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はやすぎた正月

挿絵(By みてみん)


 注文を取ったおばさんが厨房に引っ込んだのを確認して、織子が切り出した。


「なんだい、今の」

「思い出したの、お正月飾りを見たのよ」

「はあ?」


 私は、興奮気味である。


「織子、あんたさっき、『最近、不可解な出来事はなかったか』聞いたわよね?」

「聞いたね」

「あったわ。思い出したのよ。不可解な出来事を」


 心に引っ掛かっていたものとは、違和感ではない。思い出しそうで思い出せない記憶だった。

 お正月飾りを見た瞬間、今まで忘れていた《不可解な出来事》が、少しだけ顔を覗かせて、それが違和感として喉に突っかかっていたのである。


 幾ばくかの沈黙の後、織子は私が言いたいことを理解したらしい。お冷を一杯煽ってから、「ほう」と相槌をうつと、姿勢を正した。


「うちに、その不可解な出来事を、推理してみろと」


 私はゆっくり頷いて、唾を飲んだ。


「お正月飾りが落ちていたの」

「お正月飾り?」


「ほら、この店の玄関にもかかっていたでしょう? お正月の時につける、アレよ」

「アレが、どこに落ちていたって?」


 私は、早口になるのを必死で抑えながら、


「私の家の前の、道路。あそこのど真ん中に、ぽつんと落ちていたの。不思議でしょう?」


 とだけ言って、織子の反応を窺った。

 織子は、肩透かしを食らったかのような表情で、


「そんなに自信満々に言うことかね。おおかた、向かいの家が玄関につけていたものが、風か何かで吹っ飛んだんだろう」

「普通はそう思うわよね。でも不思議なのは──」


 織子は、怪訝そうな顔でこちらを見つめている。私は、少し得意げになって、言ってやった。


「──そのお正月飾りが落ちていたのは、十月のことなの」


 織子の、いつもの細目が丸くなったのがわかった。




「十月の下旬のことだったわ。お正月飾りが落ちているのに気づいたのは、その日の学校帰り。行きには無かった」

「十月の、下旬。正確には?」


 織子が嘴を挟んできた。口角は相変わらず上がっているが、いつになく真剣である。


「十月の二十……八日だったかしら」

「ということは、お正月飾りが例の砂利道に現れたのは、十月二十八日の、だいたい午前七時から、午後六時の間ということになるね。続けて」


 織子に促されるまま、続ける。


「最初は、お母さんが落としたんだと思ったわ。でも、聞いてみたら違った。お母さんは、向かいの──」


 とまで言って、続きを言うのを躊躇った。例の砂利道を挟んで、私の家の向かい側の家。その家の主は、向井さんと言うのである。これでは、まるで私が駄洒落を言ったみたいになるので、向井さんの話は迂闊に出したくはなかった。


「──向かいの、家のかたが落としたんじゃない? とお母さんが言うから、私も気になって、お向かいさんの家を訪ねて『これ、落としましたよ』って聞いてみたの。そしたら、そんなもの知らないって」


 織子は黙って聞いていた。さっきと打って変わって、急に喋らなくなってしまったので、今度は私の方から「ねえ、不思議でしょう?」と言ってみると、織子はしぶしぶ口を開いた。


「それ、今どこにあるの」

「お正月飾り? それなら、まだ使えそうだから家に置いてあるわ」


 織子は、「ふうむ」と唸ったかと思うと、


「まず、そのお正月飾りの出どころが謎。最初は、新しく買ったお正月飾りを帰り道に落としてしまった、とも考えた」

「……違うの?」

「違う。十月二十八日は、まだハロウィンすら迎えていない。クリスマスより前にお正月飾りを出すことすら躊躇われるのに、そんな早い段階でお正月飾りを買い求めるなんてせっかちすぎるし、大体、どこの店にもまだ置いていないだろうね」


 いつになく饒舌な織子に、私は「おお」と言ってしまった。


「次に、〈古くなったお正月飾りが棄てられた〉という可能性。キミによると、家で保管しようと思えるくらいには『まだ使えそう』だったわけだから、可能性としては低い──けど、否定はしきれないな」

「確かに」


 うちで保管している例のお正月飾りは、確かに新品同然だった。しかし、だからといってそれが《古いお正月飾りではなかった》とは証明できない。お正月飾りなんてものは、一年に一度使うか、使わないかだし、そんなに汚れることはない。だとすれば、いらなくなったお正月飾りを、あの砂利道に放棄したという可能性は、万に一つ、考えられないことではない。


「ただやっぱり、考えにくいわよねえ。棄てるんだとしたら、山にでも棄てればいいのに。なんだってあんな砂利道、しかもど真ん中に」

「そう。考えにくい。ただ、否定する材料がない」


 私は、腕を組んで考え込んでしまった。しかし、そのうちに、お正月飾りに関する重要な事実を思い出して、くわっと目を見開いた。


「そうよ、そのお正月飾り、虎の絵が描かれていて、ちょっと豪華だったのよ。だから、来年、使えそうだと思ったの。つまり、今年以前のお正月飾りを捨てたかったという可能性は」

「なるほど、それなら完全に否定されるね。唯一あるとしたら、十二年前の寅年だけど、さすがに十二年も経ったら新品同然とはいかないよ」


 私は、まるで金鉱を掘り当てたかのような清々しい気持ちで頷いた。


「でも、新品同然ってところにヒントがあるんじゃないかしら? 例えば、私たちが気づいていないだけで、十月の段階でお正月飾りを売っている店があった。そして、それを買い求めるせっかちな人もいたという可能性は、否定しきれないじゃない?」

「捨てるならまだしも、あの道に落とすっていうのは考えにくいんじゃないかね」

「どうしてよ。あの道、結構転びやすいじゃない。あんただって──」

「転んだね、転んだよ。あれは恥ずかしかった。でも、転んでお正月飾りを落としたとして、気づかない話があるかい」


 私は後ろの壁に寄りかかって思考を巡らせてみた。買い物に行ったら、余りにも早くお正月飾りが売っていたので、驚いたついでに購入。帰り道に、あのでこぼこ砂利道を歩いていて、転んだ拍子にお正月飾りだけがレジ袋から飛び出して──


「ないかあ」

「ないね。お正月飾りだけを買ったとしたら、急に軽くなるカバンに違和感を覚えないはずがない。何かを買ったついでだったとしても、とりあえず辺りは見渡しそうなものだよ。誰に見られたかわかったものじゃないからね」

「大体、こんな田舎じゃ、お正月飾りを売っている店なんて限られてくるし。そんなに早く売り出しているところがあったら、そっちが話題になりそうよね」


 ちらりと織子を見ると、笑顔のまま固まっている。

『なんでもわかっちゃうのさ』と豪語していた織子も、結局はこの程度かと安心して、私は壁に寄りかかったまま、大きく息を吐いた。


「お待たせしました。こちら、特上うな重です」


 話し込んでいたら、いつの間にか結構な時間が流れていたらしい。配膳係のおばさんが現われて、特上うな重と肝吸いを織子の目の前に置いた。順番に、今度は上うな重と肝吸いを私の前に置くと、おばさんは「ごゆっくり」と言って、後ろに引っ込んでいった。


「すごい、蓋をしてあるのにいい匂いがするわね」


 重箱の、蓋の隙間から光が漏れているような錯覚を覚えて、私は堪らなくなって先に蓋をあけてしまった。


 そこにあったのは──輝きだった。


 四枚並んでいるうなぎの蒲焼は、タレが室内灯の光を反射してきらきらと輝いている。その下にあるのは、噂に聞く有阿谷家のお米だろうか。


 私がうなぎの輝きに目を取られて固まっていると、今まで押し黙っていた織子が急に口を開き始めた。


「となると、最後に残ったのは、たった一つの可能性」


 私は「え」と声を漏らして、蓋を手に持ったまま硬直してしまった。


「ってことは、あんた。わかっちゃったの?」


 織子は朗らかな笑顔のまま頷いた。


 そして、織子はとくとくと、この《事件》の真相を語り始めたのである。

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