26、異世界の仕事事情
「そんなことがあったのか。大変だったな」
パンを持ってスランの工房に行くと、ずいぶん同情してくれた。
「もうあそこでパンは買えないわ。……というよりこの近辺のお店に行っても全部ヨハンの借金の返済に取られてしまいそうで怖くて行けないわ」
スランは気の毒な姉弟のために、またホットミルクを入れてくれた。
持ち運んでいたジュラルミンケースをテーブル代わりにしての朝食だ。
ネロは嬉しそうに長パンとホットミルクを交互に口に運んでいた。
「パンを買いたい時はオレに言えばいいよ。買ってきてやるよ」
「スラン……。あなたって時々いい人ね」
私は感動して正直な感想を告げた。
「時々ってなんだよ。オレはレイラにはいっつも親切だと思うぜ」
「そ、そうね。この世界のスランはいつも親切だったわね」
同じ顔の前世のモデル男が時々失礼だっただけだ。
「レイラって時々変なことを言うけど大丈夫か? オレの大事な相棒なんだから、おかしくならないでくれよ」
「大事な相棒……。その言葉は本気で受け取ってもいいの?」
前世のモデル男が二枚舌なところがあったから、いまいち信用しきれない。
「もちろんさ。これを見てくれ。すでに注文の筒型のいれものを十個作ったんだ」
綺麗な曲線を描いた筒型の入れ物がスランの横に並んでいた。
「これにレイラの魔法の道具で絵を描いてくれ。相手の気が変わらないうちに納品するのが大事なんだ。口約束だと、少し時間がかかるとやっぱりいらないって返されることも多いからな」
そうか。字も書けないし、書類で契約をかわすような世界じゃないんだ。
「スランは若いのにしっかりしてるのね。偉いわ」
十六歳でちゃんと自立している。前世のモデル男もそのぐらいの年齢の時に直子の彼氏だったけど、もっと子供っぽいというかいいかげんなヤツだったイメージだ。
「オレの両親は早くに死んでるからな。しっかりしないと生きていけなかった。幸いブリキ工房のおやじさんに気に入られて、ここで雇ってもらえるようになったから助かった」
確か直子のモデル彼氏もシングルマザーの息子だっけ。母親に楽をさせるためにモデルをすることにしたと言っていた。最初はその生い立ちを聞いて、見た目はちゃらいけどいい子なんだと思ってたっけ。
「オレは有名なブリキ職人になって、いつか工房のおやじさんに恩返ししたいんだ。そのためにはガンガン作ってどんどん儲ける。そのうち国中から注文が入るような巨匠になるんだ」
うん。モデル彼氏も言うことだけは大きかった。まだ駆け出しで読者モデルに毛がはえた程度の仕事しかしてなかったが、いつかパリコレに出るとまで言ってのけていた。まずそこまでの身長はないのではと思ったけれど、当時高校生だった私は感心して聞いてたものだ。
「じゃあこのブリキに昨日と同じように簡単な飾り文字を書けばいいのね」
「うん。注文者はその文字が気に入ってたから、少しアレンジするぐらいでいいよ」
「分かったわ」
昨日は四角く縁どった枠の中に『TUTU』と描いただけだ。
筒だからTUTU。意味は分からなくても別にいい。オシャレに見えればそれでいいのだ。
私は食事を終えてジュラルミンケースを開いた。
そしてさっそく描き始めた。
昨日は適当に紺一色で描いただけだが、売り物となれば気合が入る。
緑の絵の具で枠の一角に葉っぱを描いたり、赤の絵の具で小さないちごをつけ足したりした。
「その赤い絵はなに? 木苺の一種?」
スランはいちごの絵に首を傾げた。
そうか、この世界には日本のような高品質のいちごはないんだ。
あの芳醇ないちごの甘酸っぱさを思い出すと切なくなる。
ここではもう一生食べられないんだ。そう思うと余計に食べたくなった。
私は次の筒にはバナナを描いてみた。
「これは見たことある?」
「わあ、なにそれ? 食べ物?」
ネロも並んで私の描くくだものに首を傾げている。
「バナナよ。これもないのね。じゃあこれは?」
メロンにキウイにすいか。いろいろ描いてみたけど、どうやら分かるのはぶどうと洋梨だけだった。
うそん。前世の食べ物がほとんどないじゃない。
これは貧民だから? それともこの世界自体に無いってこと?
十個描ききった頃にはすっかり意気消沈していた。
好きな食べ物が存在しないって悲しい。
こんなことなら前世でバカ食いしておくんだった。
そして更に追い討ちをかけるようにスランが言った。
「よし。これを乾かしたらさっそく持っていってくるよ。それでレイラの報酬だけど、一個5ルッコラでいいだろ?」
「5ルッコラ?」
それは報酬としてどうなんだろう。相場が分からない。でも……。
ネロがバケツ一個売った報酬と同じ?
「あの……それは一つ150ルッコラで売れたって言ってたよね。それで材料代が50ルッコラぐらいって、昨日……」
「よく覚えてるな。適当に聞き流してたと思ったら」
スランは困ったようにポリポリと頭を掻いた。
……ってことは私に5ルッコラ払ったとして残りの95ルッコラがスランの取り分?
いやいや、相棒の報酬安くない?
仮にもこれから一緒にやっていく相手の足元見過ぎじゃない?
「だってほら、レイラはこの短い時間に十個仕上げただろ? オレはゆうべ一晩かかって作ったんだぜ? 時間のかかり具合を考えても妥当だと思うけどな」
いや、でもこのブリキは私の絵が入ってこその注文だったはずだ。
その絵に対する報酬が5ルッコラってひどくない?
「それに買い手を見つけて売るのもオレなんだ。そもそも子供のレイラに5ルッコラの報酬を出すのなんてオレぐらいだぜ。他のおやじだったら1ルッコラがせいぜいだよ。オレも最初の頃はただ同然で働かされて苦労したんだ。良心的だと思うけどな。なあ、ネロ?」
スランは気まずそうに私の隣のネロに尋ねた。
「うん! 5ルッコラなんてすごいよ! それが十個分でしょ? これでパンがいっぱい買えるよ。良かったね、お姉ちゃん」
うぐぐ。無邪気なネロを間に入れてくるなんて……。
そして私は思い出したのだった。
直子とモデル彼氏に初めてオシャレなカフェで会った日のことを。
会いたくないと言う私を無理矢理引っ張っていって引き合わせた。
たぶん、直子は彼と倦怠期になりかかってたのだ。
ここで自分の美貌を引き立てるアイテムとして、私が必要だった。
連れていかれたのは女の子の間でも話題のカフェで、さすがにモデル彼氏はこじゃれた店を知ってるものだと感心した。私は放課後にバイトしながらいつか私も彼氏とこんな店に行きたいと小金を貯めていた時期だ。まだトリックアートには目覚めてなくて、いつか自分にも彼氏ができるかもしれないという淡い期待を失ってなかった頃だった。
彼は慣れたようにパンケーキと紅茶のセットを「これが美味しいんだ」と三人分注文して、自分の生い立ちから現在のモデルの仕事までしゃべりまくった。
話が上手なのか、滅多に見ない美形だったからか、私はすっかり彼の言葉に引き込まれ、直子も今度はステキな彼氏を見つけたものだと、半分ホッとして半分嫉妬しながら時を過ごした。
そして彼は今日の記念にと自分の載っているモデル雑誌を手渡した。
私は「ありがとう」と喜んで受け取った。
だが彼はプレゼントしてくれたわけではなかった。
「オレのサイン入りのプレミア付きだけど、定価でいいよ」と爽やかに言って、きっちり代金を徴収していった。
さらに「ご馳走さま、お姉さん」と言って、一円も払わずに直子と一緒に店を出たのだ。
いや、こんな時だけ年下風を吹かしてご馳走さまって!
同じ高校生なのに年上だからって全部私に払わせるってどういうことよ。
しかもこんな高い店で勝手に注文しておいて。
そもそもあんたはモデルで働いてんじゃなかったの?
家に帰ってから、もちろん私は直子に文句を言った。
しかし、無理矢理付き合わされた私に直子は言った。
「なに言ってるのよ。お姉ちゃんのルックスじゃあモデルの男の子とカフェで食事なんてこれが最初で最後よ。私がお姉ちゃんのために記念の一日を作ってあげたんじゃないの。お姉ちゃんも彼の話を感心しながら聞いてたじゃない」
「会わせてくれなんて一言も言ってないわ。しかも雑誌まで買わされて」
「彼のサイン入りなんて、そのうちプレミアがついて二倍になるかもしれないわよ。得したわね、お姉ちゃん」
絶対プレミアなんてつかない。現にその後彼がモデル雑誌で活躍している姿など見ていない。
「彼って金銭感覚がシビアなのよね。シングルマザーで小さい頃から苦労してるからしっかりしてるのよ。未来の大きな夢のために今はお金を貯めたいんだって、デートでもたまに私が払ってあげてるの」
いや、なんかホストの手口に似てるんだけど。
そしてその数ヵ月後、彼の浮気が発覚して別れると、直子は「あのケチ男!」と散々に悪口を言ってたっけ。
嫌なことを思い出してしまった。
生理的に無理発言の方がショックだったから、こっちは忘れてた。
スランは時々いい人だけど……、やはり同じ顔をしているとタイプは似てくるものなのかもしれない。
長く付き合う相手ではないのかもしれないと、負の人生経験豊富な私は思うのだった。
次話タイトルは「飴玉ケース」です




