第五十四話 エンゼールへ
束の間の間時を置き、ゾロアが仕切り直すようにパンと手を鳴らした。
「それはさておき、ベルゼ。そなたの話に戻ろうか」
「ん?」
「なんだ、忘れたのか? そなたが見たと言う、顕現を持った者のことだ。話を聞いておいた方が良さそうだからな」
「……ああ。お前に似て不愉快なやつだったよ。あいつは、大聖女が今どうしているのかは知らない様子だったな。あの聖女が表に出なくなってからしばらく経つ。それが分かれば大きな収穫になったんだが」
真剣に語るベルゼだったが、ゾロアもトーラスも呆けた顔で見つめていた。
「ん? どうした」
「そなたの言う聖女とは……大聖女シリス・ルーベリアのことであろう? だとすれば既に死んでいるが……」
ベルゼが目を丸くして立ち上がった。
「死んでるだと!? バカな! 本当にそうだとして、何故それを今まで言わなかった!?」
「何故、と言われてもな」
「ええ、私も知っていましたし。確かに大聖女シリスの死は我々魔族に秘匿されていましたが、さすがにもう知らない者はいないと思っていましたよ。八大貴龍となれば尚更、そういった情報には敏いものかと」
ゾロアとトーラスは互いに顔を見合わせ、呆れたように笑う。
「ま、集いに参加しなかった己の責任であろう。妾達のせいにするな。しかしそうだな。そなたがどうしてもというのなら懇切丁寧に教えてやってもいいぞ?」
ベルゼが忌々しそうにゾロアを睨むその背後の通路から、何かが投げ出された。それは円卓の前に落ちる。そしてそれを投げ出した張本人は丁寧な姿勢で彼らの前に姿を現した。
「おや、急にどうしましたか? リング。それに」
トーラスは投げ落とされた人物の方へ目を向ける。
「そちらは確か、グリムの大首領でしたか。何の用です?」
リングと呼ばれた男が口を開く。彼はトーラスの直属の部下の一人である。
「彼は今回配下と共にこの館の清掃と飾り付けを担当する役回りだったのですが現状の通り、責任を果たしていないと見えるのでここに連れてきました。弁明を聞く必要がなければ私の方で処理しますが、如何されますか?」
グリムは慌てた様子で声を荒げた
「待ってくれ!! ……いや、お待ちください! これには理由がありまして……」
「勝手に口を開くな。痴れ者が」
リングに凄まれ、グリムは押し黙った。その一瞬の静寂をゾロアの声が破った。
「いや、聞こう。ほれ、話してみるがいい」
「……二人とも私の配下ですので決定権は私に」
「うるさい」
トーラスの言い分をすかさずゾロアは否定した。興味が移った子供のように、彼女の目はグリムの方へ向けられていた。
「はぁ……仕方ありませんね。勝手にしてください。我々は休んでますので」
彼女がゆっくりと二人の前へ歩み寄るのを、グリムは片唾を飲んで見守っていた。
「ふむ、名はなんだったか」
「……ろ、ローバスでございます。グリムという種族を総べており、現在その規模は」
「ああそうそう。ローバスだったな。それで、どうして清掃の任を放るような真似をしたのだ?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に、ローバスは彼にできる限り丁寧に対応していく。
「それは……トーラス様のご命令で、人間を集めているのですが」
「それは知っている」
「その任を任せていた者が殺されたのです……。その者は配下の中でも変えが効かず、その後の処理に追われてしまい……」
「ほう。つまり? 貴様は内輪のゴタゴタを優先して、我々をこんな薄汚い場所に妥協させたと?」
ゾロアは彼の言葉の終わりを待たず、質問を続ける。
「いえ、決してそのような……」
「ふーむ……面白くないな。そこそこ怖がらせてやったつもりなのだが。もっと泣き叫んでみっともなく命乞いするかと……」
「き、貴龍様がお望みであれば、今すぐにでも!」
彼の言葉にゾロアはさらにつまらなそうに顔を顰めた。
「あーよいよい。なぜ貴様ごときに気を遣われなければならんのだ。それで? その換えが効かない配下とは誰に殺されたのだ? 察するにそれなりにやるやつだったのだろう」
「ええと……生還した一部の配下からの報告ではたしか、行軍の途中エンゼールからの奇襲を受け壊滅的な痛手を負ったとか……」
「エンゼール……ん? たしかあの都市は協定で、我々魔族と敵対行為はしないとしていなかったか? それももうだいぶ前だったか……?」
ゾロアが逡巡していると、話を聞いていたトーラスが後ろから口を挟む。
「ええ。たしかに間違いありませんよ」
「なるほどな。まさかその場逃れの嘘ではないだろうな」
疑いを向けられたローバスは両の手を前に出して全身で否定を表現する。
「滅相もございません! 私にとっても予想外の出来事でして……!」
ローバスが出していた両手が切断された。床に落ちた肉塊は鈍い音を響かせた。
「え」
ローバスは突然の出来事に理解が追いつかないまま、切断された肘の方を見た。切断面にめらめらと炎が揺らめいている。これが再生を阻害しているようで、彼の腕は切断されたままの状態を保っている。
「よし。トーラスとベルゼよ。すまないな。妾は用事ができてしまった故ここで外させてもらう。こいつは貰っていくぞ」
そう言いながら彼女はおもむろにローバスの足を掴んで引き摺りながらその場を去ろうとした。その背をトーラスが呼び止める。
「お待ちを。一体どこへいくつもりです?」
「エンゼールに決まってるだろう? こやつのいうことが正しいなら、エンゼールとは楽しい話ができそうだ。逆に嘘だったなら、それはそれで面白い。グリムはそれなりに数の多い種族だしな」
「そうですか。でしたら、これをどうぞ」
トーラスはそう言い、腕を空中に翳した。たちまち物体が出現し、それは縄の形を模った。
「素手で足を掴んでいくのは面倒でしょう?」
「おお。さすがはトーラス、気が利くな」
「ベルゼもこのくらい気が回ればな」と彼に聞こえるようにわざとらしく溢してから、ローバスの足に縄をくくり付けてゾロアはその場を去っていった。リングも出ていき、その場にはトーラスとベルゼだけが残った。
「私たち二人だけになるのは珍しいですね。何か聞きたいことがあればどうぞ。無知は悲しいものですから」




