逃走、暴走
「分かった、撃つな!だが、その前に俺も一服したい。構わないか?」
「ああ、良いだろう。だが変な真似はするなよ!」
男は、右手の鞄を置き、左手に持っている羊皮紙を広げる様に地面に置いて、左脚で飛ばされない様に踏んで抑えると、懐からタバコを取り出し、一本口に咥える。
そして、再度コートの内ポケットに手を入れ、ライターを取り出す……だがこの時、津案と呼ばれたこの男が、ライターの他にもう一つ、白く半透明な石も一緒に取り出した事に気付いた者は居ない。
津案がライターでタバコに火を着け、その後両手を頭の後ろで組む。
刹那、地面に置かれた羊皮紙が白く輝き出した。
「津案!貴様、何をした!」
「アンタも見てたろ。俺は何もして無いぜ。ふっふ♪」
「嘘つけ!三歩下がって跪け!」
津案は大人しく従う。
白い光が収まると、茶色く変色した羊皮紙の上に小さな雪だるまが一つ。
「何だこれ?」
この言葉は、跪いた男と、跪かせた男、その両者から同時に漏れた言葉である。
「フッ、何だ、これがお前の切り札って奴か?なかなか可愛いじゃねえか」
「チッ!」
男にとってはこんな筈ではなかった。
あの羊皮紙に書かれていた魔法陣は、悪魔の眷属を召喚する魔法陣だった筈。
そう言う話で密輸したものだったのにと……。
「高山、そこの鞄を押収しろ。それと念の為だ、あの雪だるまと、その下の羊皮紙も一緒にな」
「ハッ!警部補殿」
高山と呼ばれた制服姿の警官が鞄の中身を確認し、次に雪だるまの元に歩み寄る。
一見何の変哲もない雪だるまだ。
腰を屈め、手に取ろうと手を伸ばす。
ギロ!
雪だるまの目が開き、高山を睨みつける。
作り物の目では無い。
血走った獣の目。
高山は凍り付いたように、動けなくなる。
悍ましさに悲鳴を上げたいが、声すら出無い。
「おい、高山?どうした?」
雪だるまの変化に気付いていない警部補が、背後から声を掛ける。
刹那、高山の伸ばした右手に痺れる様な痛みが走る。
高山は驚愕する。
自分の右手に氷柱が生えている……いや、違う……氷柱が手の甲を深々と貫いているんだ!
「ぐわーっ!」
痛みで、金縛りが解けた高山の悲鳴が響き渡る。
それと同時に、高山の左肩、腹部、右脚に更なる激痛が走る。
「高山!」
悲鳴を上げ、のけ反る様に倒れる高山に警部補がその名前を呼ぶ。
高山の体に突き刺さっている何本もの氷柱。
明治神宮で、英国大使館の裏庭で、共に戦った少女の顔がよぎる。
彼女は魔法で氷柱を飛ばしていた。
そして、さっき迄とは打って変わって、邪悪な容貌の雪だるま。
コイツは只の雪だるまじゃない!
あの氷柱はコイツの魔法!
何が起こっているのか瞬時に判断した警部補は、銃を抜こうと懐に手を入れるが、雪だるまの眼前に新たな氷柱。
その氷柱が自身を狙っている!
警部補は反射的に右側に飛ぶように回避。
一本の氷柱が左頬を掠める様に切り裂き、さらに、左腕に痺れる様な痛み。
「くっ!」
放たれた氷柱はそれだけではない。
無数の氷柱が空を切り、警官達を襲う。
「全員伏せろ!」
警部補は叫ぶが、既に何人かの呻き声。
地に伏せたまま、再び銃を抜こうとするが、突如辺り一面が白く冷たい霧に覆われる。
パンパン。
思い出したかの様に、発砲音。
だが……霧に覆われてしまっては……。
「撃つな!同士撃ちに成るぞ!」
タッタッタッタ。
何者かが走り去る足音。
「逃がすか!」
立ち上がり、追いかけようとする警部補の右頬を、ヒュン!と氷柱が掠める。
「チッ!」
已む無く、身を屈める。
数秒もすると、霧が晴れ辺りの様子が分る様に成る。
何人もの警官が、血を流し倒れている。
当然、津案も雪だるまも、既にそこには居ない。
「山田警部補殿、御無事か!」
橋の反対側から憲兵の腕章を付けた軍服姿の女性が、警部補の傍に走り寄る。
「すまん。してやられた……。イッ……」
警部補は、氷柱の刺さった左腕を押さえつつ立ち上がる。
「お怪我をされている様子。先ずはお手当てを。伍長、救護班を!」
「ハッ!」
「それにしても、警部補殿いったい何が……?」
「さぁな……。俺はアンタらと違って専門家じゃ無いからな。良くは分からん。だが、奴は雪だるまを召喚しやがった」
「雪だるま……とは?」
「ああ、笑えん話だがな。そいつが氷柱を撃って来やがったんだ。お嬢ちゃんの氷柱程じゃないが、見ての有様さ……。ともかく、あんな奴を野放しには出来ん」
「成るほど……では、今度は魔法攻撃を想定して、其方と此方、合同の隊を編成して津案を追うと言うのは如何か?」
警部補は再度辺りを見回す。
「はぁ~……この有様では仕方有りませんな。承知した」
「ハァ、ハァ、ハァ~、此処まで来れば……ハァ、ハァ~」
路地とも呼べ無い様な、建物と建物の隙間に身を潜め、男は足を休める。
普段これ程、全速力で走る事が無い為か、足がガクガクと震えている。
「ヘヘヘ、それにしても、手前やるじゃねえか」
逃げ去る時に、鞄に放り込んで連れて来た雪だるまに、そう語りかける。
「召喚した時はどうなるかとヒヤヒヤしたぜ、ヘヘヘ」
あの魔法陣は、悪魔の眷属を召喚するものと、聞いていた。
当然、その様なモノを召喚する程の魔力を、この男は持ち合わせてはいない。
だからあの時、ライターを取り出すと同時に、隠し持っていた精霊結晶を取り出し、踏んづけた足を通して精霊結晶の魔力を流し、魔法陣を起動したのだ。
だが、召喚されたのは、高さ三十センチ程に満たない雪だるま。
予想していた物とは異なるモノに、男は一瞬絶望した。
「だが、あれ程のモノとは想像していなかったぜ。魔法陣も精霊結晶も高い買い物だったが、役に……ん?」
鞄の上にちょこんと収まっていた雪だるまが、ピョンと右肩に乗る。
「冷てぇ!おいおい、懐いてくれるのは悪い気はしねえが、お前さん冷たいんだよ。降りてくれ」
そう、降ろそうとするが……おかしい……。
まるで、凍り付いたようにビクともしない。
それに、右肩が異様に冷たく成って来た。
男は、右肩を見る。
右肩が凍り付いている。
「うわっ!離れろ!離れろ!」
雪だるまを引き剥がそうと、雪だるまを掴んだ手も凍り付き離れなくなる。
「うわっ!うわっ!うわっ!」
男には、もう悲鳴を上げるしか出来なかった。
「キケ、キケキケキケキケケケケケ!」
男が最後に見た光景は、獣の様な血走った目を歪め、奇怪な声で笑い声をあげる雪だるまの姿だった。
そして、自身の体の体温が奪われ、凍り付いて行くのを実感した……。
修正履歴
2020/7/19 誤字脱字の修正。本文の内容は追加変更無し。




