第五十六話 シシル
お互いに自己紹介をしたところ、少女はシシルと名乗った。ヴァルメは彼女に対しまだ警戒しているようだったが、彼女から悪意は感じなかった。茶色の長い髪に小柄な体格には、アリスとしてはむしろ可愛らしい印象を受ける。
「あの蛇はヨルムンガンドと呼ばれる魔物です。あの辺りに巣があるみたいで、近づいた獲物を襲っているようです」
「魔物? じゃあ、冠災じゃないの? あのサイズと強さで?」
ハンナの疑問にシシルは首肯する。
「冠災はただ人を襲うばかりで餌食にしようとはしませんから。しかし脅威としては、冠災にも並び立つかもしれませんね。大きな体にあの獰猛な気性ですし、ひとまとめに魔物と言っても様々ですから」
アリスは周りに注意を払いながら、前を歩く彼女の言葉を聞いていた。先程までは無警戒だったのに、踏んだ枝の折れる音にすら敏感になってしまう。
「ねえ、今どこへ向かっているの? この先に人の住む場所のあるような気はしないけれど」
「私は兄と一緒に2人でこの森に住んでいるんです。安全なので、そこで休んでもらおうかと。それに、ハンナさんの怪我を治さないといけませんし」
シシルに目を合わせられ、ハンナは自身の左腕を見た。アリスも心配そうにその手を握る。
「そうだね。なんともなければいいけど……」
「大丈夫よ。このくらいの傷」
しばらく森を歩いている中で魔物と遭遇しそうになる場面もあったものの、シシルのおかげで交戦することはなかった。樹を操るように動かし、視線を遮るなどで対応出来ている。
「すごいね。シシルの顕現って、植物を動かせるの?」
「はい。一応それ以外にもできることはありますが……それはあとで説明しますね」
ヴァルメが訝しげに首を傾げる。
「なんでも後回しにしすぎじゃないかしら。別に今言ってくれればいいじゃない」
「しっかりと説明しようとすると長くなりそうで……それにほら、もう着きましたよ」
「着いたって、何もないけど……」
アリスがそう溢して立ち止まる。目の前には大きな樹皮が広がっていた。
「見ていてください」
シシルがその樹皮へ手を触れると、先ほどのように形を変えていく。入り口のように穴が開き、中に花畑の広がる空間が見えた。
「わぁ……」
アリス達は驚嘆して立ち止まっていたが、シシルが中に入るのを見てそれに続いた。中から見ると、周囲の全体を木々が隙間なく覆っていた。
「ねえねえ。ここって……」
「私達の住んでいる場所です。ほら、あっちにある家に住んでいます」
樹々を連ねて覆われた空間の中央には、確かに家らしきものが見えた。こちらも一本の樹が絡むようにして支えている。
「なんだか幻想的。アリス、ああいうの好きでしょ」
「うんうん! これって入ってもいいの!?」
「もちろん」
ヨルムンガンドに襲われて気分が落ち込んでいたアリス達だったが、すっかりとそのことを忘れるほど興奮していた。ヴァルメも、この景色には驚いている。
「たしかにこれなら安全でしょうけど……」
シシルの家に入る。ドアを開けてすぐに広い部屋があり、アリスは目を輝かせる。
「広い! それに、見たことない植物がいっぱい!」
部屋の中で植物を育てているようで、アリスの言う通り部屋の中の植物はそれぞれ彩りを飾っていた。
「ハンナさん、ここに座ってもらえますか?」
家内に入って間もなく、そう言ってシシルは椅子に手をかけた。
「ええ」
ハンナが言われた通り椅子に座ると、シシルは彼女の傷口に片手を添える。
「シシル?」
「そのまま、力を抜いてください」
ハンナは深く息を吸って、体を弛緩させる。するときれいに、ハンナの傷が塞がっていった。
「え! こんなこともできるの?」
「はい。少し疲れが残るかもしれませんが」
目を丸くするアリスを見て、シシルは笑う。
「ほんとに痛みが引いてる……確かに少しの倦怠感は感じるけど、すごい……」
「私の顕現は、人の傷を治すこともできるので」
「……それにしても、こんなに短い期間で顕現持ちに何人も出会うなんてね」
感心していたヴァルメが感慨深そうに言う。
「そういえばアリスさんも、顕現を使っていましたよね」
「あ、うん。電気を出せるよ」
「電気……?」
4人で話し込んでいると、入り口の扉が開けられた。外側から人が入ってきたのだ。その人物はアリス達を見るや否や、怪訝な顔を浮かべる。
「あ、おかえりなさい」
「なんだ? こいつら。シシル、人を連れ込んだのか?」
男の拒絶するような態度に、アリスは少し息が詰まるのを感じた。
「ええと、ヨルムンガンドに襲われている所を見かけて。それに怪我もしてたから立ち寄ってもらったの」
「えっと、私アリス。こっちがハンナとヴァルメで……その、お邪魔してます」
ぎこちない言い方だったが、直接の文句は言われなかった。彼からの自己紹介はなかった。アリスを一瞥した後、彼は他の部屋へ行ってしまった。
「ごめんなさい。あの人が私の兄、オウゼンです。あんな感じですけど、悪い人じゃないんですよ」
シシルが苦笑いを浮かべる。
「大丈夫。気にしてないよ」
「ふん、気分は良くないけどね」
「ヴァルメ……」
アリスとハンナが責めるような視線を彼女へ送る。
「なによ……。悪かったわね」
「いえ、兄の対応が良くなかったのは事実なので。かまいません」
頬を膨らませてシシルは言った。先程のオウゼンの態度に少し腹を立てているようだ。しかしアリスの関心は、すでに部屋にある植物に移っていた。
「植物をたくさん育ててるんだね。ほらヴァルメ、この花とかきれいでしょ?」
「深静花ですね。青い花弁が特徴的な花で、自然に群生しているものは壮観ですよ」
「こっちは?」
「そっちは梵袋樹と言って、成長するととっても高く大きくなるんですよ。そうだ。私の家、もっと紹介させてください」




