3、ご主人様はあの人
「ネロ! ネロ! 無事だったのね! 綺麗な衣装を着せてもらって。とても似合ってるわ。ああ、良かった。良かった」
私は駆け出してネロを抱き締めた。
ネロはフリルたっぷりの白いブラウスに質のいいチェックのベストと、キュロットパンツに白いタイツを履いている。
髪も柔らかな金髪が綺麗に整えられていた。
いつも薄汚れた貧民の恰好だったから分からなかったが、きちんとすると見事な美少年だ。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんも無事だったんだね。良かった」
ネロも小さな手を私の背に回してぎゅっと抱き締めてくれた。
「頭の怪我は……。手当てしてもらったのね」
ネロの頭には髪に隠すように包帯が巻かれていた。
「うん。大きなコブが出来てるけど、傷はそんなに深くないって」
「良かった。良かった……うう……本当に……」
ほっとすると涙が溢れた。
「こほん。弟の無事に安心したのは分かったけれど、ご主人様に無礼ですよ。まずはご挨拶をなさい」
ネロのそばに立っていたシモンヌに言われて、私はハッとソファに座る人物に目を止めた。
「ご主人様……?」
誰?
見たことのない人だ。
いや、どこかで見たことがあるような気もする。
ソファには……。
とってもふくよかなおばさんが座っていた。
年は五十を過ぎたぐらいだろうか。
丸いメガネをかけて、焦げ茶のカールの強い髪を後ろで束ねている。
「いいのよ、シモンヌ。弟のことが余程心配だったのね。優しいお姉さんだわ」
肉厚な手を膝の上で重ねて、にこにこと微笑んでいる。
「ピンクのドレスがとても似合ってるわ。なんて可愛らしい子かしら。女の子が生まれたら着せたいと思ってずいぶん昔に仕立ててもらった衣装なのよ。結局女の子には恵まれなかったから無駄になったと思っていたけれど、役に立って良かったわ」
どうやらロリコンのド変態ではなかったようだ。
良かった。
「さあ、こちらに来て奥様にご挨拶をなさい」
シモンヌに言われて、私とネロは奥様の前に立った。
「初めまして。レイラと申します」
「初めまして。ネロです」
二人で並んでぺこりと頭を下げた。
「まあまあ、お人形さんみたいに可愛い姉弟だこと。二人ともずいぶん大変な目にあったみたいね。辛かったことでしょう。堅苦しい挨拶はいいから座りなさいな」
おばさんは自分の隣に座るように手で指し示した。
私とネロは戸惑いながらもおばさんの隣のふかふかのソファに腰をおろした。
「お腹がすいたでしょう。今日は朝からクッキーを焼いたのよ。さあ、お食べなさい」
なんか部屋に入った時からいい匂いがすると思ったら、ソファテーブルの上に置かれた籠には大ぶりなクッキーが山盛りになっていた。
朝目覚めた時に匂ってきた甘い香りの正体はこれだったんだ。
おばさんはその籠を取って私達の目の前に差し出した。
ごくりと唾を飲み込む。
本当に食べていいんだろうか。
空腹の私とネロには、かぶりつきたいほどのご馳走だ。
でも、この世界の大人は信用できない。
なにかの罠じゃないかと考えてしまう。
「さあさあ、何を遠慮してるの? 子供が遠慮なんてしないのよ」
さあ、と差し出され私は恐る恐る手を伸ばした。
続いてネロも手を伸ばして、どっしりと重みのある大きなクッキーを一枚ずつ手に持った。
私とネロは目を見合わせてから、同時にパクリとかぶりつく。
「お、美味しい……」
この異世界で食べたものの中で一番美味しい。
前世でも充分通用するクオリティ。
バターの風味がきいていて、サクサクの歯ざわりなのに口に入れるととろける。
「うふふ。良かった。私はクッキー作りが趣味なのよ。クッキーの味だけは、この国で誰にも負けないと思ってるの」
おばさんは無心で食べ続ける私達をにこにこと見ながら言う。
「こんな美味しい食べ物初めてだよ……」
ネロは涙をためて頬張っている。
「まあ。嬉しいことを言ってくれるわね。ああ、そんなに急いで食べたら喉につまるわ。シモンヌ、二人にお茶を用意してあげて」
どうやら本当にいい人みたいだ。
でもなんで?
そして一体誰なの?
その私の疑問に答えるように、おばさんが告げた。
「そうそう。私の自己紹介がまだだったわね。私はアルフォード様の弟で、今は亡きスチュアート公爵の未亡人、ステラというのよ。よろしくね」
ステラさんか。
私はまぐまぐとクッキーを頬張りながら心の中で呟いた。
それにしても、このクッキーは美味い。
ん?
クッキー作りの上手なステラさん?
「……」
ス。
ステラおばさんかあああ!
次話タイトルは「貴族の条件」です




