第十八話「湯治宿と温泉卵」 1/2
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湯治場、鹿女温泉郷。
歩きに歩いてようやく辿り着いたウコンサコン奥方の仇討ち旅ご一行。
いざ訪れてみて何より目立つのは、集落の中央を流れる鹿女川だ。山と山の狭間に川があり、その両岸に集落がある。つまりは川ありきの地域なのである。
森林は多少人手によって整えられ、雄大な自然の中にちょこんと間借りさせてもらっている程度の隠れ住むような木造の建物や橋が点在しているさまは、河川や温泉あっての集落という趣だ。
木漏れがおだやかに淡く輝き、野鳥のさえずりと清流のせせらぎが語りかけてくる。
「風光明媚とはこのことでございますね、奥方様」
「ちゅかれた……おにゃか減った……にぇむい」
ウコンの夢見心地を打ち砕いてくれる、へとへとうとうとぐーぐー奥方様の嘆き。
湯治場への道のりは街道を外れて、やや未整備な山道が続いたので疲労してしまうのは無理からぬこと。だとしても第一声が泣き言とは。
「奥方様、お宿でゆっくり休みましょう。もう少々の辛抱ですよ」
「はへ、はへ」
「地味にしんどいんだよねぇ、刀二本も腰に差して歩くのは」
前日に湯治場に入り、出迎えにきていた銀狐のサコンは荷物を一手に預かって元気そうに歩く。
「二振り合わせて一貫(約3.75kg)に迫るからな、それが一日中とは恐れ入る」
「しかも持ち歩いてないと怒られるんだもんねぇ」
「武士たるものいついかなる時も戦えるようにすべきと言われたって、重いものは重いからな」
「ちゅらい、ちゅらいわー」
舌をたらしてはひはひと遅い足取りの奥方を連れて、湯治場の宿へと到着する。
湯治場の温泉宿には主に二種類がある。
湯治のための長期滞在用の湯治宿と、一夜湯治や観光を主体とする短期滞在用の温泉宿だ。
長期滞在の宿はまず自炊するという大前提がある。三週間以上の長期逗留ともなれば、煮炊きや洗濯、掃除といったことを人手任せにするには金銭が掛かりすぎる。治療目的での、短いながらも“日常生活”を行う場として湯治宿は機能する。
一方、短期滞在用の温泉宿というのはまるっきり話が変わる。一日や数日の短い間に寝泊まりするだけでもっぱら観光用なので、食事はついてくるし寝具の用意や部屋の掃除も宿任せでいい。その分、日数ごとの金銭は掛かるが、娯楽として快適に過ごす“非日常”ならば納得できる出費だった。
そしてウコン達の泊まる宿は清貧なことに前者だ。
大きな旅館は外構えや内装は過度に飾っているわけでもなく、出迎えの接客も静かなものだ。年老いた鹿の女将さんが「ようこそおいでくださいました」と恭しく一礼してくれ、丁寧に案内もしてくれるが、これが観光宿なら若い宿の者が手荷物くらい運んでくれるところだ。
「お台所はこちらにござぁます。ご自由にお使いくださいまし」
なんて案内は、まず観光宿では経験できないだろう。
宿泊部屋に通されると、すぐに奥方はごろんと畳の上に横になってしまった。
「サコン、なにか食べるもにょ、もにょ、……くかー」
奥方は食事を欲しがりながら疲れて寝てしまった。よもや布団を敷く暇もないとは。
「すぅすぅ」
「のんきなお方だ。うたた寝好きの私だってこうは寝れないぞ」
「寝る子は育つというけど、でっかさの秘訣はそこなのかなぁ」
ウコンはサコンと協力して布団を敷き、二人がかりで奥方の巨体を布団の上にどうにか転がした。
(なんて重いんだ……)
奥方は背丈も体重も大型肉食系ケモノビトだけあって並外れている。まだ成長途中の若いウコンやサコンとは、大根と人参くらい違う。重量のみでいえば、ウコンとサコンを足してもなお奥方の方が重いのではないかというほどだ。
「うわ、なにこの毛すっごい指が沈むんだけど」
「おいサコン、寝てる者をみだりに触るなよ」
サコンは寝てる奥方を浴衣に着替えさせる合間に、その素肌というか白黒の体毛を堪能している。
といっても、ウコンサコンも狐族ゆえ長めの被毛はある。自分の被毛を触ればいいのでは、とも思うが、やはり種が異なると触り心地が違うというのは無きにしもあらず。
「あ~。この春先の換毛期の長短入り混じった毛皮はいいよね~。ウコンのとも甲乙つけがたい」
「おい私のと比べるな! お前はすぐ寒くなると人にくっついてくるな」
「ウコンだってまんざらでもないくせに」
「鬱陶しくても寒いよりはあったかい方がマシだからな」
ウコンもそれとなく、奥方の触り心地を確かめてみる。
白虎族の被毛は二層に分かれており、内側は保温、外側は撥水に向いているらしい。厚みがあり、ふかふかとしている。柔らかすぎず、硬すぎず。干したてのふとんに近い良い匂いだ。
「むにゃむにゃ」
(これは……確かに良いものだ)
ケモノビトならば無条件に被毛は触り心地がよい、というわけではない。
まず種族ごとに差異が大きく、次に健康や栄養状態、そして手入れも関わってくる。白虎族という種族、十分な睡眠と食事、さらに手入れも入念で風呂好きの奥方は、まさに最高の毛皮を持ち合わせているのだ。
逆に、比較的優れた毛質を誇る狐族のウコンサコンも仕事の都合で数日野山で寝泊まりした後は、どうしても毛質は痛むしなんやかんやと汚れもついてしまって堪能できるような代物でない。
(……指が離れん)
もふもふとした感触がクセになるだけでなく、つい、柔らかな肉づきまで確かめてしまう。
つい二の腕を揉んでしまったが、絶妙に太くて柔らかい。ほどよい贅肉としなやかな筋肉がつき、被毛も相まってウコンの二倍、いや三倍は太いのではないかという二の腕だ。
軽々と竜馬刀を振り回せる優れた膂力は、やはり生来の体格に裏づけされるところが大きい。
「ウコン、まだやってんの?」
(はっ)
先に触っていたサコンはもう飽きたのか、奥方を浴衣に着替えさせ布団を掛けようとしていた。
ウコンは気を取り直して手伝い、枕元に竜魔刀を置くなどして奥方をちゃんと寝かしつけた。
「さて、寝て起きたら第一声におなか減ったとおっしゃるだろうからね、なにか準備しよ」
「頼む。わたしも少し休みたい」
「ん、じゃあごゆっくりー」
サコンが食事の支度に出払ったところで、ウコンも奥方のそばで寝ることにした。
寝る、といっても護衛なので座ったままいつでも起きて動けるよう備えてだ。
旅疲れもあって、ウコンはたちどころに眠りに落ちていった。