三十四話 悪鬼の首領
静寂と殺気の入り乱れた空間。周囲は腐敗した匂いと汚濁された空気に満ちている。それがグリム達の拠点だ。
そんな人為とも自然とも程遠い空間に、人の姿があった。グリム達に連れ去られた、ナルアラの民達である。恐怖に顔を染める彼らを見て、グリム達は涎を啜る。
「やっぱり喰わねえか? おれ、もう我慢の限界だ」
「ああ、喰おう、喰おう。一匹ならバレやしねえ。第一、脱走したあの人間みたいに逃げ出さねえとも限らねえ」
「あー、あの人間な。オロバさん、すげえ怒ってたもんな。見張りだった奴、殺しちまって」
「しょうがねえさ。脱走に気が付かなかったあいつが悪い。けどよ、オレらが一匹喰っちまったら、殺されちまうか? でも、食えてえよなあ、こいつら」
2体のグリムが歯を剥き出して笑う。別に彼らに人間を食べる趣味はないが、恐怖に怯える人間の顔を見て楽しんでいるのだ。そうして談笑を続けていると、もう一体、グリムがやってきた。目には傷があり、他のグリムとはまた違った独特な雰囲気を纏っている。
「あ、バッシュさん。どうしたんだ?」
「オレが見張りを代わる」
バッシュと呼ばれたグリムはぶっきらぼうに言い、その場に腰を下ろした。
「え? けどよ、見張りの交代はオロバさんが決めることだぜ? いくらあんたでも」
「オロバは言いつけを守らない奴に容赦しない。先程の話は聞こえたが、腹が減ったならその辺の動物か魔物にでもしておくんだな」
「どういう意味だ?」
グリムの一体が問いかけると、バッシュの顔がより一層険しくなった。
「オレにこれ以上言わせる気か? それとも、さっきの会話をオロバの耳に入れるか?」
「い、いや、どうしたんだよ。ほら、冗談だろ? ああ、オレ達はさっさと退散させてもらうからよ!」
グリム達は顔を引き攣らせながら、急いでその場を離れた。バッシュから離れ後、ため息を漏らす。
「あのひと、冗談通じない時があるよな。にしたってバッシュさんも人間なんてどうでもいいだろうに、オロバさんの言いつけだからって守るように近くにいるもんな。オロバさんが信用するのも分かるけど、オレ達はやり辛えよな」
「もっともだ。……なあ、このことを告げ口されて、オレ達がオロバさんに粛正されるなんて事、ねぇよな?」
「さ、さすがに……そうはならねぇだろ?」
このグリムの集団は、オロバが首領としてまとめ上げている。そしてバッシュは、そこの二番手としてオロバにも信頼を置かれていた。グリムという種族は個々の実力にムラがあるが、その中でオロバとバッシュは共に高い水準の戦闘力を誇っているのだ。
この2体に対して口を出せるのは、今の集団の中ではお互いのみとなっていた。
先程2体のグリムを追い出す形になったバッシュは、特に何をするでもなく人間達の様子を見ていた。そこに足音が響く。バッシュが振り返れば、そこには一体のグリムが立っていた。バッシュとは逆の目に、傷を負っている。
「オロバか、どうした? 別に人間を見にきたわけでもないだろ?」
「それはオレのセリフだ。なぜお前がここにいる?」
オロバの顔は殺気立っているように見えた。
「……少し確認しておきたかっただけだ。八大貴龍への献上品に、死なれては困るんだろ?」
八大貴龍。魔界において、頂点に君臨する8人の悪魔達のことである。基本的に魔物が群れたり、友好的な協力関係を結ぶことはない。グリムのような例外を除けば、強い者が弱い者を恐怖で支配するのだ。そしてその最上に位置する八大貴龍が、最近人間の献上を魔物達に求めてきた。今回グリム達がナルアラを襲ったのも、それが目的であったのだ。
「しかし何故、八大貴龍は生きた人間なんか求めているんだ?」
「オレ達が詮索することじゃあない。奴らの考えに、興味もない。今は自分たちの身を守るだけだ。それよりも、オレにはもっと大事な話がある。お前は何故、あの人間を逃した?」
バッシュの目が一瞬、大きく開いた。
「気づかれていないと思っていたか? オレがあの見張りを殺したのはあいつが何か言って、お前に疑いの目が向くことを避けたかったからだ。分かるか? それだけオレは、お前を評価してやってるんだ」
オロバの殺気と威圧の凝縮された瞳孔が、鋭くバッシュを刺す。
「それで、どうしたいんだ。オレを粛清対象にしない理由は?」
「簡単な話だろ。お前はオレ達にとって強大な戦力だから。他の魔族連中との抗争に、お前がいるといないでは話が違う。それにオレは今、一つ空いている貴龍の座を狙っている。そのためにもお前は必要だ。だからこそ聞かせてもらう。何故、人間を逃した」
「……オレは、できれば人間を殺したくない。人間だけじゃない。他の魔族と争う時もほとんどは止めは刺さず、仲間に全て任せている」
「何故だ?確かにお前が争いごとに消極的なのは理解していた。だがそれは己の身を優先して考えているのだと思っていた。殺したくないだと?」
オロバはバッシュの言うことが理解出来ず、眉間をしかめる。
「怖いからだ。死に際の生き物の悲痛に沈んだ表情も、その腹の底から出る叫びも。出来ることなら見たくも聞きたくもない。それが同じ言葉を話す相手なら、なおさらだ」
「……やはり理解できんな。我々はグリムだ。他の生物どころか、同族すらも殺すことを厭わない。何故そう腑抜けた戯言を宣えるのだ」
「確かに、オレは腑抜けだろうな。グリムどころか、人間程の非情ささえ持ち合わせていないのだから。そのくせ戦いの場では自分だけ殺しの業から逃れようとする。それぐらい理解しているさ。だがそれがオレだ。お前に諭される謂れはない」
殺気を抑えていたオロバの表情が、怒りの形相へと変化した。かと思えば、強く地面を踏みしめてバッシュへと近づいていく。
「もう十分だ。今までこんな臆病者の欺瞞に絆されていたとは。お前はいつか我々の足を引っ張るだけの存在だと今わかった。ここで死ね」
まさに一触即発という中、突然外から敵襲を知らせる角笛の音が聞こえた。叫び声や怒号も響いている。
「なんだ?」
オロバが何事かと困惑していると、そこへグリムが入ってきた。ひどく焦った様子で、真っ先に第一声を放つ。
「て、敵襲だ! 人間達が攻めてきたんだ! どうやらあの集落の奴らが仲間を取り戻そうと動いたようで!」
「何だと!? おい、戦局はどうなってる」
オロバが動揺している隙を見て、バッシュはその場から逃げ出した。オロバは追おうとするも、踏み留まる。
「チッ……まあいい。とにかく、奇襲で崩されたであろう体制を取り戻さなくては」




