24、魔法のメイク
まず化粧水と乳液。
カサカサに乾いた肌は、なかなか液が浸透せずに弾いてしまう。
きちんと手入れすればもちもち肌になりそうなのにもったいない。
私は液が浸透するのを待って下地のファンデーションを塗った。
白人の肌には日本人のファンデは合わない。
だが私は陰影をつけるトリックアート用に白のファンデを持っていた。
絵の具と同じく全色取り揃えていた。
あとはベビーパウダーをはたくだけで透明感のある瑞々しい肌になった。
やつれて垂れ下がり気味の頬は、耳の後ろにフェイステープを貼ることでグッと持ち上がる。
眉を整えアイラインとアイシャドウで深みのある目元に仕上げていく。
外人というのは自然にまつ毛が上がっているのか、ビューラーの必要もなかった。
元々小顔なので、前世の私には必須だった、ハイライトもシャドーもいらない。
最後に口角を上げ気味にピンクの口紅を塗ると完成だ。
「え、そんな薄い色の紅じゃ目立たないわよ」
アンナは片目を開けて、口紅の色に文句を言った。
「ピンクの衣装なんだからピンクで合わせた方が上品です。悪目立ちしようとしないで下さい。目立ちたいなら髪を高く結えばいいわ」
確かロリポップに来ているマダムたちはボリュームたっぷりに高く結い上げていた。
私はアンナの髪を解いて、目の荒い櫛で丁寧に梳いた。
「もう。こんな粗い櫛も通らないし、砂埃みたいなのが出てくるんだけど」
おまけに臭う。いつから洗ってないんだろう。
「冬は寒いから川で洗うってわけにもいかないからね。しょうがないさ」
ひー、冬は洗ってないってこと? 無理無理。
それでもなんとか高く結い上げた。
サラサラじゃないぶん、まとまりはいい。
つけ毛もないのでボリュームは足りないが、夜会巻きっぽくは出来た。
髪を引っ張り上げて高く結ったおかげで、加齢で垂れ下がり気味な目元も若々しく吊り上がった。
「さあ、見てみて」
私はコンパクトの鏡を開いてアンナに見せた。
「えっ? うそっ! これ、私なの?」
「すごい! お母ちゃん綺麗! お姫様みたいだ」
アンナもネロも驚愕の表情を浮かべたまま、何度も見て確かめている。
「それからその衣装は仕方ないとして、そのだらしない着方はダメよ。なにか体に巻くタオルみたいなものはない?」
「タオル……えっとボロボロで破れてるけど手ぬぐいなら……」
アンナは奥の部屋から本当にボロボロの薄汚れた布っきれを持って来た。
「仕方がないわね。ないよりマシだわ」
一旦衣装を脱がせて、コルセットの代わりにボロ布をきつく巻いて、胸を上げ腰を細く締め上げた。そして衣装の装飾になっていたリボンをハイウエストに結び直した。
本当の貴族はたぶんこのお尻の部分に腰枕みたいなものを入れて大きくするんだろうけど、この貧相な衣装でやると不自然に上がって不恰好になるからこのままでいいか。
ホントに即席だけど、最初よりは百倍いい。
「すごいわ、レイラったら。あんたホントに魔法使いになったの?」
アンナはスカートをひるがえして、小さなコンパクトの鏡で自分を映して惚れ惚れしている。
「ねえ、私ってまだこんなに綺麗だったのね。もう年もとっちゃって貧乏が染み付いて、このままヨハンの言いなりになってクズみたいな人生を生きていくしかないって思ってたのに」
アンナは目を輝かせてコンパクトの自分を見つめている。
「これだけの美貌を持ちながら、なんて卑屈なことを言うの。私が前世であなたのような美貌を持ってたなら毎日希望に溢れていたわよ。せっかくの容姿を無駄にしちゃダメよ」
「?」
アンナは私の言葉の意味が掴めてないようだった。
そ、そうだった。
またしても前世のブス気取りで母親を諭すようなことを言ってしまった。
せっかくの美貌を無駄にしてる人を見ると、どうしても注意したくなってしまう。
「よく分かんないけど、レイラ、あんた魔法使いだよ。この姿で店に行けばみんな驚くよ。卑女のように私を見下してた店長も店の客もひれ伏すよ。ありがとうね、レイラ。今に店のナンバーワンになって、あんた達に楽させてやるよ」
できれば聞きたくなかったな、その言葉。
やっぱり店では見下されてたんだ。
あのやる気のないメイクとファッションなら仕方ないけど。
それにナンバーワンって、この世界にもキャバ嬢的なシステムがあるのね。
なんかいろいろ自分の親と名乗る人からは聞きたくなかった。
でも同じ子供の立場のネロは母親の変化を心から喜んでいた。
「良かったね。やっぱりお母ちゃんは世界一綺麗だよ」
まあ、ネロが喜んでるならいいか。
「じゃあ行ってくるね。あんたらもう遅いから寝てなよ。お金はヨハンに見つからないように隠しておくんだよ」
アンナは嬉しそうに言って、出かけていった。
「お姉ちゃんはやっぱり魔法使いだね。お父ちゃんもお母ちゃんも、あんなに幸せそうな顔を見るのは久しぶりだよ。僕、嬉しいよ。ありがとう、お姉ちゃん」
うう。泣かせることを言わないで、ネロ。
本当はこんな家飛び出て、スランとブリキの小物でも売って自活したいんだけど。
ネロを置いてはいけない。
そしてネロは両親を置いては行けないんだろうな。
前途多難。
前世では崖っぷちのブスだったけど、生活は豊かだった。
明日食べるものがなかったらどうしようなんて考えたこともない。
ここでは貧しく薄汚れているけど、この美貌には伸びしろだらけだ。
この美貌にメイクをすれば、どれほどの美人になるかと思うと希望が溢れる。
ただ……明日も食事が出来て生きているかどうかの保証はない。
この貧弱な体は、いつ野垂れ死んでもおかしくない。
すでに睡魔が限界にきていた。
ゆうべからほとんど眠っていない。
十三歳の痩せた体には、それは死を感じさせるほど逼迫して感じられた。
「とりあえず寝よう、ネロ。ベッドはどこなの?」
ジュラルミンケースを隠しにきた時に家の中を見て回ったけれど、そういえば私とネロの部屋は見当たらなかった。
あるのはテーブルのあるこの台所みたいな部屋と、奥のベッドが一つ置かれた部屋だけだ。
屋根裏でもあるのかと天井を見上げてみたが、風で吹き飛びそうなトタン屋根の上にあるはずもなかった。
「ベッドなんてないよ。それも忘れちゃったの?」
「ないってどういうことかしら?」
私は今にも気を失いそうな睡魔に襲われながら、ネロに尋ねた。
「僕とお姉ちゃんはここに藁を敷いて、この麻袋をかぶって寝るんだよ」
「……」
ここ……というのは、奥のベッドの部屋の隅の一角だ。
その床に確かに藁が散らばっている。
そしてゴミ袋のような麻の袋も確かにあった。
「えっ? これ?」
「うん。お姉ちゃんと抱き合って寝たら結構あったかいよ」
うそん。
こんなの牛や豚でも嫌がるような寝床じゃないの。
「ベッドが空いてるじゃない。ベッドで寝ようよ」
「ダメだよ。お父ちゃんが帰ってきたら蹴り落とされるよ」
なんて親だ!
自分たちだけベッドで寝て、子供は床の藁の上なんて。
「僕も眠くなってきたよ。お姉ちゃん、早く寝よう」
無邪気に抱っこをせがむように手を伸ばすネロを見ると、怒りを飲み込むしかなかった。
私はジュラルミンケースを枕にして、藁の上に横になってネロを抱き締めた。
ネロが湯たんぽのようにあったかい。
でも背中がすーすーして足先が全然あったまらない。
雪山で遭難したのと同じぐらい死の危険を感じる寝床だ。
か、神様、お願いですからもう少しだけお慈悲を……。
私は体を丸めて黒馬車の王子様にもらったハンカチを握りしめて、深い眠りに落ちていったのだった。
次話タイトルは「パンを買おう」です