第三話 前世の記憶と受け継いだ力(side.アリス・ローレン)
窓から入る日差しに照らされながら、私は朝をむかえる。鏡の前に立ち、映る自分の乱れた髪に苦い顔をしながらも心は晴れやかだ。
くしで髪を整えていると、軽くドアを叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
高揚した気分でノックに返事を出せば、すぐにドアが開き、眼鏡姿の男が顔を出す。私の父、オッドである。
「誕生日おめでとう、アリス」
「ありがとう、パパ」
私は心のままに父へと抱きつく。
「今日はいつになく機嫌がいいな」
「当たり前でしょ。今日で私、17歳だよ?」
この村では、17歳にもなればもう立派な大人である。色々と出来ることも増えるし、成人の祭りもある。しかし、ここまで気分がいいのはなにより気持ちの面が大きい。
心待ちにしていたこの日が遂にきたという実感は、自分でも信じられない程に心を舞い上がらせていた。昨日の夜は殆ど寝られなかった程だ。
「母さんもディーンも、下でお前を待ってるぞ?」
「えっ、ほんと!? そんなに経ってる!?」
言葉と同時に外の景色に目を向ける。とっくに日が昇り、燦々と陽光が降り注いでいた。
「昨日もっと早く寝たほうが良かったぁ。せっかくの今日なのにぃ」
「そんなに落ち込むことはないさ。楽しい一日になる。まずは、あー……邪魔だったかな?」
父は部屋を眺め、そうこぼした。今日着るための服を選ぶのにいくつか散らかしてしまっていたのだ。
「あー……そうね、えっと、すぐ着替えるから、ちょっとまってて!」
「ああ、わかったよアリス」
そういって部屋から出る父を見送ると、すぐに準備を始めた。幸い、成人の祭りまではまだ時間に余裕がある。
そう考えていると、あっという間に時間が過ぎてしまっていた。部屋の扉が荒々しくノックされる。
「姉ちゃん!いつまで準備にかかってるんだよ!」
この声は、弟のディーンだ。さすがに時間をかけすぎてしまった。
「あとちょっと!あとちょっとだけ待って!もうすぐで着ていく服決まるから!」
「は!? さっきも服選んでたんだよね!? いつまでかかるんだよホントに!」
そう、私の着ていく服はいまだに決まっていない。決められないのだ。そんなに多く持っているわけでもないのだが、こんなにも大切な日に着ていく服なのだからとかれこれずっと悩んでいる。
「あと20回手を叩いたら扉あけるから!」
「えっ!? ちょ……まって!」
突然の宣言と同時に鳴り始める手拍子の音に急かされ、咄嗟に手の届く服を着てしまう。それからすぐにディーンが部屋の戸を開け、私と同じ銀色の瞳を覗かせる。
「やっと決まったね」
「ちょっと! 急かすから適当に選んじゃったじゃない!」
満足顔のディーンへと、不平をこぼす。
「こんな……こんな……」
絶望しながら鏡を見ると、思わずつぶやく。
「あっ……意外といいかも」
その後、家族で食事を摂った。ディーンがじとっとした目つきでこちらを見る。
「あーっ、やっと食べられた。誰かさんのせいで餓死するとこだったよ」
「う、ごめん……」
いつものごとく嫌味を言ってくるが、今回はさすがに私が悪い。それに、こんな日の朝から姉弟喧嘩もしたくない。
「ディーン、女の子にとっては、身だしなみっていうのはとても気を遣うことなのよ。それも特別な日なら、なおさらね。女の子の気持ちも分からない子は嫌われるわよ」
母がそう言ってディーンを諭そうとするが、ディーンも譲らない。
「母さんが言っても説得力がないね。髪だってボサボサだし」
「ディーン! あなたママになんてこと言うの!」
こうして、朝っぱらから姉弟喧嘩が始まった。
「だって、そのとおりだろ」
「あれはパーマっていうのパーマ! 分かる? パーマ! 必要性は感じないけど、ママは毎日時間かけてセットしてるの! 必要性は感じないけど!」
「おい、お前たちやめないか。母さんにまで……」
父もさすがに止めようとするものの姉弟喧嘩は止まることなく、しばらく続いた。──
──「だから、絶対インコの方が喋るでしょ!」
「いいや、オウムだね。そもそも大きさから違うじゃないか!」
「大きい方が良いって訳でもないでしょ! こう、あの可愛らしい姿で真似するからいいんじゃない!」
「それ、喋りが上手いかと関係ないじゃん!」
いつの間にやら思い切った脱線の仕方をしていた口喧嘩を止めたのは、1人の来客だった。
「よってインコよりもオウムの方が──」
「ごめんくださーい!」
玄関からその声を聞き、私はすぐに戸を開けに向かう。
「おはよっ」
戸を開けると、金髪を短く揃えた髪型の少女が立っていた。
「おはよう、ハンナ。あがって」
目の前の少女、ハンナに、私は笑みを浮かべてそう言った。
ハンナと私は幼馴染である。小さい村なので歳の近いほとんどが幼馴染ともいえるが、ハンナは特に仲がいい。今日はハンナと私を含めた4人が成人の祭りの主役となる。
「あがって。じゃないわよ! もう始まるわよ祭り!」
「へ?」
そんなはずはないと思う。祭りが始まるのは昼頃のはずだ。寝坊したと言っても、いくらなんでも間に合わないわけが……。
ハンナが自身の腕につけている時計を差し出す。それを見れば、11時56分となっていた。
「なんで!? え! なんで!?」
「はぁ、どうせ寝坊でもしたんでしょ。分かってるわよ」
いつもの調子だといったふうに、ハンナはやれやれと肩を上げた。
「ねっ、寝坊はちょっとしかしてないはず……」
「まったくこれだから、トジだよね姉ちゃんは。だから早く着替えればよかったんだ」
あけれたようにそう言うディーンを見て、私はある答えに思い至った。
こいつが元凶だ。
「ディーンが挑発したからじゃん! そうじゃん! ふざけんなー!」
「はいはい……」
ディーンとまた喧嘩しそうになる私を、ハンナが祭り会場へと引っ張っていく。
祭り会場といっても、かなり小規模なものだ。しかし、もともと小さいこの村の行事の中では一番と言ってもいい規模ではあるのだが。
「私たちの出番は、大体20分後くらいかしらね」
ハンナが腕につけた時計を確認しながらそう伝える。
「そっか。じゃあもうちょっとお店まわってみよっかな」
私の提案に、ハンナも頷く。
「でも、便利だよね。腕時計。それがあれば、私だって絶対遅刻なんてしないのに」
「よく言うわよ……」
腕時計の針を正確に読めるの自体、この村ではずっと付けているハンナと私くらいなので、秘密の暗号っぽくて。そういった意味でも気に入っている。ハンナの腕時計は遠くからきた旅人にもらったものだそうで、村のみんなも珍しがっていた。その時はちょうど私が熱を出して寝込んでいたために、その旅人に会う機会を逃してしまったのだ。勿体ない、私も会っていればなにか凄いものが貰えたかもしれないのに。なんだろう、魔法の杖とか?
「けど、一緒にもらった電池がもうないから、長くもたないんだ」
電池か。ハンナから聞いたことはあるが、確かにこの村では調達できそうにない。村の外には不思議なものがきっとたくさんあるのだろう。いつか私も、村の外へ出て旅をしてみたい。まあ実際は危険なので、そんなことできないのだが。
「そうなんだ。でも、一度時計から離れてみるのもいいかもね。ハンナは時間にきっかりしすぎてるし、もう少し適当でいいんじゃない?ほら、村のみんなを見習ってさ」
「あんたももうちょっと規則正しくしなさいよ。村のみんなを見習って」
そんなことを話して歩いていると、人混みの中に深く帽子をかぶった男が目に入った。
「ね、あんな人村にいたっけ?」
小さな村である。村の全員と面識はあるはずなのだが、その男には見覚えがなかった。まあ、村に普通に入って来れている時点で危ない人ではないと思うが。
「うーん……もしかして、旅の人じゃないかしら。さっき村長があの人と話してるの見たわよ。それにしても、珍しいわね」
「えっ、旅の人? 私初めて見たかも!」
ハンナの答えに、私は興奮してしまう。旅人なんて滅多に会うことはできない。行商人は来ることも多いが、何人もの護衛を連れているし、私達のような子供はまず相手にしてくれない。それに行商人と違って、一人で旅をするというのは本当に危険なことなのだ。かなり強くなければすぐに殺されてしまうだろうし、そもそもそんな人はこんな辺鄙な村にわざわざよることもない。
「声かけてみようよ!」
興奮しきった私は、ハンナへとそう提案する。
「そうね、賛成」
ハンナからも了承を得て、二人で旅人へと近寄った。
「「あの!」」
私たちの声に、旅人は振り返る。真っ赤な目をしていた。旅人は、そのまま私たちを見つめる。その様子に少し緊張しながらも、話を続ける。
「あの、旅の人ですよね。この村では珍しかったので、つい」
私の言葉を聞いて、旅人は表情を緩めた。
「ああ、そうだ。旅の途中で立ち寄ってね。ありがたいことに、ここの村長が招き入れてくれたんだ」
「へぇ、旅を続けて長いんですか?」
「そうだな……。2年は経つかな」
ハンナの質問にも、快く答えてくれる。最初は少し警戒もしてしまったが、やっぱり悪い人じゃなさそうだ。
「そういえばお名前はなんていうんですか? 私はアリスです!」
「あ、私はハンナっていいます」
私の質問に少し迷いながらも、旅人はこたえた。
「……俺はベルだ」
「あの、ベルさん。村の外って、どうなってるんですか? 大きな町とか、見たこともないようなものがあったりするんですかね!」
「……悪いけど、そろそろ行かなくちゃならないんだ。先に失礼するよ」
申し訳なさそうにベルがそう告げる。
「そう……ですか。あ、いや、私たちこそこんなにいろいろ聞いちゃって……ありがとうございました」
私たちはベルへそれぞれ感謝の言葉を述べてから別れた。旅人は本当に珍しいので、いろいろと質問攻めにしてしまった。かなり失礼だったかもしれない。
「けど、憧れるなー」
ベルを見送ってから、私はハンナへと言う。
「旅人?それとも、村の外?」
「どっちも、かな。村の外は気になるし行ってみたいけど、強くないとできることじゃないから」
村は戦える人もある程度いる上に柵や罠なども仕掛けられるため滅多なことがない限り安全だが、1人で旅をするとなると話は変わってくる。何かあっても自力で対処せざるをえないためだ。
「でもさ、アリスのお父さんも昔は旅してたのよね?」
「うん。そうは見えないけどねー」
たしかに父はもともとは各地を旅していたらしい。しかしその生活にも疲れ、母との結婚を機にここで定住することにしたと言っていた。
「じゃあ、外のことについても詳しいんじゃないの?」
「そう思うでしょ? それが、危険だからって言って全然教えてくれないの!」
父は、私が外について関心を示すのをなぜだか良くは思わないのだ。この村じゃ使わないようなことを勉強させたりするくせに、いざ外の詳細を聞こうとするとはぐらかされる。ハンナの腕時計について聞いても曖昧な答えしか返って来ないし、親の過保護というのも些か困ったものである。
「別に外について何を聞いたって出ていかないのに。まあ、出ていけないんだけどね」
弟のディーンは私より余程剣の腕前がたつのでしようと思えばいつか旅もできるかもしれないが。私はちょっと手先が器用なこと以外、なんの取り柄もないのだ。外に出たらきっと一瞬であの世行きである。
「ハンナならほら、力があるから行けるかもしれないけどね。いつかは剣なんか持っちゃってさ」
ハンナは喧嘩が強いのだ。小さい頃私を助けてくれたこともある。父は私やディーンに剣術を教えようとするが、ハンナにこそ教えるべきかもしれない。
「ははっ、冗談やめてよ。ほら、そろそろ行くわよ」
ハンナはそうあしらってみせる。
……結構本気だったのに。
そうこうしているうちに、私たちの出番がやってきた。村長が話終えたら壇上に上がることになっている。しかしいざ自分の出番を待つとなると、段々と身体が強張ってくる。
「うわ、緊張する……」
「別に緊張する必要ないでしょ。全員顔見知りだし」
緊張でかたくなっている私に、ハンナが呆れたようにそう言う。
「はっ、お前はほんとに情けないよな。こんな程度で緊張するなんてさ」
隣にいた青年、クロッツがそう茶化してくる。そこにクロッツの友人であるターナーが入ってきた。
「緊張で脚震わせながら、何言ってんだよ」
「こっ、これはちげぇよ! 寒いからな今日は!」
「今夏だけど……。汗かいてるじゃない」
「うるせぇアリス! これは武者震いだ!」
クロッツとターナー。この2人と私たちが今日成人の祭りを迎えるメンバーだ。
「けど、いいよなアリスは。誕生日が祭りの日なんて。このあと家で誕生日も祝うんだろ?」
クロッツがそう言って私の方を見る。
「そうかな? まあ、1日にたくさん楽しみがあるっていうのはいいのかもしれないけど」
しかしそこまでそのよさは分からないが……。なぜそんなことを聞くのだろう。
「なに?あんたもしかしてアリスの誕生日、一緒にお祝いしたいの?」
ハンナがにやつきながらクロッツへとそう迫る。
「ちっげえし! ふざんなよまじで!」
「やめてよハンナ。ただでさえ、クロッツには私嫌われてるんだから」
「アリス……。あんたそれ本気でいってんの?」
「はぁ……」
ハンナとターナーが呆れたようにこちらを見てくる。
「な……なに?私変なこと言った?」
クロッツは顔を真っ赤にしている。きっとハンナのせいで怒っているのだ。怖い。
「えー……では、これで私の話は終わりになります」
どうやら、村長の話が終わったようだ。聞いていなかったが。毎回似たようなことしか言わないので仕方ない。
しかし、ついに出番が来た。とてつもなく緊張する。体をほぐす為、目をつぶって深呼吸をしてみる。
「キャアアアアア!」
誰かの悲鳴が響いた。驚いて周囲を見回すと、皆一様にして壇上を見ている。
壇上が見える位置まで回り込んでみると、村長が帽子を深く被った男に、胸を貫かれていた。途端に、思考が止まる。
「ア、アリス。あの人……!」
ハンナがかすれた声で話しかけてきた。帽子の男は、まぎれもなく先程の旅人。ベルであった。
「嘘……。どうして?」
誰もが呆然とするなか、彼は自身の帽子をはずした。その頭には、人間にはないはずの角が生えていた。魔族である証だ。
人は次々と逃げ出していく。しかし、それはすぐに止まった。囲まれていたのだ。周囲は大量の魔族で溢れていた。
成人の祭りで人が密集しているところを狙われてしまったのだ。
恐らくベルがリーダーだ。魔族にもたしか、種類がある。姿が人に近いほど知性があり、完全に人型の者は悪魔と呼ばれる。反対に人間から離れた見た目の魔族ほど知性は薄い。それらは魔物と呼ばれている。
そして悪魔は利己的な考えが強いため他の悪魔と行動することは滅多にない。それゆえ数がほしい場合は、大抵知性の薄い魔物や弱い人間を従えて行動するのだと父から聞いたことがある。
あの魔族は、見たところ姿は角がある以外ほとんど人間だ。悪魔だと見てきっと間違いないだろう。あいつが先導して他の魔物を集めたのだ。
「やれ」
ベルがそう言うと、魔物たちはいっせいに人々に襲いかかる。周囲は阿鼻叫喚の嵐と化していた。
「逃げるぞ!」
クロッツが私たちへと呼びかける。
「逃げるって言ったて、どうやって!」
「知らねぇよ! けど、どうにかして逃げなきゃ確実に殺されるじゃねぇか!」
ハンナの言葉にクロッツが訴える。たしかにそうだ。逃げなければ、殺される。
「魔族が集中していないところを探して、突破するしかない」
ターナーがそう提案した。
「そうだな。逃げ切れる方法はそれしか……。おい、アリス! なにぼーっとしてんだ!」
クロッツが私に早く動くよう促すが、私は動けなかった。
この光景を見たことがあるような気がしたのだ。
魔族に殺されていく村の人たち。人を殺す、魔族の狂気を感じさせる顔。そこまで考えたところで、死ぬ前の記憶。前世での記憶が私の頭で蘇った。
そうだ。わたしは……。
この光景を知っている。
「アリス! ねえ! アリス!」
ハンナが呼びかけるが、私はそちらへ意識をむけることが出来なかった。
「やめて……」
気付けば私は、そう呟いていた。
「やめて……!」
これ以上、私から奪わないでほしい。もうこれ以上、人が死んでいくのを見たくない。
「やめてぇぇぇぇ!!」
私の叫びとともに、周囲に電撃が迸った。私の身体から強烈な電流が発生して魔族の体を穿っていく。
「はあ……はあ……」
すべてが終わったあとには、私は地面に倒れていた。とてつもない疲労感が私を襲う。しかし、魔族を倒すことができた。そうだ、シリスからもらった力。きっと今のがそうだ。私は……。
目線をあげると、目の前にあの魔族の男が、ベルが立っていた。男は嗤笑のこもった顔を向けて口を開く。
「見たことがあるぞ。その力」