第十八話「湯治宿と温泉卵」 2/2
「いただきます!」
丁寧に手を合わせて奥方はお膳を拝み、待ちきれないとばかりに食事をはじめた。
例によって例のごとく、三つの膳は奥方を上座、ウコンとサコンは下座に並べてある。
しかしながら最初の宿場町と違うのは、今回の料理は質素だということだ。
自炊湯治ということは共同調理場で自ら作り、食す。食材も自前調達だ。それゆえ掛けられる手間も、用意できる食材も限られるので、サコンの裁量次第といえる。
で、その質素な食事というのは、白米に汁物、茹でた鶏卵だけときている。しかしながら白米だけは多めに盛ってあり、いささか面白みが足りないときている。
「は~、ごはんが美味しいわ~」
「奥方様、意外と食にこだわりませんね」
「私のような武家の者は民草のお年貢で生かしてもらっているようなものなのです。贅沢ができるときはありがたく堪能しますが、十分に食べられるだけでも感謝しなくてはなりません」
「また無駄に高尚な物言いを、どこの受け売りですか」
「母君の教えです。その母君もまた祖母にでも教わったのでしょう。それにちゃんと美味しいわよ」
「サコンの手料理はいつも食べてるので、そこはいつも通りでして……」
さぞ空腹だったのだろう。奥方はささやかな汁物だけで茶碗一杯の白米を、茹でた鶏卵でもう一杯をあっという間に平らげてしまった。
ウコンも食してみるが、ほとんど忍び里でいつも食べてる食事と同じでありがたみはない。いや、空腹のおかげで美味しいには美味しいが、格別な違いは……。
「いや、何だこの茹で卵は……うまい」
当世、食膳にある調味料といえば、第一に手塩皿である。
“手塩にかけて育てる”等の、あの手塩というのは、手ずから塩を振っては自分好みに調味する食習慣からきている。
この茹でた鶏卵には手塩を振ったのみ、それで格別に美味いのだ。
やや固めに仕上げ、白身も黄身もジュクジュクとせず、それでいて粉っぽくもないほのかにとろみのある塩梅も食べやすく、味わいにはコクがある。
余計な風味のない塩の粒立った少々鋭い味が、まろやかでほの甘い鶏卵の味を引き立てている。
たきたての白米に手塩の茹で卵、これは存外に美味だ。
「ウコンったら、一口食べたらもう夢中なんだからかっわいいよねー」
「うるさい! 何だ、この鶏卵は!」
「地獄蒸し温泉卵だよー。このへんには温泉を利用した蒸し場があって、じっくり卵を蒸してあるんだけど、そっちは固茹で、こっちは半熟玉子なんだ」
とサコンは卵を割って小皿にちゅるんと中身を落とす。白身がつるんと皿の上を揺れ滑るさまは、確かに半熟だ。手塩をさっと振り、白米と共に食んでみるとみずみずしくふわりとした食感に、とろりとした魅惑の舌触り。
山菜汁もなかなかに美味く、あっという間に質素で味気ないはずの食事を平らげてしまった。
「ごちそうさまでした。……これは、山菜もなにか工夫してあるな」
「地獄蒸しで山菜もいっしょに蒸してあるんだよー。そのままのもいいけど、蒸して煮ると甘みが引き立つんだよね。とはいえ普通は手間でさー」
「ああ、言われてみると鶏卵はいつでも手に入るが、面倒で茹で卵なんてやる気がしないな。そのためだけに火を起こして竈門で突っ立っているのはな、加減も難しそうだし……」
「湯治場には蒸し場があるから、蒸籠に入れて放っておけば出来上がりだもんね」
「……いつでも火を起こさずに好きなだけ湯が使えて風呂も料理もお手軽? ずるくないか?」
薪木を拾っては焼べ、井戸水を汲み、竹筒を握ってふーふーする日常茶飯事の面倒さときたら。
ウコンはなぜ自分はあんな忍び里に暮らしていて、温泉地で暮らせないのかと不幸を嘆いた。
「ずるいよねー。ま、温泉郷には山ん中すぎて大きな田畑を耕せないし、奥地の狭い地域だからみんなして住むわけにはいかないんでしょ。年中ここに暮らしたらそれはそれで飽きそうだし」
「それでも寒村暮らしよりはいい、冬でもあったかいんだろうなぁ」
忍び里も冬は寒いが、ウコンの生まれ故郷の寒村に至っては雪まみれでなぜあそこで暮らせているのか疑問なほどの過酷な土地だった。
皮肉なことに、寒さに強い狐族ほど夏場の暑さよりはマシと寒いところを選ぶのだ。
「ウコン、一生とはいかずまでも、これから私たちは三巡(※三週間)はここで暮らすのです。あなたの湯治が終わるまで、ここが私たちの住まいなのよ」
「……奥方様、お心遣い、感謝いたします。このウコン、しかと、療養させていただきます」
こうして初日はおだやかに終わった。
初日の湯治入浴は一回がよいとされていて、ウコンはその通りに温泉に浸かり、そして寝た。
静養しにきているので大きな変化もなく、のんびりと寝起きして食べては湯治する。これで忍者として護衛の仕事をこなしている扱いになるのだから役得であり、奥方様のおかげである。
「どう、怪我の具合は?」
「三日ばかりでは、どうにも……。調子はいいのですが」
「毎朝の稽古でも以前より滑らかに動けてみえるし、心身健やかなることは大きな力になるわ。仇討ちを先送りにするためにも、ウコンにはじっくり休んでもらいましょう」
湯上がりのウコンに対して、奥方は竜魔刀の手入れをしつつそう述べる。
上玉竜魔刀「鬼切真夜綱」。
この刀を握り、奥方は先日の長首の竜魔との戦いを生き残った。その際、刀の異能のみを用い、手ずから刃を振るったわけではない。奥方の実力ならば、おそらく直に切り結べばより活躍できたはず。そうせず、支援的に戦ったのは無用な手傷を避けるためだ。
奥方とウコンにとって第一の目的は、生き長らえること。
仇討ちという凶事を少しでも遠ざけ、先送りにする。しかしそれにも限度がある。
いずれ来たる窮地に備えて、少しでも万全にありたい。しかし――。
「奥方様、ここのところなにかお調べになっているご様子ですが、なにかお悩みでも」
「この鹿女温泉、近くに“魔境”があるらしいのよ」
「魔境……やはり散見される流離い人たちは魔境歩きなのでしょうか」
「魔境には得難い財宝が眠っているとも、恐ろしい危険が待っているともいいますが、好んで足を踏み入れようというのは流離いくらいと聞き及びます」
「私は魔境に踏み入ったことが一度だけあります、噂通りのところではありますが、しかし魔境は外界にすぐさま危害をなすものではありませんので、無闇に近づかなければよいのでは……」
「そうなのだけど、どうも気がかりで。それで鹿女の魔境について、一応調べていたのよ」
「転ばぬ先の杖というわけですね、賢明でございます」
奥方は竜魔刀の手入れを終えて、丁寧に鞘に納めると深くため息をつく。
「もうひとつ、悩みがあります」
頬に手を当て、心配そうに奥方はつぶやく。
「私、命を狙われているみたいなのよ」
「……はい?」
ウコンは急に降って湧いた命の危機とやらに湯上がりのぽかぽか気分を打ち消されるのだった。
第十八話、お読みいただきありがとうございました。
第二章、湯治場編のはじまりでございます。
毎度ながら旅にグルメに温泉だ! な珍道中とあって、しょっぱな食事のおはなしでした。
ゆで卵くらいは手軽にたべられそうにみえて、煮炊きの大変だった時代にはなかなか苦心があったのかなと思います。
サコンは料理上手の良い子です、はい。
引き続き、今後ともよろしくおねがいいたします。




