2、野球部の元彼
「おい、どけ! ブス」
直子の野球部の元彼に初めてかけられたのが、その一言だった。
直子のやつはサッカー部彼氏に浮気されて別れた後、同級生の野球部彼氏にのりかえた。
かなり才能のあるピッチャーだったらしく、野球推薦で甲子園でも有名な強豪校に進学したと聞いた。県外の寮に入ることになった彼は「遠距離は無理だな」という一言を残して去っていったらしい。
そういえば野球部彼氏は浮気で別れたんじゃなかったっけ。
ただし男尊女卑の激しいやつだった。
特にブスの人権を認めてないような超嫌なやつだった。
直子と同級生だから私より一つ年下のくせに、下駄箱でちょっと進路をふさいだだけで最初の一言だ。
「あのドSなところが素敵なのよね。それに私にだけはちょっと優しいのがまたきゅんきゅんするの」
と直子はのろけてたっけ。
そりゃあ美人のあんたにはちょっと優しいかもしれないけど、ブスには血も涙もなかったわよ。おまけにブスの私が直子の姉だと知ると、露骨に嫌な顔をして避けるようになった。
(ああ、ちょうどこんな目だったわ)
私は汚いものを見るように頬をゆがめるケンを見上げながら、前世の出来事を思い出していた。
「おい貧民。誰の許可をもらってウチの店の前で商売してるんだ」
うわあ、口調が野球部男にそっくりだ。
短髪の黒髪も同じだけど、青い目と彫りの深さが少しだけ違う。
「こ、ここは公道なのでお店の許可はいらないかと思ったのですが……」
恐る恐る言い返すと、ケンはさらに頬をゆがめた。
「公道だと? それを言うならこの大通りも歩道もすべてアルフォード様のものだ。お前はアルフォード様に許可をもらったのか」
「いえ、まさか……」
分かってて聞いてる。この陰険さもそっくり。
こいつは前世では真顔で「お前と直子は本当に姉妹なのか?」と聞いてきた。
みんな心の中で思っていても一応遠慮して聞かなかったことを、公衆の面前で尋ねてくるデリカシーのなさが大嫌いだった。
案の定、周りは大爆笑して流行言葉になってしまったぐらいだ。
しばらくは廊下を歩くたびに「お前と直子は本当に姉妹なのか?」と全然知らない生徒から声をかけられた。
「ウチの売り子が毎日のように店の前をうろうろしていると迷惑がっていた」
私はちらりとロリポップの店内に目をやった。
こちらをにやにやと見ている女の店員と目が合った。
あれは先日店に入ろうとして「汚い」と追い出した売り子だ。
どうやら彼女が告げ口したらしい。
ベーと舌を出しているのまで見えてしまった。
「ここで一体なにを売ってたんだ」
「……」
私は黙ったままうつむいた。
「おい、答えろ貧民。なにを売ってたのかと聞いている」
いちいち貧民ってつけなくてもいいのに。
自分だって元は貧民のくせに。
「飴玉のケースを売ってました」
私は仕方なく簡潔に答えた。
「飴玉のケース? 見せてみろ」
「もう全部売り切れたので持ってません」
私が答えるとケンは驚いた顔をした。
「売り切れた?」
「はい。一日十個しか作れませんから」
「作る? お前が作ってるのか?」
「はい。私と……スランが……」
「スラン? ブリキ職人の?」
ケンは衝撃を受けたような顔をした。
どうやらケンもスランの消息は聞いていたらしい。
もしかしてケンもライバルとして意識してるのかもしれない。
スランの名を聞いて、ケンは明らかにイラっとした顔になった。
「そうか……どこかで見たことがあると思ったが、お前はレイラ……。ずいぶん雰囲気が変わったが、確かヨハンのところの……」
ケンは私のことを思い出したらしい。
「ケン坊ちゃん。お知り合いだったんで?」
隣の男が尋ねると、ケンは少しだけ動揺した。
「い、いや。こんな貧民の子供のことなど知らない。噂に聞いていただけだ。ろくでなしの貧民に娘がいると」
どうやら元貧民だったということは知られたくないらしい。
そしてろくでなしヨハンの噂はここでも健在だった。
もういっそ歌にでもして語り継ぎたいほど、この辺り一帯に浸透している。
「どうしますか、ケン坊ちゃん? 営業妨害で自警団にでも突き出しますか?」
私はぎょっとして二人の男を見上げた。
青ざめた私を見てケンはにやりと口端を上げた。
「そうだな。自警団のやつらは残酷だからな。子供だからといって容赦ないぞ」
「へへ。血の気の多いやつらだから何するか分かりませんよね」
ま、まさか……。
昔の知り合いにそんなひどいことしないよね。
そう思いたいけど、そういえば前世の野球部男は私が商店街でブスだという理由だけで不良にからまれてた時に、見て見ぬふりをして通り過ぎたことがあったっけ。
あとで直子には「オレ高校の推薦が決まってるからさ。暴力沙汰を起こすわけにもいかないだろ」と言い訳をして、直子も直子で「そりゃあ仕方ないよね。高校の推薦が取り消しになったら将来を棒に振ることになるもんね」と納得し合ったらしい。
いや、せめて近くの大人に言うとか警察呼ぶとか出来るよね?
おかげで私は不良たちに「ブスと目が合って気分が悪くなった慰謝料」と称して有り金全部とられてしまった。千円しかなかったけど。
だからこいつも分からない。悔しいけどここは素直に謝っておこう。
「す、すみませんでした。もうここで飴玉ケースは売りません。だからどうか今回だけは許して下さい」
この市場を失うのは痛いが仕方がない。
「どうしようかなあ」
ケンは面白がるようにニヤニヤと私の顔を覗きこんだ。
そして私の長い金髪をさらりと手にとった。
「!」
「貧民にしては綺麗な髪だな。自警団のやつらも飢えた男が多いんだよな」
「確かに貧民には珍しく綺麗な子供ですね。こりゃあ自警団につかまったりしたら酷い目に合わされますぜ、坊ちゃん」
ひ、ひいいいい。
すごくすごくおぞましい想像が頭に浮かんだ。
「ゆ、許して下さい。もうこの店には近付きませんから」
「そう言われてもなあ……。どうしようかなあ……」
絶対面白がってる。やっぱり前世の野球部男と同じ最低なやつだ。
「坊ちゃん。貧民に甘い顔をすると付け上がりますぜ。私が取り押さえましょうか」
隣の筋肉男が指をポキポキならしながら迫ってきた。
「待って! お願いします。もう二度とこの店には近付きませんから、どうか今回だけは許して下さい。お願い!」
私は懇願するようにケンを見つめた。
「……」
ケンが威圧的な目で睨み返しても目をそらさなかった。怯んだら負けだと思った。
しばらく無言で睨み合った後、先に目をそらしたのはケンの方だった。
「レイラって……昔はもっとおどおどした子供の印象だったけど……」
ケンは戸惑うようにポソッと呟いた。
「え?」
「い、いや、なんでもない。もういいから行け!」
「え?」
「坊ちゃん、このまま行かせていいんですか?」
私と筋肉質の男は、突然態度を変えたケンに驚いた。
「自警団に連れていくのも面倒だ。今日だけは許してやるから、さっさと行け! ただし今度ここで見かけたら容赦なく自警団に突き出すからな! 二度目はないぞ!」
「は、はい! ありがとうございます。ありがとうございます!」
なんか分からないけど助かった。
私はお礼を言って、大慌てで逃げ帰っていった。
次話タイトルは「ナンシーの水差し」です




