謎は解けた。でも私たちはここから帰らない
「さあ、今日も頑張って考えるとするか」
ダサい七三の分け目を整えながら言うのが探偵の先生。何度撫で付けてもすぐにバランスが崩れている。
「気合入れていきますよー」
メガネを右手人差し指でくっと上げながら言うぽっちゃり系おじさんがメガネさん。無駄に語尾を伸ばすせいで、気合が入っているのかどうなのかよくわからない。
「今日こそこの謎を解決して、さっさとここを出ちゃいましょう」
いつも最後に話すのが私。中学生で最年少だから、あまりでしゃばらないようにしている。
校庭のど真ん中、私たち3人の前には木の四角い箱のようなものが一つ転がっている。30cm角の少し大きなサイコロのようにも見えるが、かなり重たくて誰も持ち上げることができない。この重たいサイコロをどうにかして60mほど離れた所にある門の前まで運ばなければ、私たちはこの空間から出られないらしい。
半年ほど前から行方不明になる人が増えた。一つの街から多ければ週に5人ほど消えるので全国大騒ぎになった。しかし、すぐに帰ってくる人も多く、彼らの証言から行方不明になった人の大半が「空」と呼ばれる異空間に飛ばされていることがわかった。
帰ってきた人たちの証言を整理すると、空は無数に存在し必ず3人ずつ飛ばされるらしい。そして、そこで出される問題を解かないと帰ってこられないということがわかった。
「空は不思議なところで見た目は小学校ですね。食事はいつもどこからともなく出てきます。美味しかったですよ」
そう話すのは今若者に大人気のインフルエンサーの20代男性。彼は自身の空での体験談を動画サイトにアップした。
「面白くなさすぎて逆にウケる」
「どうせ作り話だ」
「くだらない。誰も信じないって」
投稿された当初は批判的なコメントが多かった。
「私も行ってみたいです」
「ご飯おいしかったですよね」
「あそこでの時間は楽しかった。また行きたい」
しかし空についての認識が広がり、また空からの帰還者が増えるにつれてコメントの内容は変わっていった。空の体験談動画はちょっとしたブームになり、動画のクオリティはピンからキリまであるが、たくさんの人が投稿するようになった。今では最初に投稿した男性インフルエンサーの動画視聴回数は7,000万回を突破している。
たくさんのメディアが空について面白おかしく特集を組んで取り上げた。ある人気芸人が空での体験談をネタにして話題にもなり、一時期どの局のワイドショーも空のことばかりを話題にしていた。
しかし、テレビでは動画サイトやSNSのスピードについていけず、後追いや二番煎じの内容ばかりが繰り返し流れた。しかもコメンテーターの発言は的外れなものが多く、よく炎上したため視聴者が飽きてしまった。その結果、空に関する内容はすぐにあまりテレビで語られなくなった。
謎の多い空だが、帰還者全員に共通することがあった。それは自分を含めて三人いたことは覚えているがあとの二人のことを思い出せないこと。それから空で出された問題の内容を全く覚えていないことだ。
年齢や性別に関係なくたくさんの人が空に飛ばされ帰ってくる。でも、誰一人としてその共通点を持たない人はいなかった。
私が飛ばされたのは3ヶ月前だ。もうずっと充電していないのに、スマホの充電は100%のまま減っていない。圏外になっているから何もできないけれど、とりあえず時計代わりに使っている。
3ヶ月前の月曜日の朝、学校に行くのが嫌だなあと思いながら起きると、気がつけば周りの景色がおかしかった。私は自分の部屋にいたはずなのに、いつの間にか小学校の教室みたいな場所で中央の席に座っていた。着ていたはずのパジャマは何故か中学の制服になっていて、髪を触るとちゃんと整えられていた。
「逃げ切ったのか……?」
突然教室の中に声が響いた。声がした方を見ると、一番前の列の真ん中の席にスーツを着た人が座っていた。
「あれ、もしかしてまだ生きてる?」
振り向くと今度は一番後ろの列の真ん中の席に、ぽっちゃりしたおじさんが座っていた。
私たちは顔を見合わせた。そして察した。私たちが空に飛ばされたということを。
「全校生徒の皆さんは、校庭までお集まりください」
突然校内放送で女の子の声が響いた。私たちは暫く無言で固まっていたが、頷きあって校庭に向かった。私たちが校庭に行くと、校庭の真ん中に小さな木のサイコロが一つ転がっていた。
「この木を前方に見えるあの門まで運べば、あなたたちは解放されます。運び終えるまであなたたちはこの空間、空から出ることはできません。もちろんこの敷地内からも出られません。食事などの心配は無用です。質問は受け付けていません。それでは皆さん頑張ってください」
再び放送が流れ、そして静けさが戻った。やはりここは空のようだ。学校の周りの景色は靄がかかっていてよく見えない。上を見上げると太陽はなく夕焼けのようなオレンジ色が一面に広がっていた。スマホを見ると朝の七時だった。空の中はずっと夕焼けの世界が広がっているとインフルエンサーが言っていたのは本当のようだ。
「どうする?」
突然声をかけられた。右を見るとスーツの男が腕を組みながらこっちを見ていた。
「とりあえず自己紹介をしてから考えませんか?」
左を見るとぽっちゃりしたおじさんが腕を組みながら言った。
「そうしましょう」
私も腕を組んでそう答えた。
「おれは趣味で探偵をしているもんだ。おれのことはそうだな……先生って呼んでくれ」
スーツ男が私とおじさんに向かって言った。
「探偵は仕事じゃないんですか?」
メガネのおじさんが質問をする。
「探偵なのにどうして先生なんですか?」
私も気になったので続いて質問を投げる。
「仕事は特にしていないんだ。金には困っていないんでね。探偵は趣味だ。先生と呼んで欲しいのはなんとなくだ」
何故か偉そうなスーツ男。
「お金に困ってないのはいいですね」
とメガネのおじさん。
「じゃあ、先生って呼びますね」
と私。
「じゃあ次は私が。私の名前は……いや、私のことは奴隷と呼んでください。趣味や仕事は特にありません」
メガネのおじさんが先生と私に向かって言った。
「いやいや、どうしてそんな言葉なんだ? 他にないのか?」
少し慌てて先生が質問する。
「私、人に向かって奴隷って言うのはちょっと……他に何かありませんか?」
私も慌てて先生に続く。
「実はもう何年もそんな生活をしていまして、自分の名前を覚えていないんですよ。他の呼び名……じゃあメガネでお願いします」
少し申し訳そうなメガネのおじさん。
「なかなか大変そうだな……」
と先生。
「じゃあメガネさんって呼びますね」
と私。
「あ、じゃあ最後は私ですね。私は中学二年です。十四歳です。私のことは……マヤと呼んでください」
咄嗟にいい呼び名が思いつかず、つい下の名前を言ってしまい私は少し後悔した。
「中学生か、若いな」
と先生。
「マヤさんとお呼びしますね」
とメガネさん。
こうして私たちの簡単な自己紹介は終わった。
「さてと、これを運べばいいって言っていたよな。なんだ楽勝じゃないか」
そう言って先生が木のサイコロを片手で持ち上げようとした。でも、サイコロは持ち上がらなかった。先生は不思議そうな顔をしてサイコロを見つめている。
「どうしましたか? 何ありました?」
メガネさんが心配そうに先生に近く。
「これ、めちゃくちゃ重いぞ」
先生が両手で持ち上げようとしたが動かなかった。驚いたメガネさんも一緒になって持ち上げようとしたが結局1mmも動かなかった。
「楽勝じゃないじゃないか……」
先生の声がやけに校庭に響いた。
空に来て1週間が経つ頃には私たちの生活リズムが決まっていた。
朝は7時に起床。
8時30分に初めて空に来た時にいた5年1組の教室に集合。そこで机の上にいきなり出てくる朝ごはん (たいていご飯と味噌汁。たまにたまごサンドと牛乳) を食べる。
9時になったら校庭に行き、10時まで木のサイコロを運ぶ方法を考える。
10時から12時までは自由行動。12時になったらまた5年1組の教室に戻ってお昼ごはん (学校給食みたいに毎日違う献立。私は唐揚げが好き) を食べる。
13時から14時は昼休みで、14時から15時まで校庭で再びあーでもないこーでもないと考える。15時から18時まではまた自由行動。18時になったら5年1組の教室で晩ごはん (定食屋の日替わり定食みたいな献立。たまに出る親子丼が美味しい) を食べる。
晩ごはんを食べ終えるとまた自由行動で1日を終える。外はずっと夕焼けのように赤いので、時間感覚はおかしくなりそうだがいつの間にか慣れていた。
木のサイコロの運び方をもっと考えてもいい気がする。でも、どんなに頭を使っても答えが思いつかないので1日2時間考えることで落ち着いた。
自由行動の時間は図書室で本を読んだり、視聴覚室で映画を観て過ごした。先生とメガネさんの3人で過ごすこともあるが、基本的に皆んな1人で過ごした。
空に来て1ヶ月が経った頃、私は夢を見た。夢の中で私は木のサイコロを靴も靴下も脱いで裸足で蹴っていた。するとサイコロはスポンジのようにぽーんと宙に舞い上がっていた。
夢かもしれない。でも、それが答えかもしれない。翌日私は夢のことを二人には言わなかった。まずは自分一人で試してみようと思ったのだ。
その日の夜、深夜1時。外は相変わらずオレンジ色。でも、この時間ならさすがに2人とも寝ているだろうと考えこっそり校庭に向かった。しかし、その考えは甘かった。校庭に先生がいたのだ。私は慌てて茂みに隠れて様子を伺った。
先生はきょろきょろと周りを気にしながら木のサイコロに近づいていった。そして、いそいそと靴と靴下を脱いで裸足になり、ちょんと木のサイコロを蹴った。すると木のサイコロはころころと転がった。
先生も同じ夢を見たのだろうか? 私は先生の元へ走っていこうと思ったが踏みとどまった。よく見ると校舎の影で私と同じように先生を見つめている人がいた。そうメガネさんだ。私はもう少し様子を見ることにした。
校庭に視線を戻すと先生が嬉しそうに小さくガッツポーズをしているのが見えた。しかし、先生は急に慌てた様子で木のサイコロを元の位置に戻し、靴下と靴を履いて校舎に戻っていった。クリア方法が分かったのにクリアしないようだ。
どうしてだろうと首を傾げていると、今度はそーっとメガネさんが木のサイコロに近づいていくのが見えた。そして裸足になりサイコロを蹴った。やはりサイコロは動いた。メガネさんはそれを見ると満足そうに頷き、急いでサイコロを元の場所に戻した。そしてそそくさと校舎に戻っていった。メガネさんも同じ夢を見たのだろうか? でも、どうしてメガネさんもクリアしないんだろう?
私は悩んだ。私も裸足で蹴ればサイコロは動くだろうか? もしかしてあの二人にしか動かせなかったりして……
気になって気になって仕方がなかったので、私は校庭の真ん中に向かった。そして靴と靴下を脱いで蹴ってみた。やはりサイコロは動いた。なんだか嬉しくてガッツポーズをしてしまった。でも、私もサイコロを元の位置に戻して校舎に戻った。
翌日8時30分。5年1組の教室に向かう。
「おはよう」
と先生。
「おはようございますー」
とメガネさん。
「おはようございます」
と私。
朝ごはんはバタートーストとハムエッグと牛乳が出てきた。私たちは無言でそれを食べた。2人とも昨夜のことは何も言わなかった。
9時。3人で校庭に向かう。
「さあ、今日も頑張って考えるとするか」
と先生。昨日の朝と同じように七三分けの髪を何度何度も撫で付けている。
「気合入れていきますよー」
とメガネさん。メガネさんも昨日と同じようにメガネを右手人差し指でくっと上げながら無駄に語尾を伸ばしている。
「今日こそこの謎を解決してさっさとここを出ちゃいましょう」
と私。もちろん昨日と同じテンション。
3人とも靴下どころか靴すら脱ごうとしなかった。そしてこの日も前日と同じく木のサイコロは動かなかった。いや、誰も動かさなかった。そしてその後も……
正直なところ私は空から戻りたくない。だって帰ったところで、また親から虐待される毎日が再開するだけだもの。ここなら美味しいご飯が1日に3食も食べることができるし殴られることもない。学校で教科書を隠されたり、トイレで水をかけられたり、お金を要求されることもない。
自分からこんなに居心地がいい場所を出ていくなんて考えられない。あの夜、先生やメガネさんが木のサイコロを動かした時は正直諦めていた。もう戻らなければいけないのかと。でも、そうはならなかった。
私たち3人はあまりお互いのことに踏み込まない。お互いに触れちゃいけない気がして、当たり障りのないことしか話さない。私にとってこの距離感がちょうど良かった。
きっと2人も私が木のサイコロの動かし方を知っていることは気づいているはずだ。でも何も言わないということは、2人も空を出たくないと考えているのだろう。
それならそれでいいと思う。3人ともここを出るつもりがないなら、出たくなるまでここにいればいい。もしかしたらそのうち誰かが出たくなるかもしれない。もしそうなったらその時また考えればいいだろう。
「さあ、今日も頑張って考えるとするか」
「気合入れていきますよー」
「今日こそこの謎を解決して、さっさとここを出ちゃいましょう」
また新しい1日が始まる。でも、私たちは今日もここから出ない。