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解決

挿絵(By みてみん)


「この《事件》には謎が二つある。一つは、お正月飾りが落ちていること自体の謎。もう一つは、二か月も早く、来年のお正月飾りが存在したことの謎」


 私は、織子の妙な迫力に気圧されて、まるで映画を見る観客のように、紡がれる言葉を聞き入っていた。


「結論から言うと、お正月飾りは誤って落とされたんだよ。誰かが故意に置いたものじゃない。でも、そうすると、最初の謎が顔を出す。すなわち《なぜその人物は、お正月飾りを落としたことに気づかなかったのか?》だ。その人物は、お正月飾りを落としたことに気づけない状況下に居た。その状況とは、一体どんなものが考えられるだろうねえ」


 織子が私に回答を求めていることに気づいて、ハッとした。私はすかさず、


「……目の、見えない人物だった?」

「違うよ。そんな人物にあんなでこぼこ道を歩かせてはいけない。答えはもっとシンプルだよ」


 織子の銀杏のような釣り目が、私の顔を、瞳を、まっすぐ見つめている。


「その人物は、車に乗っていたんだよ。だから、お正月飾りを落としたことに気づくことができなかった」


 なるほど、と一瞬思い、手をポンと打ちそうになったが、同時に湧いてきた疑問点がそれを打ち消した。


「後部座席に積んでいた荷物が、車窓を飛び越えたってこと? それこそ、考えにくいと思うわよ。そんな奇跡、あるわけがないし、何しろ、お正月飾りは道路のど真ん中に落ちていたの。窓から飛び出したなら、私の家の敷地内に入ってきそうなものじゃない」


 私がひとしきり反論すると、織子はクククと鼻で笑い始めた。


「待ちなさいな。誰が後部座席から飛び出したなんて言った? 違う。お正月飾りは、車の中にあったんじゃない。車の外側に付いていたんだ。ほら、最近はめっきり見かけなくなったけれど、昔は大勢いただろう。お正月になると、車のフロントグリルにお正月飾りをつけて走る車がさ。あそこの道は、かなりのでこぼこだからね。おおかた、紐の結びが甘かったんだろう。うちを転ばせたあの憎き大岩にタイヤが蹴躓いて、その衝撃でお正月飾りが外れた」


挿絵(By みてみん)


 幼い頃の記憶を辿ってみると、確かに、そんな車が昔はあったような気がする。しかし、


「それこそ、変じゃない。百歩譲って、今の時代にそういう車が走っているのはいいわ。でも、それは二か月も前のことなのよ。ハロウィンもこれからって時期に、お正月飾りをフロントグリルにつけて走るなんて、そんな能天気な車が、居るわけがない」

「そう、それが第二の謎だね。なぜ、その車はそんな早すぎるお正月を満喫していたのか。考えてごらんよ」


 そう言われても、見当もつかない。


「理由が、あるの?」


 私が、回答せずもじもじしていると、織子は、はっきりとした口調で自信満々に言いきった。


「その車は、時空を越えてきたんだよ」


 予想外の回答に、また眉をひそめてしまった。


「何も、ふざけているわけじゃないよ。その車にとっては、十月が既にお正月だったんだ。たった一つだけ、考えうる可能性があるじゃないのさ。今この現代で、文明の利器に触れていれば、誰もが一度は目にしたことがある──」


 何があるだろうか。二か月間の空白を瞬間移動してくる、文明の利器。

 十月に現れた車が、お正月にもう一度現われるとすれば──


「あっ」


 閃いた瞬間、思わず声が出てしまった。


「テレビ番組の、ロケね!」


 織子は深くゆっくりと頷いた。


「テレビ番組は、すべてが生放送なわけじゃない。当然、そのほとんどが前の日に撮影されてから、編集などの過程を経てお茶の間へ送り出される。テレビクルーがこの街に来たのが、十月の二十八日。そして──」

「放送が、新年なんだ」


 織子は、ようやく私が理解したらしいことを察して、笑顔を強めて言った。


「ロケバスなんかの、カメラに映らない車にお正月飾りをつけても意味はないよね。だとすれば、それが付いていたのはカメラが捉える出演者の車だ。そうなると、これがどんな種類のテレビ番組だったかまで、予想がついてくるよね。そのテレビクルーは、出演者が車を運転する姿を撮影したかった」

「だとすると、旅番組ってことになるのかしら」


 織子はまた頷いた。


「でも、それって、変じゃない? 私が言うのもなんだけど、ここは、観光名所すらない、土と水だらけ田舎よ。一体、何を撮影しに来たのかしら」

「あるじゃないのさ。この街にも、たったひとつだけ。それ目当てに、県外からも客が訪れる、最高の名物が」


 私は、重箱の蓋を持ったまま固まっていることを思い出した。そして、目の前にある重箱の中で輝いているそれに、ゆっくりと目線を落とした。


「──うなぎ、か」

「旅に絶対欠かせないものがある。グルメだよ。多分、テレビクルーはうちらと同じことを考えたんだ。駅前地域から取材を始めて、遠回りをするよりあの砂利道を通ったほうが早いことに気が付いた。だから、出演者一行はあの激しい砂利道を通ったんだ。しかし、それは、想定外の悲劇を引き起こした」

「お正月飾りが、取れちゃったのね」


 私は、納得して、安心したのか、ようやく体の緊張がほぐれた。蓋をゆっくりと机に置いて、優しい気持ちで、重箱の中に入っているそれを眺めた。


「テレビ番組の裏側は、詳しく知らない。でも、あの画面映えしない田舎道の撮影を、していなかったとしてもおかしくない。車のフロントを注意していなかった一行は、お正月飾りを落としたことに気が付かなかったんだ」

「道理で、私が拾ったお正月飾りは、特別豪華だったのね。画面映えを意識したんだ。二か月も前に来年のお正月飾りが存在したのも、それをテレビの美術さんが特注で作ったからだったんだ」


 広々とした座敷に、あたたかい時間が流れていた。店のすぐ横に生えている植え込みから、雪解け水がしたたり落ちていく。


 私たちのいる空間だけ、明らかに春であった。


 オレンジ色の室内灯に包まれながら、目を煌々と輝かせて織子が言った。


「食べようか」


 その細い目はいつにも増して優しさを帯びていて、美しい。今、私の目の前に居るのは、間違いなく豪農・有阿谷家のお嬢様である。


 その時に頬張ったものは、天国であった。入道雲のように、分厚くてふわふわとしたうなぎの実。一粒一粒、太陽の光を目一杯受けて育った珠玉のお米たち。そして、それを包み込むタレ。全てがかけがえのない思い出となった。


織子に向けて、「ありがとう」と、口の中で呟いた。




あと数日ばかりで、寅年である。




 年始は目が回るほど忙しくなった。


元日には親戚が、我が家で集まるためだけに、この田舎を訪れた。その親戚というのは、父上の弟 (つよしさんという)の家族なのだが、このつよしさんが、いつも煙を肌の周りに漂わせているほどのヘビー・スモーカーなのである。親戚が来るということで、いつも我が家では、家の物置から大きなテーブルをもう一つ引っ張り出してきて、リビングに追加する。それを食卓として皆で囲むのだが、席決めで、つよしさんの隣にでもなった日には、一年の始まりが最悪である。なにより、私の母上が丹精を込めて作った、お手製おせちの味が煙臭さでわからなくなるのは痛い。


それは例年感じているお正月の懸念なのだが、今年はさらに一風変わったイベントがあった。つよしさんの息子──私の一個下のしょうごくんが、高校に入学し、野球を始めたおかげで、いきなり坊主頭になったのである。しょうご君が車から降りてきた時には、出迎えていた我が家が揃って「あいつは、誰だ」と首を傾げたのが、初笑いであった。


それからは、つよしさんの「お前も酒を飲め、飲め」という呪文をただひたすら聞かされたり、料理を運んだり、反抗期真っ盛りのしょうごくんと打ち解けるためにトランプ遊びを持ちかけたりと、散々な新年一発目だった。


つよし家は我が家で一泊し、翌日、二日の昼に帰宅した。その夜は、せわしない元日で疲弊しきった私の体を、柚子風呂にゆっくりと浸けた。


 風呂から上がって、乾ききらないボブ・ヘアをタオルで滅茶苦茶にいじめながらリビングに出ると、父上が特大ソファに横たわり、テレビを眺めていた。すると、私の水気を含んだ足音に気づいたのか、父上はまっすぐテレビを見据えながら、こう言った。


「ふれん、ここ出てるぞ」


 それが、『私たちの住んでいる町がテレビに出ているぞ』という意味だと気づいた時に、髪の毛を拭く手が止まってしまった。


テレビの画面の中では、蚕のようにまるまると太ったお笑い芸人が、カメラに笑顔を向けている。そして、明らかにその背景は、私たちがよく知る駅前地域であった。


「こんなことってあるんだなあ」


 父上は、人生に一度あるかないかの偶然に、驚きつつも嬉しそうである。自分たちの住んでいる街にロケ隊が来ていたのだ。その反応は納得である。


 しかし、私が真っ先に思い浮かべたのは、織子の顔であった。あの日、うなぎを食べに行った日。織子の推理が噓であったと思っていたわけではない。しかし、いざこうして、真実をまざまざと鼻っ面に付きつけられると、人はこうも固まってしまうものなのだろうか。


 画面の中の太った芸人は、やがて水色の可愛い車に乗り始めた。

 その車のフロントグリルには、虎の絵が描かれた、お正月飾りが括り付けられていた。


 人間の心理とは不思議なものである。その時、自分の部屋に飾っていた例のお正月飾りを引っ張り出してきて、『見てみて、これ、二か月前に拾ったの』と言ったり、あの日、織子から聞かされた推理を、父上、母上のご両人にひけらかしたりしてもよさそうなものである。


 しかし、私はそんなことはせず、ただ、黙ってテレビを見入っていた。


 その時の気持ちは、今でも説明できない。ただ、少なくとも、世界の誰も知らないような秘密を、私だけが握っているような錯覚に陥って、心臓がどきどきしたのは覚えている。


だから、私はそっと、あの日の出来事を、二人だけの秘密にしたかったのだと思う。


 やがて、カメラはある料亭を捉えた。

《うなぎ本舗 みなみ》──


 見覚えのある、十台ほど車を停められそうな例の駐車場に、水色の車が停まった。

 私は、「ここだ!」と思って、車のフロントグリルを注視した。しかし、えてして、こういう番組は上手くできているものである。フロントグリルは、上手い事、画角から外れており、お正月飾りの安否を確認することは、ついに出来なかった。


 車から降りた芸人さんが、店内にお邪魔する。相変わらずの、暗いトーンを基調とした店内の奥から、目元のシワが深い配膳係のおばさんが現われた。


 ──あの時のおばさんだ。


 たかだか、数回言葉を交わしただけの、客と店員の関係に過ぎなかったが、知り合いが出ているような気分になって、自然と笑みが零れた。


 お座敷に通された芸人さんが注文したのは、《特上うな重》だった。


 運ばれてきた重箱の蓋を開けると、


「うわあ、すごい。うなぎが輝いてるよお!」


 あの日、私が思ったことを、芸人さんはそのまま伝えてくれた。もし、茶化されたらどうしてやろうかとも思っていたが、あの店のうなぎの素晴らしさを、ありのまま伝えてくれるのは、素直に嬉しかった。


 やがて芸人さんは、うなぎの蒲焼を、箸で米ごと豪快にかっさらい口に運んだ。


 彼がうな重を頬張って、どういう感想を喋ったのか? どういうレポートをしていたのか? そこまでは、残念ながら覚えていない。ただ、色々な誉め言葉が次々と繰り出される中で、たったひとつ、ある言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。


「ご主人、これは、米もまた、美味しいですねえ」


 脇で見ていた、店の亭主に向かって、芸人さんが発した言葉である。ご主人と呼ばれたその人は、人のよさそうな顔を更にくしゃっと潰して、照れくさそうに笑っていた。


「このお米はね、地元を古くから支えている、有阿谷という農家の──」


 その言葉を聞いた時、意味も分からず、涙が滲んでしまった。


「おおすごい、有阿谷さんが紹介されたぞ」と年がいもなくはしゃぐ父。そんな父を、台所で料理をしながら笑って聞き流す母。そして、ようやくリビングに充満してきた、母の作る肉じゃがのやわらかい匂い。


 今、間違いなく、この空間には幸せが溢れていた。


「なによ、最近のテレビも、捨てたものじゃないわね」


 私は、父にも母にも聞こえないような声で呟いた。そして今、遠くで同じ番組を見ているであろうアイツに向けて、さっきと同じくらい小さく、しかし、はっきりとした口調で言った。一年の始まりが、素晴らしいものになった感謝を込めて──


「あけましておめでとう、織子」


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