30、新たな出会い
馬車は城の手前の長い階段の前で停まった。
階段の上まで馬車で回り込めるスロープの道もあったが、町馬車に乗る平民はここで降ろされるらしい。
主人を降ろした馬車が何台か待機していた。
「その銀のケースを持っていくのか?」
「ええ。念のために」
私はジュラルミンのケースを、ケンは試食用の飴の入ったカバンを持って馬車を出た。
馬車に置いておくのも心配だし、もし可能なら試作品のケースに描いた私のサインを消しておきたい。目立つ場所ではないので上から塗りつぶしてしまえば気付かないだろう。
「ひやひやしたが、とにかくここまで来れたな。試作品を持ってきておいて良かった」
「ただ私のサインを描いてしまってるの。できれば消したいんだけど」
商品が運び込まれた部屋を探してこっそり直すことばできれば……と思った。
「サインか。絵画なんかには有名な画家のサインが入ってたりする。別にサインがあっても問題はないんじゃないか?」
「だといいんだけど……」
「それもこれもセリーヌのせいだ。あいつホントにふざけんなだ。帰ったら絶対クビにしてやる。いや、泥棒だと自警団に突き出してやる!」
城に向かって二十段ほどの階段を上りながらケンが息巻く。
「自警団って……」
捕まったら何をされるか分からない恐ろしいところじゃないの?
「無事に商品が納められたらもういいじゃない。私達にも多少の非はあるんだし」
「多少の非? 俺たちがあいつに何をしたんだ。雇ってやって給料も払ってやって感謝こそされても、こんな理不尽を受ける筋合いはない」
「そ、それはそうなんだけど……」
こういう仕事一筋の人に女心なんて分からないのかもしれない。
「と、とにかく自警団に突き出すのだけはやめて。商品が納められたんならいいでしょ?」
「レイラは優しいからな。分かったよ。ちゃんと納めることが出来たなら自警団には言わない。だけど店はクビにする。当然だろ?」
「そ、そうね……」
これだけのことをしたんだから、それは仕方がない。
本人もその覚悟でやったんだろう。
やがて階段を上りきると、目の前にシンデレラ城が聳え建っていた。
「うわああ……。すごい。これがアルフォード邸……」
階段の上にも噴水があって、貴族用の馬車のロータリーのようになっている。
大理石の彫刻がいくつも庭を飾り、衛兵のような男性があちこちに立っている。
複雑に入り組んだ塔が建ち並び、大きなアーチ型の開口部の並ぶ回廊が横長に続いている。
正面には広い大理石の階段が二階部分まで上がれるようになっていて、そこがメインロビーのような場所らしい。
「ご案内致します」
執事らしき黒服の男が近付いてきて案内してくれた。
だが賓客でもない私達は、当然ながらメインロビーではなく左端の回廊に連れていかれた。
回廊を抜けた先に小さな中庭があって、その向こうの建物の一室に通された。
部屋は広くソファセットがいくつか置かれていて、さっき見かけたチョコレート店の主人らしき腹の出た男が、付き人のような男と一緒に真ん中のソファに座っていた。
他にも金持ちそうな商人らしき男たちがそれぞれに座っている。
私とケンが部屋に入ると、彼らは不審な表情を浮かべてジロジロと見てきた。
明らかに若く新参者の雰囲気が漂っているのだろう。
さすがのケンも緊張しているのが伝わってきた。
「呼ばれるまでこちらでお待ち下さい」
執事は頭を下げて出て行った。
「すげえな、レイラ。これがアルフォード邸か。ここまで入っただけでも自慢できるぜ」
いつも冷静なケンも興奮している。
「商品はここに運び込まれてないのね。隣の部屋かしら」
部屋を見回してみてもブリキのケースはなかった。
「ちょっと外を見てくるわ。近くに置いてあると思うの」
「大丈夫か? 外に出たらまずいんじゃないか?」
「隣の部屋をのぞいて、無かったら諦めるわ」
「うん。すぐに戻って来いよ」
私はジュラルミンのケースを持って、そっと部屋を出た。
廊下に出るとドアがずらりと並んでいる。
ドアの装飾は簡素で、使用人が商人などの来客をもてなす建物のようだ。
厨房が近いのか、食べ物の匂いがうっすら漂い、木箱や麻袋が廊下の隅に積んである。
人気がないのを確認して隣の部屋のドアをそっと開けてみた。
だがそこは倉庫だったようで、天井まである棚に木箱がぎっしりならんでいた。
「ここじゃないわね。全部のドアを見て回るわけにもいかないし、やっぱり諦めるしかないのかしら」
諦めて部屋を出ようとしたが、その時スンと鼻をすするような音が聞こえた。
「え?」
驚いて振り返ってみたが誰もいない。
気のせいかと出ていこうとすると、再びスンスンと鼻をすする音がする。
気になってそっと足音をしのばせて部屋に入ってみると……。
「あ……」
そこには棚の一番下の段に膝を抱えて座る小さな女の子がいた。
次話タイトルは「ソフィー」です