37、ネロの決心
街についた頃には夜になっていた。
早めに行った分、早く終わったつもりだったが、アルフォード邸の森を抜けるまでだけでも小一時間かかってしまうのだから仕方ない。
「じゃあ、レイラ、明日ロリポップに来いよ。これからのことを相談しよう」
「うん。ありがとう、ケン。おやすみなさい」
馬車で近くの路地まで送ってくれた。
しんと寝静まった貧民街を歩いて、ヨハンのボロ屋を目指す。
ネロは大丈夫だったかしら。
ちゃんと家に帰ってるかしら。
急に不安になって、そっと家のドアを開けた。
中は静まり返っている。
ヨハンはまた飲みに行ってるのだろうか?
いたら飲んだくれているか、大いびきが聞こえるはずだ。
暗闇に目をこらしてゆっくり中に入る。
ベッドの上には誰もいない。
テーブルにも人の気配はないから、どうやら飲みに行ったらしい。
ほっと一息ついてネロの寝床を見る。
「ネロ?」
ボロボロの麻袋をかぶって丸まっている。
その丸い塊が微かに震えていた。
「ネロッッ!!」
私は驚いてネロの体をこちらに向けた。
そして月明かりにうっすら見えたその姿に愕然とした。
「ど、どうしたの……その怪我は……」
顔中にアザと腫れがある。
髪はボサボサで、服は破れて泥がついている。
「お姉ちゃん……」
ネロは涙をためてガタガタと震えながら呟いた。
「まさか……ヨハンが……。ヨハンがやったのね?」
ネロはこくりと頷いた。
「と、とにかく手当てしなきゃ。見せて、ネロ」
私は水がめで手ぬぐいを湿らせて、ネロの汚れを拭いた。
泥のついた靴のままあちこち蹴られている。
幸い骨折はしてないみたいだけど、背中は赤くなって、頬も腫れている。
「なぜこんなことを……」
こんなことならスランの工房に預けて家に帰らせなければ良かった。
私はそう言ったけれど、毎日お酒を飲んで泣いているヨハンがかわいそうだからと、ネロが一人でも帰ると言ったのだ。
ネロがそう言ったとしても私が止めればよかった。
「お姉ちゃんが帰ってこないから、お姉ちゃんにも逃げられたと思ったみたい。お父ちゃんは淋しすぎて……怖くなったんだと思う」
「だからってなんでネロに暴力をふるうのよ。そんなのおかしいわ」
「お父ちゃんは自分でもおかしいって分かってるんだと思う。だから泣きながら僕を蹴って、それでごめんなって謝って出て行ったんだ」
「やってることメチャメチャじゃない。なによそれ!」
怒りが沸々とわいてくる。
自分の淋しさを子供への暴力で晴らすって、なによそれ!
「お父ちゃんを怒らないであげて、お姉ちゃん。僕なら大丈夫だから」
「ネロ……なんで……」
なんでここまでされてもヨハンを庇うの?
本当の親だと思ってない私には理解できない。
「ネロ、これで確実に決心がついたわ。私はこの家を出るわ」
「お姉ちゃん。そんなことしたらお父ちゃんはどうなるの?」
「私の知ったことではないわ。ううん。私がなんとかしようと思ったところで、本人が心を入れ替えない限りどうにも出来ない。ここにいたら一緒に堕ちていく道しかないの」
「でも、お父ちゃんがかわいそうだよ」
「そうね、かわいそうな人だわ。でもかわいそうな人生にしたのは自分だわ。他人がその不幸を肩代わりすることなんて出来ない。自分の落とし前は自分でつけるしかないのよ。親であっても子供であっても、誰も身代わりになんてなれない。なってはいけないのよ」
「でも……」
「ネロ。ケンがあなたに飴職人の見習いとして働かないかって言ってくれてるの」
「飴職人?」
ネロの目が輝いた。
やりたいのだとすぐに分かった。
ブリキを売り歩くより楽しいに決まっている。
「住み込みだからこの家にはいられない。ヨハンにバレるとロリポップに来て迷惑をかけるかもしれないから、内緒で家を出ることになるわ。お店に迷惑をかけないためにも、ヨハンとはここで縁を切って欲しいの」
「そんな……」
「厳しい言い方だけど、あなたがずるずるとヨハンに情けをかけていれば、いずれロリポップにまで来てお金をせびるようになるわ。せっかく親切に言ってくれているケンに迷惑をかけるわけにはいかないの。決心してちょうだい、ネロ」
「……」
ネロは青ざめた顔で一生懸命考えているようだ。
幼い知識をふりしぼって一生懸命考えて。
そしてようやく答えた。
「僕は行かないよ」
優しいネロはヨハンを捨てることが出来なかった。
次話タイトルは「新たな申し出」です




