第十七話「朝稽古と高楊枝」
■
宿場町での朝食の支度中、ウコンは意外なものを目にする。
脇本陣の庭先で、目覚めて間もない奥方が竹刀を握ってぶんぶんと素振りをしていたのだ。
(あ、このひと鍛錬なんてするんだ……)
考えてみれば当たり前である。
雪代ノ奥方はいざ戦ってみれば十二分に強かった。雪代家や白虎族、上玉竜魔刀と抜きん出た強さの理由はいくつかあるが、当然、武芸の鍛錬を積んでいるという前提もある。
奥方のやってることは特別な鍛錬法ではなく、基礎的な素振りなれど、基本はなにより大切だ。
(等と、わかっていても長続きしないもので……)
ウコンとて忍者としての修練は積んでいるが、基礎の反復練習はとにかく嫌いでしょうがない。
同じことを延々と毎日繰り返す、ということが億劫でならない。
ウコンはより高等な忍術や体術を会得することはまだ楽しめるが、一見して上達がわかりづらい基礎訓練ほどやる気が出ない性分なのだ。
(凛々しいな、しかし……)
ウコンに盗み見られていることにも気づかず、奥方は黙々と真剣に素振りをつづけている。
(いつまでも飽きもせず、これだから武士という連中は度し難い……)
と奥方の研鑽を盗み見るウコンは、その愚直さに呆れつつ終わるまでじっと眺めるつもりが――。
「よし、はらごなしはおしまい!」
そう清々しく叫んで、奥方はすっぱり朝の鍛錬をやめてしまった。
「ふわーあふ、あーおなかすいたわー」
(五十回も振ってない……!)
あくびかみかみ、奥方様、大口開けてふわふわあふあふ背伸びをぐーん。
完全に、いつものひだまりでうたた寝する家猫のようにのんきな奥方に戻ってしまった。
「あらウコン、もう朝ごはんができたのかしら」
「いえ、まだ。それより奥方様、鍛錬はもうよろしいので?」
「ああ、これはこれでいいのよ」
奥方は竹刀を袋に納めながら、額の汗を袖で拭っている。
「素振り稽古は無闇にしすぎると肩や手首を痛めるのよ。振る回数をこなすことを意識しても、実戦では何十回と振ることはまずなくて、下手すれば一太刀でおしまいでしょう? 質を意識して、一回ずつをきちんとこなすことが大切なのよ」
「……なんで」
「へ?」
「なんで、奥方様なのに剣術の師範みたいなクソ真面目なことをおっしゃるのですか!?」
「えっ!?」
「同じ鍛錬嫌いだと信じていたのに、我々は仲間ではなかったのですか!」
ウコンはまさに裏切られた想いだった。
自主的に訓練を積むのがイヤでしょうがないウコンにとって、むしろ素振り稽古をあっさり放り捨てる奥方の方が共感できるのに、それが適切な訓練方法だといわれては立つ瀬がない。
同僚のサコンもああみえて修行には熱心に取り組むので、ウコンにはもはや疎外感しかない。
「お、落ち着いて! わたしも鍛錬は嫌いなのよ!」
「ほ、本当に……? 本当にお嫌いであらせられるのでございますね……?」
「ええ、嫌だからこそ少ない回数でも効果のある鍛錬を選んでいるのよ」
「左様で……」
ウコンは心底、ホッとした。
もし鍛錬が過度に大好きなお武家様であったとしたら、無理やり付き合わされかねない。
ただでさえ長距離徒歩移動を繰り返す長旅なのに、ここに日々の激しい訓練などまさに地獄だ。
ウコンは奥方のほどよいゆるやかな気質の大事さを、心底にありがたいと噛みしめる。
「文武両道というでしょう? 武士だからといって武術の鍛錬だけしていればいいわけではなくて、稽古は欠かさず、けれど学問もおろそかにせず。古来、武芸は重んじられてはいるけれど、武芸しかできないようでは立派な武士とは言えないのですって」
「学問は私も嫌いではありません。血と汗を流さず、痛い思いをせず、寒い日は暖を取りつつ、暑い日は日陰で涼みながら真面目にやっていますと周囲を騙せますので」
「ウコン、筋金入りなのね……」
「いかに自己研鑽をしようとも忍び里の手駒としての使い勝手が良くなるだけのことですので」
「……そのわりに、だいぶ研鑽を積んでいるようだけれど?」
「やむなくにございます」
忍者の修行は厳しい。かといって無意味に過酷なわけではなく、例えば毒に慣れるべく少しずつ毒を摂取させる、なんて無謀な真似はしない。他里はともかく、ウコンの里はまともだった。
武芸と学問、忍術を習うが、この忍術というのは半分は職業訓練である。情報収集をするにあたって、何らかの職業を装うことは必要不可欠であり、戦闘技術より重視された。忍者にとって戦うのは最終手段であって、まず敵に見つからず隠れきることが第一なのだ。
逃げ隠れを重んじる点だけは、拾われた先が忍び里でよかったとウコンは考えている。
「私はどうも性格に難があって、周囲に馴染みづらいのです。潜入や諜報が不得手なばかりに、なにかと武芸の才を見込まれて荒事を任される。力量不足で死にたくはないので嫌々ながらあれこれ覚えた次第で、鍛錬は本当にいやでいやでしょうがないのです」
「ふふっ、それじゃあ私たち、鍛錬いやいや同盟ね」
「もっとマシな言い方はございませんか」
「かっこわるいくらいでちょうどいいのよ、だってナマケモノなんですもの」
奥方は脇本陣の備品として備えてある竹刀をもう一本探してきて、ウコンに手渡してきた。
自らも竹刀をまた握って、一緒に稽古をしようというのだ。
「素振りは程々にして、打込稽古をこなしましょう。相手になってくれる?」
「いやです」
「え」
「絶対いやです、いやに決まっております」
「ど、どうして……?」
なぜ嫌がるか、一目瞭然である。奥方の背が高すぎて、ウコンからは朝日が隠れてみえるのだ。
種族的身長差がありすぎて、竹刀といえど武器を握って対面する気力など湧くはずがない。
白虎と狐である。
「奥方様の馬鹿力で竹刀を振り下ろされて、私のような小狐に受け止められるとでも!? 豆腐のように砕け散る自信がありますよ、ええ!」
「あー……」
想像がついたのだろう。奥方もなんだか申し訳無さそうにうつむいた。
「い、いえ、打ち込むのはウコンだけでいいのよ。私は受け手をやるわ」
「そういうことであれば……」
剣術の稽古には大きくわけて五つ、種類がある。
素振り稽古、型稽古、打込稽古、試合稽古、見取り稽古である。
素振りは見たまま竹刀や木刀、真剣を振るう単純明快ながら基礎中の基礎となる稽古だ。
型稽古は武術の流派ごとに決まった「型」を習い、精密な動作と反射を身につける。素振りより高度な一人でもできる稽古であり、極まれば剣舞のような流麗さを会得できる。しかし見栄えに重きを置きすぎると実戦とかけ離れるため、型をどこまで重視するかは人それぞれである。
打込稽古、試合稽古はどちらも一対一の対人稽古である。より実践的になり、素早い太刀筋を身につけられるとされる。なにより打つ手応があり、競技や遊びとしての面白みがあるので人気があるものの、打ち合いになるので怪我しやすい難点などもある。
見取り稽古はそのまま見て学ぶこと。型稽古や試合稽古を正しく分析しながら見ることができれば、実践とは異なる経験が得られる。ただし見ているだけではつまらないという者もいれば、競技としての勝敗だけを見ていて学ぶに至れない者も少なくない。
(打込稽古か、竹刀では久しぶりだな……)
ウコンの場合、剣術家ではないが最低限の剣術は学んでいる。竹刀や打刀のような長物は持ち歩かず、隠し持てる短刀や暗器しか使わないので不得手ではある。
「本当に、反撃をなさったりはしませんね。打たれるのはいやですよ」
「ええ。それとウコン、寸止めでおねがい。私だって痛いのはいやですから」
ふたりは深呼吸して、間合いを見計らいながら対峙する。
バシンッ。
受け手の奥方が竹刀を平に構えて示した攻撃箇所を目掛けて、ウコンは踏み込みざまに叩く。
竹刀の心地よい快音が、朝食前の庭先に響く。
太刀さばきや足運び、基本を忘れないようしっかりと意識的に打っていく。
不思議なもので、やるまではひどく憂鬱だが、やってみれば清々しいのが鍛錬の妙である。
「次はここ、竜魔の頭を打ち据えるつもりで、この頭上の竹刀に振り下ろしてみて」
「はっ」
戯れにか、奥方は高々と竹刀を掲げた。八尺近い(2m30cm前後)のではないか、というほど高い位置にある竹刀を、たかだか五尺もない中型ケモノビトの小娘に上から打てというのだ。
一見して無理難題、しかしウコンはすぐさま最小の助走で、ばっと跳躍してみせた。
飛び上がることまさに八尺の高さに達して、ウコンは空を舞った。
「お見事!」
バシンッ。
竜魔の首に見立てた竹刀を、ウコンの飛び斬り一太刀が勢いよく弾いた。そこまではよかった。
「わっ!」
受け太刀した衝撃が強すぎて、弾かれた奥方がそのまま「わたたっ!」とよろけ、よっとっとと片足で跳ねた先には石があり、終わってみれば盛大に大の字になって地面に転ぶ結果となったのだ。
一方、ウコンは忍者らしく軽快な身のこなしで綺麗に着地せしめている。
「ぎゃふん!?」
「奥方様がなんとも古風な悲鳴を……、あの、大丈夫ですか?」
「うう、痛いのはいやだって言ったのに」
「涙ぐんでおられる……」
奥方は土を払いつつ、情けなく痛がりながらよろけながらのっそり起き上がろうとする。
ウコンはすかさず助け起こして、怪我が無いことを確かめる。
「いいのよウコン、気にしないで。今のは戯れが過ぎた私のせいだから。それにしても、得意だとは思っていたけれど、ウコンはあんなに悠々と飛び斬りを浴びせられるのね」
「私のような小兵が竜魔の首を討つにはこれしきの芸当、あって然るべき。奥方様の方こそ、地に足つきながらあの高さに届くのは反則めいていらっしゃる」
「あははは……生まれついてのものですからねぇ」
等と歓談していると朝食の膳を抱えて、縁側に立つサコンが「おーい」とふたりを呼んだ。
「うわ! なに食事前に土まみれになってんの、ちゃんと着替えてきてよね」
ぐ~。
湯気立つできたての白米を目にして、奥方は腹の虫を鳴らす。
ウコンとサコンの視線が一点、奥方の赤くなった丸顔へ集まる。
「い、致し方ないことではなくて!?」
「さうですね、奥方様は食前の腹ごなしをなさっていたのですから、そうもなりましょう。ですが、お食事は身綺麗になさるまでおあずけですね」
「そんなご無体な~!」
「どうせ鍛錬にかこつけ、美味しく食事をなさるために腹ごなしをなさってたのですから、もう少々空腹であっても好都合ではありませんか」
「うう、あしゃごはぁん……」
武士は食わねど高楊枝。
貧しくとも腹が減っていても、浅ましく情けない姿を見せぬよう満腹のふりをするという言葉。
格好つけるでもなく空腹にもまた涙ぐむ奥方様は、やはり武士らしからぬお方だ。
「おあずけ、朝食はおあずけにございます」
「殺生な! 殺生なぁ~!」
奥方様には高楊枝より串団子の方がお似合いであることだろう、とウコンは想像しては微笑した。
第十七話、お読みいただきありがとうございます。
江戸時代の剣術の鍛錬というのは素振りと型稽古がはじめ主流、防具の普及以降は打込稽古や試合稽古が人気を博したといわれております。
ケモノビト達の場合、対人とは別に竜魔狩りの想定をせねばならないため、ケモノビトの人体では想定されない高所への攻撃手段も訓練せねばならないというこぼれ話ですね。
雪代家の場合、鍛錬しようにも睡眠時間が長くて活動時間が短いので、無闇に長時間の修練をやるのは効率的ではないという事情があります。それに種族柄、疲れやすいのです。
しかしながら空腹の時ほど食事が美味しいのは我々とケモノビトできっと変わらないことでしょう。
引き続き、よろしくおねがいいたします。




