22、ろくでなしヨハン
家に着いたのはすっかり日も暮れた夜だった。
時計というものをこの世界で見かけてないので、分からないが九時ぐらいだろうか。
本当はもっと早くに売り切って夕方までには帰りたかったけど仕方ない。
私とネロは建て付けが悪くて隙間の空いたドアから家の中を覗いてみた。
そしてすぐに「あっ!」と声を上げた。
あろうことかヨハンが私のジュラルミンケースをテーブルに置いて眺めていた。
ネロがここなら見つからないと言っていた棚の奥に入れておいたのに、簡単に見つけられてしまったらしい。
そしてもう一人いたガラの悪そうな男からお金を受け取ろうとしている。
「何してるのっ!!」
私はドアをバンッと開けて叫んだ。
ヨハンと男は驚いて私とネロを見た。
だがすぐにふんっと鼻で笑った。
「なにって約束通りこのケースを売ってるんだ。夕方までに1000ルッコラ稼いでこないと売り飛ばすって約束だっただろうが」
「持ち主に尋ねもしないで勝手に売るなんてひどいわ! 泥棒じゃない!」
「ふん。お前だって泥棒だろうが。どこからこのケースを盗んできたんだ」
「盗んでないって言ってるじゃない。それは私のものなの!」
「お前のものはオレのものってな。ちょうど商談が成立したとこだ。どうやっても開かないが、それでも700ルッコラで買ってくれるってよ。良かったな」
「なにが良かったのよ! その中にどれほどの宝が詰まってると思ってるの? 700ルッコラなんてはした金で売ろうとするなんて!」
「どうせ開かないケースなんか大事に持っててもしょうがねえだろ。だったら700ルッコラでも売っちまえば、酒が買える。さあ、金と交換だ」
愚かなヨハンは再び男から700ルッコラ受け取ろうとした。
「待って!!」
私はあわててテーブルの上のケースにしがみついた。
「てめえ、どかねえかっ!」
ヨハンは怒って拳を振り上げた。
そのヨハンに、私はポッケから出した紙幣を突きつけた。
「!!」
ヨハンはその1000の文字を見て目を見開いた。
「せ、1000ルッコラ……」
ヨハンはしばらく見てなかった高額紙幣に目の色を変えた。
「ど、どうしたんだ、この金は」
「マッチを売ったのよ。約束したでしょ?」
「ま、まさかあのマッチが1000ルッコラで売れたのか?」
その驚きっぷりから、絶対そんな金額で売れるとは思ってなかったのが分かった。
「そうよ。時間はかかったけど、ちゃんとマッチを売ったの」
実際には1600ルッコラで売れた。
「この銀のケースがあればまた売れるわ。次の仕事も決まってるの。それでも700ルッコラで売ってしまうの? このケースがあればまたお金が手に入るのよ。でもこれがなくなったらもう売ることは出来ないわ」
「うぬぬ……」
ヨハンはない頭を巡らせて考えていた。
いや、ない頭でもどっちが得かなんてすぐ分かるでしょ!
「じ、じゃあ、このケースを渡せばまた金を稼いでくるんだな?」
「ええ。これさえあればもっと稼いでみせるわ」
ちょっと大きく言ってしまったが、今はこのケースを守るのが先決だ。
「よ、よし。いいだろう。じゃあ今日のところは売っぱらうのはやめにしておく」
「おい、ヨハン。冗談だろ? すでに商談成立しただろうが」
男は小娘が1000ルッコラを稼ぎ出す夢のケースに執着し出した。
「いや、残念だったな。最初の言い値の3000ルッコラで手を打ってたなら、ここまで商談は長引かずにとっくに売っぱらっちまってたとこだが、あんたが足元を見て値を下げるからこうなったんだぜ。700ルッコラだと? けっ! 笑わせやがる」
ヨハンは急に態度を大きくして相手の男に言い捨てた。
「お、おい、待て。じゃあ2000ルッコラ出そう。それならいいだろう?」
「ははっ! 冗談じゃねえぜ、毎日1000ルッコラ手に入る魔法のケースが2000ルッコラだと? ふざけんじゃねえ! とっとと帰りやがれ!」
「て、てめえ、さっきまでは700でもいいから買ってくれって泣きついてたくせに」
「へん! うっかりあんたの口車にのって安く買い叩かれるとこだったぜ。これさえありゃあオレは大金持ちだ。へっへ。もうあんたに頭を下げることもねえな。あばよ」
「き、きさま……」
「さあ出ていきな! 二度と来るな!」
「く、くそっ! おぼえてやがれ!」
男は悔しそうに顔を歪めて出て行った。
まるでコントのような手の平返しだ。
出て行った男の方にぺっと唾を吐くヨハンを見て、私はつくづくクズだなと思った。
こんな愚かな男の子供はかわいそうだ。
いや、私とネロなんだけど。
こんな男と一緒にいたら、どっちに転がっても不幸にしかなれないじゃない。
「へへっ。さあレイラ、その金を寄越せ」
ヨハンは気持ちの悪い猫なで声で私に手を差し出した。
「約束だからね! このお金を渡したら暴力はふるわないし、このケースも勝手に売らないで!」
「もちろんだとも。お前は金の成る子供だ。神はオレを見捨てなかったんだ。その魔法のケースでどんどん金を稼いでこい。そして一緒に村一番の金持ちになるんだ。へっへっへ」
なに子供の力で金持ちになろうとしてんのよ、このクズ親!
他力本願もいいかげんにしなさいよ!
喉まで出かかった声を呑み込み、私はヨハンに1000ルッコラを渡した。
「へっへ。今夜は祝いだ。酒とご馳走を買ってきてやろう。待ってろ、ネロ」
ヨハンはご機嫌になってネロの頭をポンと叩いた。
ネロはたったそれだけのスキンシップに目を輝かせた。
「うん! 待ってる、お父ちゃん!」
このネロの嬉しそうな顔を見るためだけに渡したお金だ。
まだ親を信じているネロを絶望させないためだ。
ヨハンは酒が残ってふらつく足取りで、1000ルッコラを手に出て行った。
残ったのは私とネロ。
そう思いこんでいた私は、奥の部屋からのそりと現れた人影に驚いた。
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※ 現在のレイラの所持金 ゼロ
次話タイトルは「レイラの母親」です