第十九話「ふんどしとアユ」
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奥方曰く、稀に殺気めいたものを感じるというのだ。
湯治場での滞在は三日目、その間にすれ違ったり会話した相手はそれなりに多い。
湯治場には宿泊する宿だけでも数組の湯治客、それに各地からやってくる一夜湯治の観光客も含めると候補を絞り込むのは容易ではない。
奥方は単に白虎族というだけでも奇異な目でみられ、男装の不自然さに気づいてしまった者もいるやもしれないので、他人の視線を浴びる要因はいくつもある。
しかし明確に殺意を感じさせる、となれば話は別だ。白虎族、それに狐族も比較的感覚が鋭い種族で、漠然としていてもそういった直感は頼りになる。
けれども滞在七日目に至り、一行はまだ殺気の正体を掴むことはできずにいた。
「ウコンさぁ、気になるんだったらいっそ敵を釣り出してみるってのはどう?」
「罠にかけるのか、しかしどうやって」
「場所と時刻をわざと公言して、人目につかないところで無防備な振りをするのはどう? 実際にはあたしとウコンが待ち伏せしておいて、のこのこ出てきたところを捕まえるんだよ」
「少々危険だが、いつ襲ってくるかもわからん現状よりはいいか……」
こうして“釣り”の決行が決まった。
「鹿女川で魚釣りを?」
「はい、ここ数日食事も代わり映えせず、節制のために川魚を捕まえて食すのはどうかと」
「川魚……いいわよ、川遊びは久しいから楽しみね」
八日目の午前中、鹿女川上流。
鹿女温泉郷より少々川沿いに登って、一行は上流にある河原へとやってきた。
(ここに来る前、それとなく行き先を流布しておいた。あとは獲物が掛かるのを待つか……)
一行、といってもサコンは別件の用事があるとして離れ、実際はどこかに隠れ潜んでいる。
つまり、奥方とウコンのふたりだけが河原にいるように見えるわけだ。
「旦那様、このあたりで釣りましょうか」
「う、うむ、そうするでござる」
(いつまでも上達しないな、この人の男芝居は)
じつは当世、魚釣りは一大流行であり、とくに侍は趣味として釣りに興じるものが多かった。
この時代、武士階級は平時に人手が余っており、暇を持て余しがちだった。魚釣りというものは手軽さと実益を兼ねており、釣り場も手近なのでこぞって興じたのだ。
無論、侍だけでなく、余暇さえあればどの身分でも、女子供でも釣りは興じることは容易かった。
天蚕糸という半透明の魚に気づかれにくく丈夫な釣り糸が普及したことも追い風だ。
(そこそこの釣り竿を借りることができた。あとは忍術で細工すれば……)
かくいうウコンも釣りは少々嗜んでいる。忍び里での貴重な美味しい食材を、野山を駆け回ることもなく川辺でのんびりしていれば調達できるのだ。まさにこれぞ一石二鳥。
護衛の仕事上、魚釣りに没頭しすぎるわけにもいかないが、ウコンは良い気晴らしだと意気揚々。
「ウコン、刀を預かっていてちょうだい」
「あ、はい」
と二振りの竜魔刀を渡されたかと思えば、奥方はそのまま侍装束を脱ぎ始めたではないか。
(なっ! なぜ今はだかに……!?)
丁寧な手つきで衣服を脱ぎ、畳む。ウコンがあっけにとられる間に、奥方は裸身を曝け出した。
いや、正しくは胸元の晒しとふんどしまでは脱いでいない。
前面に垂らし布のある白地の越中ふんどしは、当世では一般的な下着の一種だ。男女を問わず、ふんどしは一般的なものである。
ふんどしを見られることは別段恥ずかしいことでなく、当世、普段着の範疇である。
とりわけケモノビトの場合、被毛が豊かな種族ほど必要最低限を隠せていれば露出は多くて構わない、とする文化がある。力仕事に従事する男は大抵、暑ければ脱ぎ、寒ければ着るといった調子だ。
むしろふんどしでは隠れない臀部に至っては、脚線美の一種として小粋なものとされた。たくましく美しい尻と尾を有している男はモテたりするわけだ。
(しかし、ああ堂々と……)
真夜中の川湯で目にした奥方の神秘的な裸身とは、また大きく印象が異なるのは、陽光さんさんとした河原のせいだろう。ふっくらと肉づきつつ適度に引き締まった大きな尻は力強さと柔らかさを兼ね揃えていて、中性的魅力があるともいえた。
川面に照り返す日差しがきらきらと輝いて、奥方の背を飾っている。
奥方の裸身を見るのは風呂に着替えにと機会が多く、慣れてきたつもりであったのに、新鮮味のある状況下だとまた違ってみえるもので、ウコンはまた胸のときめきを覚えてならなかった。
(なんてお美しい……)
「お、奥方様、どうしてお召し物を……?」
「どうしても何も、魚を捕るには泳いで捕まえるのが一番早いのよ」
「さ、左様で」
雪解け水もいいところの春のほの冷たい川の中へ、奥方は褌と晒しのみで浸かっていく。
足の届かない深いところにすっと潜っていけば、ざぶんと沈み、しばらく浮上してこない。
(まさか溺れやしないだろうか……)
ざばんっ。
心配していた矢先、水しぶきをあげて水面に顔を出した奥方は大きな川魚を口にくわえていた。
一尺はあるイワナだ。
ぴちぴちと尾を動かしてもだえるイワナを、奥方は噛みついて離さず、そのまま川岸へ戻る。
竹編みの魚籠にイワナを入れて、奥方は自慢げにふふんと鼻を鳴らした。
「ね、簡単でしょ?」
「どこがっ!」
奥方はきょとんと目を丸めて、小首をかしげる。
「すーっと潜って、川魚を見つけたらさっと捕まえるだけよ?」
「あなたにもできる、みたいな言い方なさらないでください危険なので真似しませんよ」
「確かに、川を甘くみてはいけないのだけど……けど、きっとだいじょうぶよ」
奥方はまた浅瀬に戻り、背中越しにウコンへあっけらかんと言ってのける。
「だって、あなたがそばに居てくれるのよ?」
その一言が。
その一言が、ウコンは無性にめんどくさくもこそばゆくて、言葉に迷いながらも。
「そう、ですが」
と返して、川面に潜る奥方をまた見送るのだった。
川べりで焚き火して待っている間に、奥方は次々と川魚を捕っていく。
イワナにはじまり、アユ、ヤマメといった美味だとされる川魚をうまく選んでいるようだ。
悠長に釣り糸を垂らすより、確かに直接に潜って手掴みする方が類稀な水中能力さえあれば効率が良いというのはわからないでもない。
ウコンの知る限りでも、カワウソのケモノビトは泳ぎによって漁をして暮らすものも多い。
しかし皆して泳いで捕るわけではなくて、カワウソでも泳ぎは個人差があり、てんで泳げない丘育ちのカワウソなんてのもそう珍しくはない。
魚籠がいっぱいになったところでウコンはアユを下処理して枝に刺して、焼き魚にした。
「うん、香ばしい匂いがしてきたな」
アユは大きすぎず小さすぎず、澄んだ水で育ったアユは内蔵の臭みもなく、全身が食べやすい。
ほどよく塩をまぶして焼けば、川釣りの定番、アユの塩焼きのできあがりだ。
「は~、あったかいわね~」
焚き火に手をかざして、濡れ冷えたカラダをあたため乾かす奥方もアユが気になるようだ。
いざ出来上がったアユにかぶりつくと奥方は思わず「むほっ」とうなった。
「とれたてのアユなんて久しぶり、やはり絶品だわ!」
奥方は丁寧に、しかし口だけでアユを食べる。歯と舌で身を削ぎ、骨をきれいに残していく。
うっとり酔いしれるように時折目を瞑っては「んーっ」と小さくうなるのだ。
(ホントに、しあわせそうに食べるお方だ)
ウコンも一口、真似してアユの焼き魚を食してみる。
鮎。
その美味さは、何といっても香りに尽きる。火と塩と川魚の調和はとても上品なのだ。粗野な調理法だというのに、これ以上なにか手を加える必要があるのかと言いたくなるほど完成されている。
川のせせらぎ、鳥のさえずりを耳にしながら焚き火のそばで鮎を食む。
もはや様式美だ。
「ウコン、あなたってば、しあわせそうに食べるのね」
くすっ、と奥方はそう微笑んだ。
ウコンは「貴方様こそ」と言い返して、照れながらむすっとアユをほおばるのだった。
第十九話、お読みいただきありがとうございました。
実質水着回!
と言い張りたいのですが、どうみてもふんどし回です水着なんてなかった……。
アユの塩焼き、川魚といえば外し難いものですね。
釣ったイワナは後々どう料理することになるやら。
今後ともよろしくおねがい致します。




