30、服を買おう
「今度は服を買いたい?」
風呂に入ってこざっぱりとしたスランが困ったように聞き返した。
「うん。この服は袖が破れてしまったし、高いものじゃなくていいの。清潔な衣装が欲しいの。清潔な衣装を着れば、アメのケースももっと売れると思うの」
「なるほどな。貴族のお嬢様は汚らしい恰好の子供からは買いたがらないもんな」
「とりあえずどれぐらいの値段でどんな物が買えるのかだけでも知っておきたいの」
残りの手持ちのお金は440ルッコラだ。
到底服など買えないのは分かっているが、目標はたてておきたい。
「分かった。店には連れていってやるよ。知り合いの子が働いてる店がある」
◇
「スランさん! お久しぶりです」
「エミリア。元気だったか?」
連れていかれたのは洋服店というよりは倉庫のような小さな店だった。
下着や服が区分けされた棚が並び、採寸するための小部屋と注文を受けるカウンターがある。
前世の制服屋さんのような雰囲気だ。
既製服はほとんどなくて、ワンピースの基本の型があって、それを元に生地を選び採寸してオーダー品を作ってもらうらしい。
「この方は?」
服屋のわりにくたびれたワンピースの少女が首を傾げて私を見た。
ピンクの古ぼけたワンピースに白いフリルのエプロンをつけて、頭にも白いフリルの帽子を被っている。年は私より下に見える。ネロより少し年上ぐらいだろうか。
こんな子供がお店で働いていることに驚いた。
「オレの相棒でレイラって言うんだ。そっちは弟のネロだ」
「相棒……ですか?」
少女は目を丸くして聞き返した。
目を見開いているようだが、つぶらな緑の瞳に威圧感はない。
背の高さといい、目鼻立ちといい、全体に小ぶりで可愛らしい少女だ。
幼いのに言葉遣いもとても丁寧で感じがいい。
私までつられて丁寧な言葉遣いになった。
「今は手持ちのお金がないんですが、近い内にワンピースを仕立ててもらいたいと思ってます。どれぐらいのお金が必要か知りたいんです」
私が言うと、エミリアはほっこりと微笑んだ。
「分かりました。今は店の者が出払っていて私しかいませんが、よろしいですか?」
「はい。分かる範囲でいいので」
この幼い子供では詳しい金額は分からないかもしれないが仕方がない。
いや、むしろ良かったかもしれない。
大人がいたら貧民の子供が図々しいと追い払われるだけだ。
さほど期待していなかった私だったが……。
「ワンピースの型はこちらの五種類がございます。貴族の方々はオーダーメイドでデザイナーに直接注文されますので、この店で取り扱うのは主に平民と貧民が着る型でございます。ですがこちらの二つの型は貧民が着ることは禁止されております。お嬢様は失礼ですが、貧民の方でございますね?」
「あ、はい。そうです」
見本のワンピースを見せながら、小さな少女とは思えないほどてきぱきとした接客だった。
しかもこの辺の大人たちよりよっぽど綺麗な言葉遣いだ。
その利発さに驚いた。
「ではこちらの三つの型しか着ることは出来ません。生地にもよりますが、一番安い生地でレースも刺繍もなく仕立てたとして、15000ルッコラ、10000ルッコラ、8000ルッコラとなります。違いは主にスカートのひだの量と袖のふくらみです」
分かりやすい。
こんなボロ服を着た私にも真摯に説明してくれる誠実さに心打たれた。
「それからエプロンも新調されるのでしたら、やはりこちらも三種類ございます。一番安いもので3000ルッコラですが、こちらはフリルも刺繍もないシンプルなものとなります」
要点をきっちりすっきりまとめて教えてくれた。
「どのような生地がいいか決めてらっしゃいますか?」
エミリアは何の偏見もない素直な目で私に尋ねた。
その瞳には貧民だからとバカにする気持ちはかけらもない。
この世界でこれほどきちんとした扱いを受けたのは初めてだった。
「えっと……冬は寒いからビロードのような暖かい生地が希望ではあるけど……」
私が遠慮がちに言うと、エミリアは瞳をかげらせた。
「ビロードは残念ながら貴族様しか着ることは出来ません。でもよくそのような生地をご存知ですね。ここには置いてないのですが」
「そ、そうなんですね」
身分によって着たい服も着させてもらえないなんて。
「ですが冬用の暖かい生地がご希望でしたら、こちらのフランネルなどはいかがでしょう」
「フランネル?」
それはフエルトを分厚くしたような手触りの生地だった。
前世のネルより太い糸で織った粗い布だ。だが確かに暖かそうだった。
「これでワンピースを作ると一番安くていくらになりますか?」
「お嬢様の体型ですと……フリルも刺繍もなしで一番安い型だとしても10000ルッコラでしょうか。リネンが一番お安いのですが、下着を重ねて冬場に着ておられるお嬢様も多いですよ。パニエはお持ちでしょうか?」
「いえ……」
スカートの中は膝までかくれる誰のお下がりかも分からない大きなズロースだけだ。
上半身もシュミーズというのだろうか、ごわごわの生地で肩のズレる大きな下着だった。
「この真冬に薄い下着ではお寒いことでしょう」
エミリアは気の毒そうに私を見つめた。
「失礼とは思いますが、見本用のパニエが古くなって捨てていいと言われているものがあります。自分用に使わせて頂こうかと修復していたのですが……それで良ければ差し上げましょうか?」
「え? 本当に?」
エミリアは信じられないことを申し出てくれた。
「はい。時間のある時に余った布や糸で私が勝手にデザインしたものですが」
エミリアは少し恥ずかしそうに頬を染めて、カウンターの裏から布のかたまりを取り出した。
「これは……」
それは確かに古びたオーガンジーのような素材のパニエだったが、破れたところに薄地の端切れを縫い合せ、パステルな色合いのリボンを飾って可愛いらしくボリュームを持たせた見事な出来だった。
下着で着るのももったいない。
出来ればこの汚れたワンピースの上に着たいぐらい素敵だった。
「かわいい……。こんな素敵なパニエ、初めて見ました」
私が言うとエミリアは嬉しそうに目を輝かせた。
「ほ、本当ですか? 私はとても可愛く出来たと思ってたのですが、店主さまにはくだらない物ばかり縫ってと叱られておりました。スカートの中を着飾ってどうするんだと。こんなものを買う平民や貧民はいないって言われました」
確かに平民や貧民には見えないところを飾る余裕などないのかもしれない。でも……。
「いいえ。見えないところにこそ自分だけの可愛いを隠し持っておきたいのが女心ですわ」
「お嬢様! その通りでございます! ああ、私のこの気持ちを分かって下さる方がいたなんて」
「ええ、ええ。分かりますとも。このパニエには可愛いが溢れていますわ。自信を持って下さい。エミリアさん」
「この下町であなたのようなお嬢様に会えるなんて。嬉しいですわレイラさん」
エミリアは感動のあまり私の両手を包み込むように握った。
私もその手を握り返した。この異世界でこれほど気の合う人に出会えるなんて、私こそ思ってもなかった。
手を握り合って見つめ合う私とエミリアを、スランとネロは理解できない顔で眺めている。
下着ひとつにこれほど情熱を語り合える女子の気持ちなど分からないだろう。
「こんな素敵な品をただでもらうわけにはいきません。せめて代金としてこのお金を……」
私はポケットから400ルッコラを取り出した。
エミリアは自分の仕立てたものにお金を払おうとする私を信じられないという顔で見つめた。
40ルッコラは最低限の食事が出来るように置いておいたとして、今私が払える全部だ。
それでも全然足りないほどの逸品だった。
………………………………………………………………
※ 現在のレイラの所持金 40ルッコラ
次話タイトルは「エミリアの素性」です




