第四十話 不安の吐露と前進
バッシュがザグロ達やファルと話している間、アリスは先ほどまでの自身の言動を振り返り、頭を抱えていた。彼女としても、グリムとの対面でここまで冷静さを欠くことになるとは思いもしていなかったのである。確かにグリム及び魔族に強い憤りを覚えていたのは確かだったが、頭に血が上って周りが見えなくなるほど感情が昂ったことは、どんな相手だろうとこれが初めてだった。不甲斐ないというよりも、自分への不信感が募ってしまう。そんなアリスの横では、ハンナが心配そうにその横顔を見つめる。
「アリス、大丈夫?」
「大丈夫、もうグリム相手でも落ち着いていられると思う」
「そうじゃなくて……。その、さっきからずっと元気がないから」
ハンナにそう言われ、アリスはその澄んだ瞳を移ろわせて下に向ける。アリスも、その質問への答えには自信がなかった。
「……そうだよね。……うん。ごめんね、ハンナ」
「え?」
「だって、びっくりしたでしょ? 私があんな風に人に当たるのって、初めてだったから。」
口元は笑っているが、目線は俯いたままだ。それは自分が落ち込んでいるのを隠すために、無理に明るく振る舞うアリスの癖のようなものだと、ハンナは知っていた。ハンナに見透かされているのはアリス自身もすぐに分かり、もう一つ付け足す。
「それにね、ずっと言えなかったけど私、時々不安になるんだ。前に言ったみたいに、私は前世の記憶を思い起こしたからって多分、人格が変わったりはしてない。してないけど、本当に全部そうなのかなって。……自分でも分からないの。もしかしたら、私は変わってないって、錯覚してるだけなんじゃないかって。自分の人格が前と同じままなのかなんて、私もよく分からない。そんな不安がさっきのことで余計に増えちゃって、これじゃハンナに心配しないでなんて偉そうに、言えないなって……」
アリスの声が、少しずつ掠れていくのが分かった。アリスが心の内を打ち明けてくれたのがハンナには嬉しく感じられたが、それ以上にアリスの背負う重みの実像が、ハンナとアリスをこれまでになく分け隔てているように感じた。それでもハンナは、アリスと最も長く隣り合わせた友人として、彼女なりの言葉を紡ぐ。
「あのね、私はさっきのアリスを見たからって、何も疑ってなんかないわよ。たしかにあんなアリスを見たのは初めてだったし驚いたけど、それだけでアリスが変わっちゃったなんて思わない。ただ、あれもアリスの一面っていうだけでしょ? 受け継いだ記憶の中にグリムの恐ろしさが刻みつけられてたんだから、あれだけ取り乱すのも仕方のないことだと思うわ。そう考えると、むしろ普段からあんたの危なっかしい性格を見てきた私からしたら、あれだってそう不思議なことじゃないのかも、なんて。私はアリスを信じてるわ。アリスは、どうなの?」
「ハンナ……」
アリスの顔に軽い笑みが浮かんだ。今度は誤魔化しのない、純真に満ちた笑顔だった。
「うん。私もハンナのこと、信じてる。ハンナがそう言うなら自分のことも、何だか信じられる気がする」
心にかかった靄も減り、気分が楽になると、アリスにバッシュへの関心が戻ってきた。そちらへ目を向ければ、ファルとバッシュが何か話しているのが見える。ザグロを始めとして、幾人かの者達もその会話を聞いているようであった。
「ねえ、何話してるのかな? 私達も行ってみない?」
「さっきまであんなに落ち込んでたのに、立ち直り早いんだから……。まあ、それもアリスらしっか。いいわよ、行きましょ」
アリス達が近づくと、二人の話し声が鮮明になって聞こえてきた。
「だから、分からないよ。それじゃあ理由になってない」
「……何度も言うが、俺がお前を助けたのはただの気まぐれだ。別に理由なんてない。俺達は魔物だ。それが当然だろう」
「どうして? あそこから逃がしてくれただけならまだしも、他のグリムから庇ったりもしてくれたじゃないか。それも全部、気まぐれだったって言うの? どうして僕の質問には答えてくれないの?」
ファルの問いに、バッシュは口を閉ざして何も言わない。その様子を見て、アリスは前に進んだ。
「あ、アリスさん……。えっと……大丈夫なんですか……?」
「だ、大丈夫だよ! その、さっきは動転してて……」
たじろぐファルに、アリスは慌てて弁明する。明らかに先ほどの一悶着が尾を引いていた。それから一息ついて、バッシュに話しかけた。
「あの、さっきは色々大変だったけどさ、私からもお願い。ファルとしっかり話してあげてくれないかな」
「……これ以上何も話すことはない。お前達だって、急いだ方がいいのだろう」
バッシュの態度は頑ななままで変化しないものの、アリスはそれに落ち着いて対応出来ていた。何よりも、アリスにはバッシュの態度の理由に一つ、確信のような心当たりがあった。
「私にはあなたが、なんだかファルに負い目を感じてるように見えるの。もちろん敵である私たちにいい感情を抱けとは言わないけど、ファルにはちゃんとあなたの気持ちを伝えて欲しいな。それがお互いに、1番良い向き合い方だと思うの。私が伝えたかったのはそれだけ」
アリスの話を聞いたバッシュはバツの悪そうに、ため息を吐いた。
「人間ってのは、どいつも察しがいいもんだな。同類達と違って、誤魔化しづらくて困る。そうだな……俺も既に捕らわれた身だ。仕方ない、腹を割る必要があるようだ」
バッシュの言葉に、ファルが顔を明るくさせた。手を握りしめてバッシュに近づく。
「じゃ、じゃあ、話してくれるんだよね?」
バッシュが頷いて返すと安堵からか、ファルの身体に入っていた力が抜けた。それからアリスにも向き直る。
「アリスさん、いろいろありがとうございます。なんだか、疑っちゃってごめんなさい……」
「い、いいんだって! もうその話はいいから!」
アリスにも非があった分、そのことを掘り下げられて感謝されると恥ずかしくなってしまう。ファルとバッシュが話し始めると、アリスのもとにヴァルメが近寄って来た。
「あれ? どうしたの?」
「どうしたというより、話は終わったのでしょう? 私達の戦いに必要な情報は、悪いけどファルの前にだいたい聞いておいたから、さっさと行くわよ。」
「もう行くの? まぁそれは分かったけど、ファルとあのグリムは?」
「ここで待っていてもらうことになるわね。 ザグロさんともう一人残るから、心配はいらないわ」
アリスが見ればザグロが、一人の男に肩を借りてこちらへ来ていた。肩を貸している男の名前はアリスには分からなかったが、ザグロと一緒にファル達を守ってくれるというもう一人の者なのだろう。アリスと目が合うと、ザグロはまず謝罪した。
「すまないな、先導していくべきである立場で負傷してしまうとは。まとめ役はヴァルメ殿に頼んだから、アリス殿らもどうか彼女の言うことをよく聞いてくれ」
「怪我、大丈夫なんですか? その、もし魔物に襲われたら……」
アリスの心配に対し、ザグロは笑顔で返した。
「それは心配無用だ。このくらいの傷なら、並大抵の魔物にはやられないさ」
それから、隣にいる男の肩を叩く。
「それにこいつを含めて、今回来ている集落の者たちも頼りになるもの達ばかりだ。信用してくれ」
ザグロに別れを告げ、アリスはヴァルメと話を戻す。
「ええと、次はヴァルメが指揮をとってくれるんだよね? えへへ、私ヴァルメのこと信頼してるから、頑張ってね!」
「あなたこそさっき取り乱してたのは全員見ているんだから、しっかりしないと置いてくわよ」
「み、みんなそのことばっかり言うんだから!」
アリスが顔を赤らめて、どんどんと前へと進んでいくヴァルメの背を追う。




