うら若き女子中学生を脅かす脅威
国道沿いともなると、雪の日にも関わらず、途端に車通りが多くなる。しかし歩道を歩く人影は、我々以外に居なかった。国道沿いと言っても、東京にあるようなそれではなく、右手に山、左手に畑、時折ガソリンスタンドがあるだけの、さながらアメリカのハイウェイのような質素な道路である。
片側一車線の、雪で白くなった道路を、水分を切りながら様々な車が通りすぎる。タイヤがアスファルトを蹴るときの、そのびちびちした音には聞き覚えがあった。スイカの早食いである。冬真っ盛りの日に、大勢の車がスイカの早食い大会を開催していると思うと、なんだかおかしかった。
私と織子は、そんな車たちを横目に、歩道を横に広がって歩いていた。時折、真横をスイカが通り過ぎる。
「なんでもわかっちゃう、ってどういうこと」
「んー、なんだろうねえ」
織子は遠くの山を見つめながら曖昧な返答をした。いつもこうである。アニメやマンガでよく見る表現として、怒ったり不貞腐れたりした時に頬を膨らませるというものがある。私は、それを見るたびに『現実で、こういう事はしない』と思っていたが、改めようと思う。
私は、ごく自然に頬を膨らませていた。
「なんだろうとは何よ。あんた、自分で切り出したんでしょう」
「そうさねえ」
とだけ呟いて、また黙ってしまう。相変わらず、遠くを見つめていたが、ふいにギョロリと、笑顔がこちらを向いたかと思うと、
「最近、不可解な出来事はなかった?」
これである。織子と会話していると、説明不足だと感じることがままある。
だが、一応聞いてやるのだ。
「不可解? うんとねえ」
「どう考えても説明のつかないこととか」
しばらく目を閉じて、脳内で過去の旅に出てみる。が、
「ないわね」
「ないかあ」
そう言うと、織子はまた遠くを見つめてしまった。それ以上、続きを喋るつもりが無さそうだった。喋ろうか、喋るまいか、悩んでいるようにも見えた。だから、私は、
「どうしてそんなこと聞くのよ」
先を促してやると、織子は猫のように低い声で「うーん」と唸りはじめた。悩んでいる割には、口元はニヤリとしており、なんだか嬉しそうである。
そして、私のほうに向きなおすと、
「いやね、これは中学の頃の話なんだけど、友達に岡田という女がいた」
織子は、いまだかつてないほど流暢に語り始めた。
「岡田は、ある日うちに相談してきたんだよ。『毎晩、あたしの部屋に泥棒が入っているみたい』と。何を盗まれるんだい? と聞くと、何も盗まれていないという。うちは戸惑って、じゃあ、その泥棒さんは毎晩何をしに来ているの、と聞くと、これが妙なのさ。岡田が言うには、『朝起きると、本棚に置いてある漫画が、決まって数冊だけ、しかもランダムで上下逆さまにしてある』らしいんだ」
「突然、何よ」
確かに、話している内容も不思議ではある。しかし、私としてはそれが、〈なぜ織子が『最近、不可解な出来事はなかった?』と聞いたか〉に対する答えではなかったのが、いささか不服だった。
「まあ、最後まで聞きなさいな。泥棒が出たのは、漫画を買った日かららしい。すると、一か月前からになるんだけど、その間、岡田は、その泥棒さんの姿を一度も見たことがなかったんだ。だとすると、相当な手練れだよ。でも、やることといったら本をひっくり返すだけ。不思議でしょお?」
「まあ、不思議だけど」
「なんでだと思う」
質問の意図がわからないが、確かに謎だ。私はしばらく、その謎解きに付き合ってみる気分になった。
「……岡田さんが寝ている間に、泥棒が漫画を読みに来ていたんじゃないの」
「それはありえないよ。漫画が目当てなら、そのまま盗んじゃえばいい」
「盗んだら、ばれちゃうじゃない」
「でも泥棒さんは、毎回、本を上下逆に戻すというミスを犯しているんだよ。そんなに慎重な犯人が、そこだけ乱暴なんて考えにくいね。だいたい、ひっくり返された漫画はランダムなんだ。盗み読みだとしたら、せめて順番に読んで欲しいよ」
「じゃあ、泥棒じゃないんだよ。お母さんが、『あんた、漫画ばっかり読んでないで勉強しなさい』って抗議の意味を込めて、一か月間、毎晩……」
自分で言っていて、これは違うな、と感じ、最終的には口ごもってしまった。
「そう、ありえないね。お母さんだって暇人じゃない。貴重な睡眠時間を削ってまで、周りくどい抗議はしないでしょう。口で注意すれば済むことだし」
私は考えるのが面倒くさくなって、その謎の答えより、〈どうしてこんな謎解きに付き合わされているんだろう〉という思考ばかりが頭を巡るようになってしまった。私は、また軽率に頬を膨らませて、
「わかんない、降参。答えは何よ」
織子は「知りたい?」とでも言いたげにニヤリと笑った。降参をしたものの、急に悔しい気持ちがわいてきた。
「犯人はね、岡田だったんだよ。岡田は、毎晩、自分でも気づかぬうちに、本の上下をひっくり返していたんだ」
「……また、どうして」
「それが、なんの意味もなかったんだ」
予想の斜め上の回答に、眉をひそめてしまった。
「ばかにしてる?」
「してない、してない。至って真剣」
「じゃあ、どういうことよ」
織子は、軽く咳ばらいをする。
「おかしい話でしょう。一か月もの間、部屋に侵入する泥棒さんに気が付かなかったなんて。根気よく侵入し続ける泥棒さんもすごいよ。まるで人間じゃない。でも、それもこう考えれば筋が通るよね。泥棒さんは、岡田が寝ているときにしかこの世に存在できない。少なくとも、今、この地球上で、そういった現象を科学的に説明できる病気があるよね」
「夢遊病か」
悔しいけど、腑に落ちた。頭が軽くなったような気がして、顎を上にあげた。織子が、こちらを向いてこくりと頷いた。
「そ。夢遊病は、寝ているときに、本人の意識の外で、全く脈絡のない行動をしてしまう。なんの意味もない行動をね。泥棒さんの正体は夢遊病だったんだ。だから、ひっくり返された漫画は、すべてがランダムだった」
「夢遊病だってことを知らなかったの、岡田さん自身は」
「知らなかったんだろうねえ。ずっと、寝相が悪いだけだと思っていたらしいよ。でも、漫画という〈違和感を視認しやすいインテリア〉が運び込まれてしまったせいで、その影がまろび出た」
「へえ」
自然と、口元がほころんだ。謎を解決するというのは、意外と気持ちがいい。
私は、遠方──国道が伸びていく先に鎮座する山々を見渡して、あれっ、と思った。何か忘れている。
「いや、織子。結局その話がなんだったのよ」
織子は白々しく「んー?」と言いながら首をかしげている。なんだか楽しそうである。
「どうして、夢遊病だと判明したと思う?」
「そこまでは知らないわよ」
「相談を受けた瞬間にわかっちゃったのさ。答えが」
「織子が解いたって事?」
織子は自慢げに、首が取れそうなほど頷いた。
「だから、きっと、うちってもしかしたら〈なんでもわかっちゃう〉んじゃないかな、と思ったわけ」
そういえば、そんな事も言っていた。そうか、だから妙に嬉しそうだったのか。織子は、自分の推理力を自慢したかったのか。私が、〈虐待〉などという的外れな推理を披露したから……
そう思うと、なんだか腹が立ってきたので、
「自惚れるなよ」
と言ってやった。
「だから、言うか言うまいか、悩んだのに」
「でも、口ごもり方がわざとらしかったわよ」
織子は「あちゃあ」とでも言わんばかりに、右手で頭をコツンと叩いた。
「うちだってさあ、自惚れたくはないよ。だから、あの質問をしたんじゃないか」
「『最近、不可解な出来事はなかったか』ってやつ?」
「そ。ふれんが体験した不思議な出来事をも、うちが解いてしまえば」
「解いてしまえば?」
「すごいでしょお」
雪につまずきそうになった。
「あんたねえ」
「でもね、うち、そもそも好きなんだ。こういう、人が解けない謎を解くのが」
「お生憎様、私の人生には不可解な出来事はありません」
「残念」
織子はそれを、ざあんねえんと、猫が鳴くように言った。
「ところで、うなぎ屋にはまだ着かないの」
「あ」
と言ったかと思うと、織子は立ち止まって動かなくなった。私も、つられて立ち止まる。周りの山々を見渡し始めたかと思うと、織子は、ゆっくりと後ろに振り返って、
「通り過ぎてるや」
「おい」