたら寝る。

 この米俵のように横たわるお気楽な奥方の寝姿からは、シノへの深慮は想像しがたくて困る。

毎度お読みいただきありがとうございます。

我々にとっては馴染み深い「リンゴ」と「イチゴ」ながら今回登場したのはいずれも少々異なる代物。

「和リンゴ」は江戸時代までは育てられていたものの美味で大きな西洋リンゴが定着してからは淘汰され、現在では少数が天然記念物として残っているのだとか。

「西洋イチゴ」は当初観賞用として入ってきたものでした。

どちらも厳密には江戸時代を基準にすると考証や設定が大雑把なところはありますが、そこはケモノビトの世界ということでひとつ。

ではでは、今後ともよろしくおねがいいたします。

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