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名探偵は務まりません

挿絵(By みてみん)


「まっすぐ行けばいいよ」


 うなぎ屋の場所を聞かれて、織子がそう答えた。よく考えれば、これからうなぎを奢られようとしている私が、先導しているのはおかしな話である。だが、今更それを指摘するような仲でもない。


 雪に足を取られながら、ノコノコ歩くこと、どれほど経っただろうか。私たちは今、田んぼと田んぼの間にある車道の、路肩を縦に並んで歩いている。車通りはほとんどないので、横に並んで歩いてもよかったのだが、心理的な問題で、路側帯の内側を歩いている。

相変わらず両脇には畑や田んぼしかないが、今はそれもすべてひとつの大きな雪原になってしまっている。真正面には、すっぽり雪の帽子を被ったお山が、そびえたっている。「まっすぐ行けばいいよ」と織子は言ったが、あの山に突っ込んでいくつもりだろうか。


 織子は相変わらず私の後ろをついてきていた。ふいに振り返った時に、三秒前まで居たはずの織子が忽然と消えているなんてことが、平気で起こりそうで怖い。そう思わせるような危なっかしい女であるから、時折後ろを振り向いては、織子がまだ存在していることを確認しなくてはいけない。さっきなんかは、私が先導をしている事なんかはお構いなしに、鉛色の空に諸手を伸ばし、降り注ぐ雪をなるべく両掌で受け止めようと四苦八苦していた。相変わらずの真っ黒な手袋に、雪が白く化粧をしてやっている。「子供じゃないんだから」と言ってやりたかったが、自分も、家の前の砂利道で雪遊びをしていたので、口の中で呟くに留めておく。前を向きなおすと、「みてみて」と来る。また振り向くと、さっきまで無かったはずの、小さな雪だるまが掌の上に完成している。


「かわいい?」


 自分としては、『かわいい』より、『いつの間に作ったのよ』という感想が口をついて出そうになったが、ことごとく、不思議な女だ。意味もなくはぐらかされるのは目に見えている。


「かわいいね」


 と言うと、「えへへ」と笑いはしたものの、突如飽きたのか、可愛い雪だるまちゃんを地面に投げ捨てた。かろうじてだるまの形を保っていた二つの雪玉は、深い積雪の中にすぽっと姿を消した。織子は、まるで汚いネズミでも触ったかのように、パンパンと両手を叩いて、手袋に付着した雪を念入りに落としていた。何がしたかったのだ。


「──ところでさ、これから私たちはあの山に突っ込むの?」

「いいや。山の手前を右に折れて、国道に出る」

「国道沿いにあるのね」

「そ」


 とだけ言って、何かを思いついたのか、三日月のようにギラっとした笑顔を向けられた。するとその顔のまま、遠くを見渡し始め、一言。


「近道だから、田んぼ突っ切っちまおうか」

「やめなさい」


 仮にも農家の娘だろうに。どこまで冗談か読めない。


 織子のお嬢様らしからぬ言動は、今に始まったことではないし、私も、それがどうしても嫌で、直してほしくて仕方がないわけではないから、特に指摘することもなかったが、最近は、どうして奇行が留まる所を知らないのか、興味本位で聞きたい領域に達してきてしまった。しかし、私が推測するに有阿谷家は、複雑な家庭環境であったから、気の置けない仲になった今でも、出来るだけ言葉を選びたかった。


「あのさ」

「なに」


 私は歩きながら、後ろをついてきている織子に話しかけてみた。表情はわからない。ただ、いざ立ち入った話をしようという気持ちになると、途端にお嬢様然とした雰囲気を匂わせることがある。「なに」というさりげない一言も、いつもの半笑いのまま放った言葉にも聞こえれば、こちらが深刻な話を持ち出そうとしていると察知して、真剣に聞き返しているようにも聞こえる。常にへらへらしているのは、言い方を変えれば寛大な心を持っているということでもある。つまり織子は、普段それを感じさせないだけで、やはり根本はとてつもないお嬢様気質なのではないか。織子が醸し出す独特の迫力がそう思わせるのか、純粋に私の気が小さいだけなのか。いずれにせよ、聞きづらいことには変わりなかった。


沈黙の中、二人分の足が、雪をザク、ザク、と削る音だけが響いている。


変に言葉を選ぼうとするから、聞きづらくなる。私は思い切って、


「虐待とか受けてないわよね」


 聞いてしまった。


「受けてないよ?」


 多少の口ごもりの様子など見せることなく、驚くほどまっすぐな言葉がこれでもかというほどあっけなく返って来た。黄色いテニスボールがペコンと打ち返される映像が、脳内に浮かんだ。


人は核心を突かれると、一瞬、時間が停止してしまうというのは、これまでの人生で経験済みである。つい一昨日のクリスマスのことだ。『女の子だけで、パーティをしてくる』と母上に伝えてから、出発。お泊りだったので、帰宅は翌朝になった。寝起きの母がリビングで疲れ果てていた私に、開口一番、


「男の家に行っていたでしょ」


 時が、止まった──


 そういうわけで、その織子の返答は、自分にとっては嬉しいものだった。こうなると、もはや織子は、本当に虐待を受けていないか、恐ろしく図太い神経で、嘘を平気で吐けるかの二択である。


「どうしてそう思ったの?」


 と、織子。私はくるりと織子に向き合って、後ろ歩きを始めた。織子は屈託のない瞳をこちらに向けている。


「最初に会った時から、変だと思っていたのよ。足が細すぎる。これはきっと、満足な食事を与えられていなかったのかなって」

「食べても太らないんだわ」


 かつてないほど輝かしい笑顔が憎たらしい。


「成績がいまひとつ振るわないのも、そう。親に満足な教育を、受けさせてもらっていない可能性が」

「うちが阿呆なだけ。塾にも通わせてもらっているけど、たまにサボる」


 この不良生徒。


「じゃあ、パンが好きなのは何故? 米を食べると、実家を思い出すから嫌だったんでしょう」

「米農家は一生、米食ってないといけないのか」


 おっしゃる通りすぎる。


「いつも黒い服を着ているのも、実家からの重圧が織子を暗い気持ちにさせて」

「ないない」


 織子は、持ち前の低い声を唸らせながら「にゃはは」と笑い飛ばした。


 どうやら杞憂で済んだようだ。織子がご機嫌に腕をぶんぶん振り回すのを見て、安心して私は前に向きなおした。


 その瞬間、背後から柔らかい衝撃。首筋を絹のような感触が撫でた。少し遅れて、フローラルなアロマの香り。織子が突進してきたのである。その勢いのまま織子は、私の顔の前で腕を組んで、耳元で囁いた。


「心配してくれたのか、ありがとうね」


挿絵(By みてみん)


 耳たぶにかじりつく勢いだった。凍えて取れそうな私の右耳を、織子の生暖かい吐息が解かす。私は、なんだか体の内側から熱くなって、かけられた吐息の暖かさ以上に、耳が火照った気がした。


「でも、うちのお父様とお母様のことを、悪く言うのは許しませんよ」


 聞きなれない言葉遣いにぎょっとして、思わず首がそちらを向いた。織子の体は、いつの間にか私から離れていた。雪原と化した田んぼの、遠くを見つめている織子の横顔は、改めてみると整った顔立ちである。この横顔だけを写真に切り取って、百人の男女に『この写真の女の子は、いいところのお嬢様ですか』と質問でもした日には、百人が百人、『お嬢様だ』と答えるだろう。


 そうして、自分がまじまじと織子の顔を見つめていることに気がついて、なんだか恥ずかしくなって、前を向きなおす。両手をおしりの後ろで組んで、目線を下に落とす。私のブーツが、雪をかき分けながら歩みを進めるのが見えている。織子に息をかけられた耳が暖かい。自分では見えないが、赤くなっている気がする。仮に赤くなっているとしたら、後ろにいる織子に見られてはいないだろうか。


「ふれんはさ」


 織子が気まずい(少なくとも私はそう思っている)沈黙を破った。

 ちなみに「ふれん」とは私のことである。富んでいる恋、と書いて、富恋だ。


「すきなのかい?」

「ん、何がよ」

「そういう、推理ごっこみたいなことさ」

「心外よね。あんたの貴重な友人がせっかく心配してあげたのに。それを『推理ごっこ』と揶揄するなんて」

「だって、ゼンゼン的外れだったから」


 織子のあっけらかんとした声の調子からは、本当に虐待を受けていないことは察せられる。それは本来嬉しい事なのだが、相変わらずの、織子の人を小馬鹿にしたような態度に、少しむっとした。あれだけ慎重に言葉を選ぼうとした私の気遣いが、空振りだったことの悔しさもあるのだろう。


「本当に受けてないって証明できる?」


 推理が当たって欲しいというプライドと、虐待なんて無くていいという二律背反のせめぎ合いの結果、よくわからない質問をしてしまった。


「虐待を?」

「そう」


 後ろをついてきている織子が、フッと鼻で笑ったのがわかった。


「それは悪魔の証明だよ。うちは幸せな娘ですとしか言えないね」


 きっといつもの、嫌らしいニヤニヤ笑いを更に強めて言ったのだろう。織子は続ける。


「何なら、見せようか」

「何を」

「ハダカ」


 予想外の角度での提案に思わず吹き出してしまった。私は半分笑いながら、


「どうして」

「アザなんて、ないから」

「なるほどね」


 自分の推測が過ちだったことをようやく確信すると、自然に笑みがこぼれた。


「だから、ふれんに名探偵は務まりません」

「しつこいわね。そういうあんたはどうなのよ」

「うち? うちはね」


 理由はわからない。ただ、次の言葉を紡ぐまでに、なぜか織子が突如消えてしまったような気がして、どうしようもなく不安になって、立ち止まって振り返ってしまった。


 織子も一緒に立ち止まっていた。ダウンジャケットのポッケに手を突っ込んだまま、私の瞳を見つめる。瞳孔を掻き分けて、織子が私の中に入ってきそうで、目が離せなくなった。


「なんでもわかっちゃうのさ」


 私たちはすでに、雪の帽子を被ったお山の手前を右に折れていた。国道へは、もうすぐである。


 雪は、もう降ってはいなかった。

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