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テレビがつまらない

挿絵(By みてみん)


「もう中学生なんだから、自分で起きなさい」というのは、私の母上の言葉である。幼稚園・小学校と続いて、決まって七時ごろまで夢の中に居た私を、叩き起こしてくれていたのは母だった。当時、十二年間生きてきた私は、その儀式が我が家では通例となっていると思い込んでいたものだから、十三年目に突入した瞬間、いきなり「自分で起きろ」はひどいぞ、と理不尽さを感じたのはよく覚えている。母によると、なんでも「大人はみんな、自分で起きられる」らしい。そんな宗教を信仰している母上だったので、めでたく中学生になってからは、毎回自分で、ひいこら言いながら起きていた。


 湖の上に浮かびながら寝ている私の瞼には、釣り針が刺さっている。そして釣り糸は、地面に埋まっているから、下へ下へ。水面の、さらに下へ引っ張られてゆく。そうすると、いざ起きようにも、釣り糸に引っ張られて瞼が開かないのだから困ったものだ。ああ、困った。ならば、起きなくてもいいか──というところで、目が覚める。夢である。釣り針という〈起きなくてもいい大義名分〉をちらりと見せつけてから目が覚めるので、たちが悪い。もう少し早く目が覚めてくれればいいのに。そして、さらにたちが悪いのは、この夢は、私が高校生に至る今まで、たまに見るところである。


 さっきまで夢の中にいた私を、冷たい空気と太陽の白い光が出迎える。頭の中に、あの湖の情景が半分残っているのが悔しくて、体を丸める。しなやかな黒髪が頬と枕の間をすべる。それと同時に、壁掛け時計に目をやると、針は十二時十三分を指していた。それを見て、安心してまた枕に顔を埋める。蛹のように固まって、一時間は経過したかと思い、再び時計に目をやると、十二時十八分。五分しか経っていない。かくも冬の朝の分針は遅く進むものか。昼だけど。この冷たい空気は、ついに時間を凍らせることに成功したのか。


 二度寝が出来ないことを悟ったので、しぶしぶ体を起こす。ベッドに腰をかけ、体を反らし、腕を伸ばすと、自然に欠伸が出てきた。


 三度時計に目をやる。今になって、昼過ぎまで寝ていたという事実が、年端もいかない女子高校生の胸の中をうずまく。この時間まで寝ていて、まだ少し眠いのに、朝の六時、七時に、自力で起きるのが簡単なわけがない。「大人はみんな、朝にスッキリ起きられる」と豪語していた母上はうそつきに違いない。それとも、まだ私が子供だとでもいうのだろうか。しかしよく考えれば、母は一言も「スッキリ起きられる」とは言っていなかった。きっと、眠気に耐えて、死ぬ思いをしながら起きるのが『大人になる』ということなのだろう。


 さて、そんな母上であるが、リビングに降りてみると居なかった。それどころか、この家の静けさや暗さから鑑みるに、母上はリビングに居ないだけではないらしい。この家の中から忽然と姿を消してしまったのである! ……仰々しく心の中でナレーションしてみるが、真実はなんてことない、ただスーパーマーケットのパートに出かけているだけであろう。別にすべての部屋を確認したわけではないが、なんとなく家の雰囲気でひとりぽっちだとわかるのだ。


 歩きざまに、テーブルの上に置いてあるテレビのリモコンをかっさらい、そのまま特大サイズのソファにどかっと腰を下ろす。かと思えば、十秒と持たずに、ぽてんとソファに寝転がんだ。テレビをつけて、チャンネルを早足で回すが、おもしろくない。近年のテレビはつまらなくなったと言われるが、それはインターネットの普及によりテレビ嫌いの声が耳に入りやすくなっただとか、インターネットには基本的にコンプライアンスがないので、比較するとテレビがどうしても見劣りしてしまうだけで、テレビ自体の面白さはさほど変わっていない。……と思いきや、しっかりつまらなくなっている。


 私が子供の頃は、毎週土曜日の夜八時に放送される、バラエティ番組を見るのが楽しみで仕方がなかった。最初は、父上がその番組のファンであり、毎回晩御飯のある夜八時に決まってそのチャンネルに変えていた。特段私は、その番組に興味があるわけではなかったのだが、しかし同じ食卓を囲む家族であるので、否応なしに映像が目に入るのだ。


 ある日、その番組内で、〈お笑い芸人が目隠しをして、ある料理をひとくち食べる。その料理名を当てられなかったら罰ゲーム〉という企画をやっていた。芸人さんは、そのとき『ボルシチ』を食べたのだが、あろうことか『ミネストローネ』と答えてしまう。その瞬間、足元にある落とし穴がパックリ口を開け、芸人さんは氷水に真っ逆さまだったのだ。その時点で私はゲラゲラ笑っていたのだが、追い打ちで、落とし穴の上から他の芸人さんが寄ってたかって、氷水であたふたしている芸人さんめがけてホースで水をぶっかけたのだ。さらに、ホースで水をかける側の芸人さんが、後ろからこっそり近づいてきた他の芸人さんに落とし穴に突き落とされて、ザブン。二人で氷水の中で慌てふためく。「我、覇者なり」とでも言いたげに、穴に落ちた人間を高みから攻撃していた者が、同じ穴の狢になるのが、私にとって、もうおかしくておかしくて、腹がねじ切れるほど笑って以来、八時に晩御飯を食べ終わった日にも、テレビにかじりつくようになった。


 しかし時代というのはすべからく変わっていくもので、イジメを誘発する恐れがあるとテレビ局にクレームが入って以来、その番組は過激な演出を控えるようになり、私も尻すぼみ的に見る機会が減っていって、気が付いたら番組が打ち切りになっていた。「そういえば、あの番組、今どうなっているんだろうね」と、日常会話の一端で母上に尋ねたところ「もうやってないよ」という返答が来て、愕然としたのを覚えている。


 極端なテレビ嫌いというわけではないので、食卓のとき、親が見ている番組を横目で見る程度のことはするが、昔のように、特定の番組に固執するようなことはなくなった。ウワサ程度のものでしかないが、過激な内容が淘汰された結果、バラエティ番組は視聴者の教養になる『クイズ番組』と『旅・グルメ番組』しか放送しなくなるといった話さえ聞く始末である。しかし現実に、上記した二つのジャンルが、最近急激に増え始めたというのはしっかりデータとして残っているのが、恐ろしいところだ。そうなったらもうディストピアである。


 ただ、最近のテレビ番組がつまらなく感じるのは、表現が規制されてのことももちろんあるだろうが、純粋に、昔ほど私の感性がするどくなくなってしまったのがあるのだと思う。小さい頃は、すべてが物珍しく見えて、なんでも面白く感じたものだ。そんな、角ばった感性が、人生という川を流れていくにつれ、角が取れ、ついに、つるつるまん丸の石のようになってしまったに違いない。十七になった今、氷水に突き落とされる芸人を見たとて、昔のように笑えるか、自信がない。


 そういうわけで、特に何が見たいというわけではなかったが、チャンネルがお昼の情報番組にあったところでリモコンの手を止めた。最近よくある、バラエティ複合型の情報番組だったようで、画面の中では、芸人さんがホームセンターにロケーションに来ていた。画面右上の固定字幕を見てみると「超便利! 大晦日に役立つお掃除グッズ」。


 ──そうか、もう、年末だ。

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