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第二十一話「シノと包帯」

「きゃひんっ!」


 二の腕の切り傷に塗り薬をつけられて奥方は情けない悲鳴をあげた。


「うー、うー……」


「そんな涙目で見つめられてもどうにもなりませんよ、奥方様」


「はい、おとなしくねー奥方さまー」


 湯治宿の自室に戻ってきたウコンら一行は、まず傷の手当てを奥方に施していた。

 薬売りとして表向き活動することの多い銀狐のサコンはテキパキ仕上げに清潔な包帯を巻く。


「浅い傷でよかったね、てっきりもっと深手かなって……」


「練気術のおかげかしら。鉄毛といい、練気を体毛の一点に集めることで被毛をあたかも鉄や鋼のようにできる――。といえば鉄壁の防御みたいだけど、竜魔刀相手には気休めがいいところみたい」


「鉄毛……噂には聞きますが、左様な芸当を」


 鉄毛は忍び里でも限られた使い手しかおらず、ウコン自身は習っていない高度な技術だ。

 他にも『鉄爪』『鉄牙』という風に、身体の一部を練気によって強化することで攻防に用いる武芸がある。これらは徒手空拳という前提ならば強力なれど、武器や防具を纏い、それらに練気を宿した方がより強力なので必須の戦闘技術というわけではない。


 剣術と格闘術はどちらも使い所が異なる一長一短の関係、練気術はそのどちらでも学ばされる。

 雪代家の場合、剣術だけでなく武芸百般を学ぶ、つまり鉄爪や鉄牙も扱えるのかもしれない。


「亡くなった夫は鉄毛にも長けていたのよ。竜魔の端くれに腕に噛みつかれた時、逆に牙が折れてしまったと証拠の品を見せびらかされたっけ」


 奥方は愛おしそうに目を細めて、包帯の巻かれた二の腕を眺めていた。


「それでもすぐ傷だらけになって帰ってくる人だったわ、ふふっ」


 儚げな微笑だった。

 ウコンは訳もなく、胸が苦しくなるような心地に追いやられてしまう。

 ああして亡き夫のことを回顧する奥方のことを、ウコンは痛ましくて見ていられなかった。


(しかし、それをあえて今、口にする意図はやはり――)


 ウコンは隣を見やった。

 傷つけた張本人、蝙蝠女がそこにおとなしく座っていた。

 黒い忍び装束のような薄着の上から、蝙蝠女には厳重に縄が施されていた。


 川辺での騒動の後、戦意を失った蝙蝠女は「私を縛りなさい」と自ら申し出てきた。竜魔刀も差し出して、生殺与奪の権をこちらに委ねてきたのだ。


『非礼をお詫びします。どうか、お許しを……』


 そう頭を下げられて、ひとまず身柄を拘束しつつ奥方の治療を優先して今に至るわけだ。


(奥方様は、それとなくご自身の身の上を話されているのだな……)


 目を瞑り、黙りこくっている蝙蝠女。

 こちらが話しかけてくるのを待っているのか、静かに縛り上げられたまま座っている。


「さて、この通り、私の怪我はすぐに治る程度で済みましたよ。刃傷沙汰でも大事にはしません」


 浴衣に着替えた奥方は正座して、蝙蝠女へと語りかけた。


「あなたは何者なのか、なぜ私を襲わねばならなかったのか、お話しくださるかしら」


 問いかけに、蝙蝠女はゆっくりと口を開いた。


「黒川――黒川シノと申します。訳あって夫の仇討ちを果たすべく旅している者です」


「黒川シノ……ではシノ殿、と呼ばせていただきます」


 はい、と蝙蝠女――シノは静かに答えた。

 ウコンは神妙におとなしくしているシノの一挙一動を警戒しつつ、奥方の隣に控えている。


 改めて黒川シノなる蝙蝠族の女について注視すると、年頃は二十の後半ほど、容姿の作りは端麗なれど不気味でもある。なにが不気味かといえば、目つきだ。濁り、淀み、暗澹としているようにみえるのはウコンの先入観もあるだろう。


 黒川シノは殺意を宿している。

 復讐者としての強い執念を感じさせる目つきを、あの川辺での戦いではしていた。

 爛々と輝いて、嬉しげで、楽しげで、悲しげで、複雑な情緒が渦巻いているようにみえた。


 今はどうしたことか、死んだ魚の方がまだマシというほど生気がない目つきだ。釣った川魚とあとで並べて見比べてみたいくらいだ。


「さて、シノ殿は私のことを誰かと間違えてしまい、誤って襲いかかってしまった……のよね」


「相違ございません」


 シノが不審な動きを見せれば、ウコンは即座に対処するつもりでいる。

 雪代ノ奥方もさすがに一切無警戒というわけでなく、正座しているシノに対して、立膝である。


 立膝で座ることの意味は、足がしびれず即座に動けることにある。つまりは危険に先んじて即応でき、いつでも対処可能だということだ。

 逆に、正座はその点においては不向きだ。背筋がまっすぐになり見栄えがよく狭いところに適するという長所もあるが、長時間快適に過ごせるわけでも即座に動けるわけでもない。

 天下泰平の世においては礼儀作法として平時では正座が重んじられるようになったが、その一方、有事では今なお胡坐こざや立膝が優先されることもあった。


 シノの衣服も調べたが、竜魔刀ひとつの他に刃物は隠していなかった。

 シノの忍び装束のような薄い衣服は、人前に出るための着物の下に仕込んであるものらしく、木陰に隠してあった着物に今は着替えさせてある。

 一般的な着物は重量が増し、羽ばたきづらくなるのでシノにとっては動きを封じる効果もある。

 シノの着物は振り袖になっていて、膝まで届く。翼膜をすっぽり覆い隠せるので、蝙蝠族にとっても使い心地がよい。筒袖では翼膜と干渉してしまい、着心地が悪いのだ。


「雪代様は、怨敵たる白上ユキノジョウにとても似ておられたのです。背丈と体毛、凛々しさと精悍さ。他種族の顔立ちとなると人相の見分けに疎くなる、というのもあり……」


「ああ、わかりますとも。同種同族の顔立ちは細かく区別がつくのに、縁遠い種族になるほど種族や性別、年齢といった特徴が先立って記憶されてしまい、人相まではどうにもあやふやに……」


(……確かに、サコンと私の区別、銀か黒かと色だけで見分けるやつは少なくないが……)


 ここにきてふとウコンは気づくが、シノは顔つきがどことなく狐族に似ている。

 蝙蝠族、というのは多様なコウモリをひっくるめた大きなくくりであり、同じ蝙蝠族の中でも犬と狐よりも差があると聞いたことがある。


 原種の場合、特にオオコウモリとコウモリという二分類があり、ケモノビトの場合もオオコウモリは中型種、コウモリは小型種とみなされる。シノは体格的にオオコウモリだろうか。

 シノの狐族に似た顔つきは個人の特徴ではなくて種族の特徴、ということになるのだろう。


「五年、旅立って五年前になります。白上ユキノジョウの顔つきがいかなるものか、克明には思い出せなくなりつつあるのです」


「五年……!」


 奥方は口をあんぐりと開けて、驚いた。

 五年間、といえば幼きウコンが忍び里に拾われて今に至るまでとさして変わらぬ長さだ。

 齢十二のウコンにとって五年間ずっと仇討ち探しなど想像を絶するものだった。

 そしてまた奥方にとっても、五年間という長さの重みは衝撃的だったようだ。


「五年間も探し回って、未だ仇は見つからず、それでようやく見つけたのがこの私だったと……」


「日ノ本は広うございました。これまでユキノジョウの消息を追い、各地を転々として参りました。旅先で働いては路銀を稼ぎ、あとすこしと追い詰めては逃げられて。南は西海道にはじまって、気づけば北の東山道へ。この近隣で消息は途絶えてしまい、かれこれ一年留まっております」


「さ、左様で……」


 奥方は自分に置き換えて想像してしまったのだろう。


 “仇討ちをあきらめる”


 この奥方の最終目標に対してウコンの提案した当面の策が“仇討ちを先延ばしにする”ことだ。

 無謀で危険な仇討ちなんてものを回避しつつ、それでいて仇討ちに赴いたという名誉は保つ。ほとぼりが冷めたところでうやむやにする。そういうずる賢い策だ。

 先延ばしにして時間を稼げば打開策が見つかるかもしれないし、ちょっとでも長生きはできる。


 しかし、だからといって五年間は長すぎる。

 齢十二のウコンは十七歳になるわけで、成人して結婚について考えるような年頃になる。

 雪代ノ奥方にとっても、実家に預けてきた我が子の千代丸と五年間も離れるのはつらいはずだ。


(里長のテンメイ様に至っては、ぽっくり亡くなっていそうだな……)


「シノ殿、言うか言うまいか迷っていたのだけれど、貴方には話しておくことにします。私達、じつは亡き夫の仇討ち旅をしているの」


「……なんと」


 シノは大きくつぶらな目を見開き、小さな黒耳を小刻みに動かして驚いた。

 一時、同じ境遇の者に出逢えた数奇さに孤独がまぎれたのか少々明るく色づいてみえたシノの表情は、しかしすぐにうつむいて暗く影に隠れた。


「それは尚の事、恥じ入るばかりです。不幸な身の上を語り、同情を誘って許してもらおうという魂胆がどこかで私にはあったのですから」


「つまらないことをおっしゃらないで!」


 奥方は身を乗り出して手足を使ってバタバタと近づき、シノの手をがしりと熱烈に掴んだ。

 急だ。急にだ。


「シノ殿、これは運命! 私達、あなたの仇討ちに協力させてもらうことに決めたわ!」


 奥方は喜々として言い切った。


「……え」


「は?」


「なんで!?」


 シノもウコンもサコンも一様に驚かされる。予想だにしない言動だ。

 奥方当人は怪我を忘れたようにはしゃいで、元気そうに前のめりに尻尾をくねらせている。


「奥方様! 百歩譲ってシノ殿を信用するとして、我々に手伝わねばならない道理がありません!」


「そーだそーだー!」


「でも、手伝ってはいけない道理もないでしょう?」


「それもそーだー!」


「お前は黙ってろサコン!」


 思わず常識的言動をとってしまったが、しかしウコンは叫んだところで冷静に考え直してみた。

 一般的に考えて、この五年目の仇討ち話は同情に値する。もし見事に討ち果たすことができたならば、武士の誉れであり、稀なる美談といえることだろう。


 『仇討ちをあきらめる』


 この目的を果たすにあたって、重要なのは雪代家の名誉が守られることだ。ここで奥方一行が功績を上げておけば、それだけ世間の評判を味方につけやすくなる。それに仇討ち旅を先延ばしにする口実としても悪くはない。


(……めんどくさいが)


「では、当地に湯治として滞在している数週間に限ってならば、シノ殿の仇討ちに協力することに致しましょう。サコン、お前からは何かあるか?」


「旅は道連れ世は情け、だもんね。あたしもいいよー」


(旅は道連れ世は怠け、なんだがな私の場合は……)


 トントン拍子で話が進むも、一番の当事者であるシノ殿は急な申し出に困惑しているようだった。

 しかしここでまた奥方がもっともらしく言ってのける。


「シノ殿、このままはいさよならでは私は斬られ損です! 罪滅ぼしのつもりで協力されなさい!」


 等と、包帯の巻かれた二の腕を強調して説得するものだからすぐにシノは折れてしまった。


「慎んで、ご助力のほど、お受けさせていただきます……」


 シノは平伏して、深々と頭を下げた。

 かくして、湯治場での黒川シノの仇探しがはじまったのである。

お読みいただきありがとうございました。

第二章の重要人物、黒川シノがようやく本格登場となりました。

本文中でも触れていますが、シノはオオコウモリのケモノビトです。

オガサラワラオオコウモリを参考にさせてもらったのですが、異名が「空飛ぶきつね」「フルーツコウモリ」なのだとか。

バナナのような植物を食べるので、吸血や昆虫食はしない種類で、日本では一番大きなコウモリの種類だそうです。

引き続き、今後ともよろしくおねがいいたします。

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