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第十六話「野うさぎと野きつね」

「みてみてウコン! 野うさぎだわ!」


 道中、林道を歩いていると不意に雪代ノ奥方はそう叫んでは目を輝かせていた。


「ほら、ほら! こっちこっち!」


「ん、あー、野うさぎ……ですね、はい、そうでございますね」


 草むらでもひもひと草を食む野うさぎ。


 奥方とウコンとは一定の距離があり、長い耳を立てて警戒しつつも逃げる様子はない。

 奥方は刺激して野うさぎが逃げないよう気をつけつつ、じっと観察している。


 虎視眈々と、獲物を狙う猛獣に見えなくもない。


「昼食のおにぎり、足りませんでしたか?」


「食べないわよ!?」


「では、なぜまた野うさぎなどをじっとご覧に」


「野うさぎよ! だって野うさぎよ!」


「ええ、ですから野うさぎでしょう……?」


「……野うさぎなのよ? ウコン、野うさぎは嫌い……?」


 不思議なものを見るかのように小首を傾げられてしまった。


「それはまぁ、好きですけど」


 ウコンは野うさぎの“味”はよく知っている。

 忍者の訓練として、俊敏に動きまわる野うさぎを捕まえるという修行をしたことがある。

 野生動物のきつねにできて、ケモノビトのきつねができないようでは困るという話だ。


「わたくしこれまで野うさぎを見かける機会が滅多になくて、ええ、ケモノビトのうさぎも愛くるしい者が多いのですけれど、やはり原種のうさぎは格別に小さくて可愛らしくて……」


ってきましょうか?」


「捕ってくるなんてダメよ、旅路の途中なんだから飼えるわけでもないもの」


「はぁ、買おうと思えば買えると思いますが」


 奥方の食欲は旺盛であらせられる。

 ほわほわと花が舞い散るような空気を纏って夢想しているが、どんな食べ方を想像しているのか。


「それにしても、おいしそうねぇ」


(やはり食べる気なのか……)


 奥方は草を食む野うさぎをうっとりと見つめている。なんて食い意地が張っているのか。

 目を細め、慈しむようなおだやかな表情は哀れみだろうか。


「雑草、美味しいのかしら」


「今食べてるのはシダですね。野うさぎは食べれる植物は選ばず食べます。木の実や木の葉、やわらかい樹皮も食べます。しかし意外な植物が食べられないのです、ご存知ですか?」


「わ、わさび……?」


「それはそうでしょうが、正解は土に埋まっている野菜全般です。人参や芋ですね」


「え、どうして? 掘り起こせば食べるでしょう?」


「土を掘り起こすことは得意でも、掴んだり持ったりできる前脚ではないので難しいのだとか」


「あ、そっか。ケモノビトとは違うものね。にんじん、好きそうなのに掘り出せないのね」


「仮に掘れても無防備な後背を晒しながら長時間かけて掘っていたら、それこそきつねに捕まって一巻の終わりなわけですね。あ、人参の葉っぱは食べますよ」


「ウコンったら詳しいのねー」


「山暮らしだと習いますし、修行でうさぎを捕まえてさばいて食べたこともあるので」


「えっ!? 食べたの!?」


「……食べましたが?」


「さ、左様で……」


 奥方はなぜかウコンのことを血も涙もない恐ろしい悪鬼のように怖がっている様子。

 なぜに。

 肉食動物の頂点に立つ虎がなぜ子羊のように怯えているというのか。


「まさか、あなたこの野うさぎを食べる気じゃ……!」


「は? 食べたがっていたのは奥方様では?」


 お互い、顔を見合わせるふたり。

 誤解に気づいて、どちらともなくふたりは「どっ」と笑ってしまった。


「なぁんだ、私はてっきり貴方が食べたがってるのかと。ほら、きつねはうさぎを狩るそうだから」


「事実ですが、私の方こそ奥方様のことだからお召し上がりになりたいのかと」


「いえ、これは眺めて楽しむことにするわ」


 和やかな空気の中、奥方はじっと野うさぎの食事風景を観察するに徹する。

 可愛らしいものを愛でる様子は、若武者風の装いに反して、まさにうら若い乙女らしい。


 ウコンとしては野うさぎより、そうして微笑んでいる奥方の横顔をついつい盗み見てしまう。

 この可憐さと愛くるしさをなんと例えようか。

 天真爛漫な晴れやかさ、理知的な奥ゆかしさ、春風に揺られる野花のようにウコンは胸がすく。


「こうしていると不思議ね」


「何がです?」


「ケモノとケモノビトがどうして違うのか、なにが同じでなにが異なっているのか、神様仏様のお話を聞いてもなお世の中はわからないことだらけだわ」


「蕎麦屋のツクシも然り、奥方様の仕え人にもウサギもおりましたね。こうして原種と我々とを見比べると、たしかにわからないことだらけですが、ひとつ確かなことはあります」


「確かなこと、それは?」


「野ウサギも我々も同じく、今、道草を食っているということです」


 奥方は「あー」と意味を理解して、くすっと笑った。


「食事の邪魔をしても悪いでしょうし、そろそろ先を急ぎましょうか」


「はい、奥方様の気がお済みでしたら」


 がさっ。

 がささっ。


 野うさぎから目を離して、ようやく街道を歩こうと向き直った時、茂みから何か飛び出した。


 アカギツネだ。


 狐はぴょんと跳ねては野うさぎに飛びかかり、いともたやすく仕留めてしまった。


「うさぎが」

「ウサギガ死ンデル!」


 奥方が裏返った声で悲鳴のようなものをあげると、野生のきつねは獲物をくわえて逃げ去った。

 おだやかな野うさぎ鑑賞会は、野生の過酷な生存競争という大事なことを奥方に教えて閉幕した。


「きちゅね、きちゅね怖い……っ!」


 そして、その日はしばらく奥方にあらぬ濡れ衣で怖がられるウコンであった。

 虎視眈々ならぬ虎視恐々である。

第十六話、お読みいただきありがとうございます。

閑話その2、本筋と関わりのないながらも旅っぽい一場面です。

ウサギカワイイデスヨネ。


引き続き、今後ともよろしくおねがいいたします

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