4、どんな境遇でもかまわないとは言ったけど
「うそ! どういうこと? これは私?」
私はショーウインドウに映る姿を見つめながら、自分の顔や髪をなぞってみた。
窓に映る金髪の美少女は、私の手と同じ動きをしている。
長い金髪を掴んでみると、癖のない綺麗なストレートで理想的な髪質だ。しかし手入れのされてない髪は、ボサボサで薄汚れて枝毛と切れ毛だらけだった。
なんてもったいない!
こんな美しい髪を手入れもせずにこんなにボサボサにして。美の神様に怒られるわよ。
今すぐシャンプーして特製はちみつ配合ヘアパックでケアしなきゃ。
肌に触れてみると、これも吹き出物の一つもない滑らかな表面だが、やっぱり手入れされてなくてガサガサだ。地面に転がってたせいか砂がおでこにまでついている。
もったいない!!
すぐに潤い洗顔で洗い流して、美白美容液とパックで保湿しなくちゃ。
手足もガサガサであかぎれだらけだ。
足先は霜焼けで腫れあがっている。
急いでそばに転がる木靴を履いた。
保温効果はほぼゼロだが、無いよりはマシだ。
それにこの貧相で汚れた衣装はなに?
この金髪の美少女には、フリルとレースたっぷりのワンピースがお似合いよ。
これだけの美貌を無駄にするんじゃないわよ。
誰にとも分からない怒りが沸々とわきあがる中で、急に背後の観衆が騒がしくなった。
「おお、ヨハンが来たぞ」
「誰か呼びに行ってたのね」
人ごみをかきわけ一人の貧相な男が駆けてきた。
キュロットパンツのスーツ紳士たちより薄汚れて毛羽立った粗末な上着とズボンを履いている。マントの代わりに薄手の毛布みたいな布切れを肩にかけて前で結んでいた。
「すいやせん、旦那。うちの娘が騒ぎを起こしたようで」
すいやせん、すいやせんと周りの紳士たちに頭を下げながらこっちに向かってきた。
うちの娘?
え? やだ。
こんな貧乏たらしい男の娘なんかじゃないわ。
この金髪碧眼の美少女なら、金持ちの令嬢がふさわしいの。そうでしょ?
しかし貧相な男ヨハンは、まだショーウインドウに映る姿に見惚れながら顔だけ振り返っている私の背後に立った。
そして散らばるマッチの擦りカスと、籠の中の売れ残った束をチラリと見ると、みるみる顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「このバカ娘がっ!! 商品に手を出しやがって!! しかも貴族様の通り道で寝そべって騒ぎを起こすなんざ。お前などこうだっ!!」
ヨハンは怒鳴りながら私の背中を蹴り飛ばした。
「きゃっ!!!」
私は足元のジュラルミンケースに覆いかぶさるように地面に転がった。
い、いったあああ!!
なに? なんなの? こいつ全力で蹴ったわ。
ちょっとみんな今の見たわよね。
虐待よ! 現行犯だわ。誰か警察を呼んでちょうだい。
背中をさすりながら見上げると、集まった大人たちは驚いた様子もなくやれやれといった顔で立ち去っていく。
え? ちょっと待って、みんな!
見たでしょ、今の。
この美しい少女に暴力を振るったのよ。
止めに入るとか、注意するとか、良識ある大人はいないの?
「自分の子供ぐらいちゃんとしつけろよ」
「貧民街の子供を大通りにうろうろさせるな」
「これだから貧民街のやつらは……」
「へい。すいやせん、すいやせん。よく言って聞かせやす」
綺麗な恰好をした紳士淑女たちは、庇うどころかヨハンに注意して去っていった。
うそ……。
残されたのは鬼の形相で私を睨むヨハンと、ジュラルミンケースを抱えて座り込む私。
「? なんだ? その銀色のケースは?」
ヨハンは私が大事そうに抱え込むケースに目を止めた。
「これは私のものよ! トラックに轢かれても離さなかった命より大切なものなんだから」
「トラック? は? なに言ってやがる。どっかで頭でも打ったか」
ヨハンは首を傾げてから突然にやりと笑った。
「さてはどっかの貴族の家から盗んできたのか? やるじゃないか、お前。金目のものが入ってるかもしれないな」
「ぬ、盗んだりしてないわ。これは私のだって言ってるじゃない!」
「ふん。まあいい。人目につくとまずい。早く家に戻れ」
ヨハンは地面に置かれた、まだ使ってないマッチの入った籠を持って、私の腕を引っ張った。
「ちょっ……離して!! 汚い手で触らないでっ!!」
「はあっ? 汚い手だとっ? 貴様、父親に向かってなにをほざいてやがる!!」
「知らないわ! あんたなんか父親じゃないわ! 誰か!! 誰かっ!!」
「ちっ!! 黙りやがれ、こいつ! 今朝まではすぐメソメソ泣く弱虫だったくせに、どうなってんだ。とにかく、来いっっ!!」
「いやああ! 誰か、誰か、助けて下さい!! 誰か……むぐっ……っ……」
私は口をふさがれ、拉致同然の体勢でボロ家に連れていかれた。
神様、これはどういうことでしょう?
いえ、まずは望み通り美しい顔を下さったことに感謝致します。
まさか金髪碧眼の外人顔になるとまでは思ってませんでしたが、もちろん文句はございません。以前の平らな起伏のない顔から、この彫りの深さに慣れるには時間がかかるかもしれませんが、どのように手入れしようかと今から楽しみです。
ですが……現代のぬるま湯に浸かりきった私には、少々過酷すぎはしませんか?
なんでか日本語がしゃべれることは助かりましたが、すいやせん、なんて言葉遣いの大人は私の周りにはいませんでした。
父にも母にも蹴られるどころか叩かれたことさえありません。
こんな金髪碧眼の美少女を蹴るような大人がいるなんて、想像もしませんでした。
だって美しいってだけで直子も他の美女も、みんなみんな得する世界だったじゃないですか。
あの……ここまでの美少女じゃなくてもいいんで、もう少し幸せな家庭に……。
え? もう無理? 転生は一回きり?
そんなあ……。
う……。
うわあああんんん。
どうしよう。
私どうなっちゃうの?
次話タイトルは「君の名は」です