1、ロリポップ店員、ケン
区切りをつけるため、ここから第二章にします。
異世界に来て十日が過ぎていた。
洋服店のエミリアに会ってからは約一週間。
私とスランはせっせと飴玉ケースと筒型のブリキ缶を作っては売っていた。
仕事はとても順調でほぼ完売していた。
現在の販売状況は
飴玉ケース 65ケース
筒型ブリキ缶 35缶
水差し 製作中
その儲けの中から毎日ヨハンに殴られないように200ルッコラ渡していたので、湯宿や食費なども差し引くと現在の手持ちの現金はちょうど2000ルッコラだった。
ヨハンは毎日マッチを百本ほど売ってこいと手渡していたので、マッチを売って得たお金だと思っているらしい。お金さえ稼いでくれば、それ以上の探究心はない男だ。
ただ初日に1000ルッコラで売ったのに翌日から200ルッコラになったことには多少の文句を言っていた。だが元々一本1ルッコラのマッチだから100ルッコラの価値しかないものだ。それが200ルッコラになってるのだから、それなりに満足しているらしい。
そもそもお酒を買うことが出来ればそれでいいようだった。
相変わらず飲んだくれている。
手に入れたお金で服でも新調して就職先を探そうなんて建設的な発想はないのだ。
我が親ながら情けない。
それに反して母親は日ごとに生き生きしてきた。
毎晩ヨハンに見つからない場所で私がメイクしている。
だが私のメイク術以上に、アンナ自身が華やいだ気がする。
店でもずいぶんちやほやされて、人気もうなぎのぼりのようだ。
女性というのはどの時代でも、どの世界でも、注目を浴びて美しくなる生き物なのだ。
時々店のお客さんにもらったと言って、私とネロにささやかなお小遣いをくれたりお菓子をくれたりする。貧民がめったに口に出来ないらしいチョコレートも初めて食べた。
だが正直言って、前世のチョコに苦味を増やして、薬っぽい香料を入れ、砂糖漬けにしたようなひどいものだった。ネロは美味しい美味しいと感動して食べてたけれど。
エミリアの洋服店には毎日のように寄っていた。
店主の男は夕方になると得意先回りだと言って店じまいを任せて出かけるらしい。
私はその時間を見計らって店に行き、エミリアとおしゃべりを楽しんでいた。
「今日は市場で洋梨を買ってきたわ、エミリア」
「まあ、いつもすみませんレイラさん、ネロさん」
エミリアの店に行く時は、おやつになるような食べ物を買っていく。
そしてネロと三人でエミリアの淹れてくれたお茶を飲みながら楽しい時間を過ごす。
それがこの世界での私の一番楽しみな時間になっていた。
「本当はロリポップの飴を買いたいんだけど、あそこはドレスコードのある店なのよね。貴族のお客様ばかりだから、このボロ服でお店に入ろうとしたら追い出されちゃうの」
一度入ろうとしたらフリルのエプロンの女店員に「汚い」と言ってつまみ出された。
「もう少しでワンピースが出来るのでそれまでの辛抱です」
「それは何を作ってるの?」
エミリアは私とネロにだけお茶を出して、自分はいつもせっせと縫い物をしている。
私が持ち込んだ手土産は、家族と食べますと言っていつも持ち帰っている。
本当に優しくていい子だ。
後で聞くと私より一つ年下の十二歳だと言っていた。
異世界の子供は苦労している分、前世の子供より大人びているように思う。
いつもは私のワンピースの一部分を縫い合わせていることが多いが、今日はかぎ針でなにかを編んでいた。
「ワンピースの襟のレースです。貧民のワンピースには裾や袖口にレースをつけることは禁じられていますが、唯一襟にだけはレースをつけてもいいことになっています」
「レースにまでそんな規制が? なんて世の中なの」
エミリアは器用な手先で一本の糸から精巧なレースをどんどん作り出している。
「上手だねえ、エミリア」
ネロが洋梨をかぷりと齧りながらエミリアの手先をわくわくと眺めていた。
「レース編みは貴族の女性のたしなみでした。私も妹も小さな頃から教えられてきました。貴族の少女は自分のドレスのいたるところにレースをつけて、その華やかさを競います。レースが苦手な人は流行りのフリルを何重にも重ねて自分のドレスに最後の仕上げをするのです」
それでロリポップで見かける少女たちはフリル過多なんだ。
多ければいいってもんでもないと思うけど。
「あの頃は誰でも自分のドレスを好きに飾っていいのだと思っていました。平民や貧民には禁じられている装飾があるなんて思いもしませんでした」
きっと誰よりもレース編みが上手で素敵なドレスを着ていただろうエミリアは、レース一つない粗末なワンピースを着て淋しげに微笑んだ。
「みんな同じ人間なのにね」
私が言うと、エミリアは驚いたような顔をした。
「レイラさんは不思議な人ですね。私は身分を変えてしまったのでそのように思いますが、他の人たちは同じ人間だなんて思っていません。貴族は貧民を家畜のように扱うし、貧民は貴族を自分とは違う雲の上の存在だと信じています」
そう思い込まされる社会だから仕方ないのかもしれない。
でも前世を生きていた私は知っている。
身分で人を区別することのくだらなさを。
身分にあぐらをかいて淘汰された愚かな人々を。
身分の高いものほど、それに見合う努力をしなければならないことを。
生まれつき与えられた財産をむさぼり喰う者など、尊敬に値しないことを。
知っているから、このままで終わるわけにはいかない。
「エミリア。私はいっぱいお金を稼いで人間らしい生活ができる身分を手に入れるわ。そして理不尽な貧しさで死んでいく子供を一人でも多く救うの」
まずはこのネロとエミリアを。
私の宣言に、エミリアは驚いた顔をしていたけれど、ネロは得意げにうなずいた。
「お姉ちゃんは魔法使いになったんだ。だから何でもできるんだ」
無邪気なネロの言葉に、エミリアは微笑んだ。
「レイラさんが言うとどんな不可能なことも出来るような気がします」
だがその翌日、順調だった異世界生活に暗雲が迫ろうとしていた。
◇
「飴玉ケース二個で300ルッコラです」
「300ね。あと二個欲しかったのに」
「すみません。今日はこれで売り切れです」
ロリポップの前に立って一時間ほどで十個完売していた。
もっと量産できればいいのだけれど、スランと二人の手作業では一日十個が精一杯だった。
でも着々と所持金を増やしている日々は結構楽しくなってきた。
ほくほくとロリポップから立ち去ろうとした私は、前に立ちはだかる男達にハッと顔を上げた。
背の高い二人の男。
右側は三十代ぐらいの筋肉質な男だ。
左側は黒髪の短髪青目の十代の青年。
二人とも料理人のような白いコックコートとベレー型のコック帽をかぶっている。
そして腕を組んで険しい表情で私を見下ろしていた。
「ケン坊ちゃん。これがいつも店の前で妙なケースを売っているガキです」
三十代の男がとなりの青年に告げた。
ケン……。
それは前にスランが言っていたロリポップの養子になったという子供の名前。
そして目の前に立つケンと呼ばれた青年を、私は知っていた。
(直子の野球部の元彼にそっくりだ……)
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※ 現在のレイラの所持金 3500ルッコラ(その内750はスランへの支払い分)
次話タイトルは「野球部の元彼」です