表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/55

第二十話「蝙蝠と駄肉」

 強襲は白昼の落雷めいていた。

 電光石火、まさに一瞬のうちに上空から急降下してきた強襲者の一撃は隼の如しであった。


 速い。

 あまりにも速い。


 のんきにアユを食んでいた無防備な奥方を狙った強襲を、しかしウコンは見事に阻止せしめた。

 ウコンが、そして隠れ潜んでいるサコンが、手裏剣を二方向より飛来する敵影へと放ったのだ。


「へ!? なになに!?」


「奥方様、敵襲です!」


 空舞う敵は手裏剣のひとつを刀で弾き、もうひとつを身を捻ってかわすも、防御のために奥方への攻撃を仕損じた。敵はそのまま落下速度を大きな翼によって揚力に変換、高くまた飛び上がる。


 手練だ。

 事前に来ると警戒していなければ危うかった。ウコンは気を引き締め、敵を見定めようとする。

 黒い翼。


「ツバサビト? いや、アレは……コウモリか」


 正体を確かめるまもなく第二撃、ウコンは奥方へ「こちらを!」と脇差を投げ渡した。


 刃が鳴る。

 抜剣して、奥方は脇差によって第二撃を凌いだ。流石の手並みだ。


 羽ばたき、滞空する黒き翼。

 コウモリ。


 多種多様なケモノビトの中でも、唯一無二の完全なる飛翔能力を有する種族だ。

 体は軽く細身、両腕に大きな翼膜があるコウモリのケモノビトは自在に空を舞うことができる。


 装束は黒の、忍者が用いるような軽装だ。得物は刀が一つ、脚先で握っている。コウモリは飛翔の邪魔になる重量を排除するために、武装は最小限にならざるをえず、両翼を自由にするために脚先でも剣術ができるように訓練する。地を這うケモノビトにとって、空を舞うケモノビトがいかに異端で脅威かは言うまでもない。


(忍び里にも一人いたが……まさか、コウモリとは)


「うっふふふ、ここで会ったが百年目……」


 声色、そしてほんのり柔らかな体躯を見るに、女だ。うまく陽光を背にして逆光になるよう滞空しているので人相まではわからないが、蝙蝠族の女に違いない。


「ひゃ、百年目……?」


 奥方はいきなりの敵襲、そして水浴び姿のまま食事中に襲われたことで当惑している。

 それに、あからさまに戦意に乏しい。

 奥方はあろうことか、脇差を手にして白刃を相手に向けるだけで震えていた。


(やはり、人を傷つけることにためらいがあるのか……)


 敵は殺意みなぎり、己は殺意のかけらもない。奥方は依然、窮地にあるとしか言いようがない。


(サコン、ぬかるなよ……)


 三対一。所在の不明瞭なサコンが睨みを利かせていることが最後の砦だ。


「愛する夫の仇……、あなたのことを呪わない日はありませんでしたよ、白上ユキノジョウ」


「……だれ!?」


「問答無用!」


 蝙蝠女の空中殺法が迫る。

 奥方は受け太刀しつつ後方へ飛び退いては「わったったっ!」と姿勢を崩しかける。川辺は石ばかりで足場が悪く、上を向きながら足元を確かめることもできずに圧倒されていた。


 すかさず、サコンは手裏剣を投げて隙きを埋めるが、奥方に間違って当たらないようにしつつ、かつ空中を素早く動きまわる蝙蝠女には当たることさえ困難で、しかも的確に防いでくる。


(まずい。寄って斬りつけるか、しかし……)


 剣術の攻防は近寄りがたいほど激しかった。下手にウコンが近づけば、かえって邪魔になる。


「さぁさぁさぁ! せめてここで潔く死ぬのです、怨敵ユキノジョウ」


「ひーっ! 人違いよ! 人違い!」


「戯言を」


 空を舞い、地に降る。その一撃離脱戦法を単調に繰り返すかと思えば、今度はいきなり脚で掴んだ刀を宙に放ち、地に足ついて刀を手にして切り結んでくる。


「斬る」


 防御した奥方の二の腕を薄っすらと掠めて流血せしめた一撃は、しかし浅かった。


「痛っ!」


 奥方の被毛は厚い。被毛のおかげで尖った小枝や葉っぱ程度はものともせず、掠める程度ならば本来、流血さえしないはずだ。切れ味から察するに、単なる鉄刀ではなく竜魔刀だろう。


 飛翔と竜魔刀。速度と殺傷力。


 いかに武勇名高き白虎族の雪代ノ奥方とて、ともすれば危うい。それはウコンも同じことで、不意にこちらを標的に狙われたとしたら命の保証はない。


(覚悟はしていたつもりが、甘かった……!)


 確実に、相手を仕留めなければこちらが死ぬ。

 生命の奪い合いだ。

 そこまでの覚悟をウコンはできていなかったし、極力したいとも考えてこなかった。ウコンは人を殺めた経験がなく、それは忍びとしての心得や訓練だけで軽々と越えていい境界線でなかった。


 死にたくないし、死なせたくない。

 そこに深い理由はなくて、ウコンの生来持ち合わせるゆるやかさがそう訴えてくるのだ。


「誤解! 誤解だわ!」


「あははっ、素性を隠し名を偽っても無駄なこと……! そう、白毛黒縞のデカい猫族なんて滅多にいるものではないのですから」


 背水の陣。奥方は激しい攻勢を受け、少しずつ後退しながら川の浅瀬に追い詰められてしまった。

 もう逃げ場もない――。


(一か八か、やるしかない!)


 ウコンは意を決して、負傷覚悟で苦無を手にして蝙蝠女を背後から襲おうと駆け出した。


「ウコン、待って!」


 制止したのは奥方だ。力強い眼差しに、ウコンは脚を止めざるをえなかった。

 しかし蝙蝠の剣撃は止まらない。

 いよいよ膝丈まで川水に浸かってしまった奥方は、ここで思いがけない行動に出た。


「これが猫にできようか!」


 ざぶんっ。

 あろうことか、奥方は川に深々と潜って、泳いで――逃げたのだ。


 三十六計逃げるに如かず。

 そうは申せど、戦いの背中に背を向けて、というか泳いで逃げる武士など聞いたことがない。


 しかも速い。水流に乗って加速する奥方の泳ぐ速度ときたら滅法早く、あっという間に遠ざかっていくのだ。数秒、あっけにとられた蝙蝠女があわてて飛んで追いかけるが、なお速い。


「逃げても無駄です、いずれ滝から落ちるだけ……! おとなしく私の手で死んでちょうだいな」


(奥方様、一体なにをしようと!?)


 あわててウコンも走る、走る。

 蝙蝠女の飛翔速度にはひとつ難があり、垂直や水平に羽ばたく時は自重を支えるために極端に速くは飛べず、降下することで一時的に高速化するという性質がある。よって、水流に乗った奥方が一番速く、また蝙蝠女の飛行速度にはウコンの瞬足ならば追跡可能であった。


「ほら、もう滝の唸り声が聴こえてきましたよ。観念するのです、ユキノジョウ」


 その呼びかけに、奥方は水面から顔を出して大声で返す。


「私は虎、白虎族なの! 猫族は泳ぐのが苦手だって知らないの!?」


「泳げる猫族だっておりましょう、そんなの何の証拠にもなりません」


「じゃあ!」


 奥方は滝に差し掛かる寸前の、川の中州に辿り着いて、そこで脇差を――。

 己の胸元に、脇差の刃を向けたのだ。


(まさか、奥方様……!?)


「自刃して果てるつもりで? いいでしょう、見届けてあげましょう」


「さぁ、とくとご覧なさい」


 奥方は胸に、脇差の刃を刺した。

 否、胸元の“サラシ”に刃を差し込み、内側から切り裂いてしまったのだ。


 千切れ、濡れたさらりがするすると落ちていく。


「なっ」


 蝙蝠女は予想外の行動に、そして驚くべき真実に言葉を失い、脚に掴んでいた刀を取り落とした。

 白日の下に晒さらされた“証拠”に、誰もが目を奪われた。


「そそそ、その駄肉は何ですか!?」


 動揺する、混乱する蝙蝠女。


「うわ、でっか、おっぱいでっか!」


 隠れていたはずのサコンまでしれっと草むらから顔を出して、品のないことを叫ぶ。

 衝撃すぎる出来事に頭が真っ白になっていたウコンは、サコンのアホな一言で我に返った。

 サコンが今こうして顔を見せたということは要するに、もう危機は去ったという判断なのだ。


「鎮まれい、鎮まれい! ここにおわすお方を誰と心得る!」


「は? なんだその口上は」


 サコンは大仰に振る舞って、奥方の胸元を強調してみせる。


「この巨峰が目に入らぬか! 恐れ多くも先の隣藩、氷山藩筆頭家老一門雪代家御息女、雪代ノ姫君であらせられるぞ! 頭が高い、控えおろう!」


「は、ははーっ! ……ってなるか、アホギツネ!」


 どこぞの諸国漫遊記を元にした芝居で見たような場面を前に、ついウコンはひれ伏してしまった。

 そんな悪党も平伏するほど天下に轟く威光溢れる巨乳などあってたまるか。


「あ、あの、サコン、それくらいにして……」


 当の奥方も恥ずかしいのか、女人揃いの場とはいえ、その見事な胸元を大事そうに抱えて隠した。


(くっ、サコンのやつが余計なことを言ったせいで。いや、しかし恥じらうお姿もまた……)


 等と横道にそれるが、重要なのはこれで誤解が解けたであろうことだ。


「ユキノジョウ、まさか、……女だったとは!」


「どうみても別人だ、別人!」


 河原に降り立った蝙蝠女は落ちた刀を拾い、まだ戦う構えを示しているが、さすがに自信がもてないのか暗澹と渦巻いていた殺気がすっかり失せているようだった。

 蝙蝠女はウコンを一瞥して、頭を振った。


「いやしかし、行商人から伝え聞いた情報通りでは……」


「情報、それは?」


「“白虎族を騙る白毛黒縞の大柄な猫族と小狐のあやしい二人組が旅している”」


「――あ」


 この誤解の発端、心当たりがひとつ。

 そう、旅立ちの日、竜魔との戦いを避けようと行商人を相手にウコンがついたウソだ。


『この方は白虎族ではない、そう』


『でっかいしましまの猫です。ご覧なさい、この愛らしい寝顔を』


 ウコンは青ざめた。


「この方は猫族ではない、そう」


 長いこと春の川水に浸かっていた奥方よりも寒々と青ざめながら、こう言った。


「でっかいむちむちの虎です。ご覧なさい、この愛らしい照れ顔を」


「む、むちむち……!?」


「……トラ、なのですか」


「トラです」


 こうして誤解は解けた。

 後々振り返ってみれば、まことに虎猫バカげた話しであった。


第二十話、お読みいただきありがとうございました。

突如として現れた謎の仇討ち蝙蝠女、一体なにものか?

第二章の重要人物ついにおでましでございます。

今回のオチでもある虎猫のくだりについては、第一話2/2をご参照あれ。

それでは、今後ともよろしくおねがいします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ