21、レイラ、また一つ悟る
「実はさ、レイラが余った時間に描いてた筒型のブリキがいくつかあっただろ? あれに底をつけて知り合いに見せたら欲しいって言ってさ。150ルッコラで売れたんだよ。材料代は大きいものでも50ルッコラぐらいだからさ、大儲けだよ。それで今日はちょっとリッチに食堂で食べようかって、ここに来たんだ」
スランは料理が運ばれてキャロルが下がると、私にこっそり耳打ちした。
「そうなの? すごいわ、スラン!」
ただ、ごほうびのリッチな食事というのが、この大衆食堂の料理というのが悲しい。
ネロは「おいしい!」と感動しながら食べているが、正直言って前世で肥えた私の舌には薬臭い香辛料と奥行きのない味が物足りない。もちろん空腹なので食べるけど。
この程度の料理に涙を流さんばかりに食いついているネロが泣ける。
早くもっといいものを食べさせてあげたいのに。
「それでさ実は十個ほど同じ物を作ってくれって注文をもらったんだ」
「十個も?」
私はパサパサの鶏肉を小さなほっぺに頬張りながら聞き返した。
「だからさ、レイラにも手伝って欲しいんだ。報酬はちゃんと払うからさ」
「ほ、ほんとに?」
願ってもない話だった。
なんとか食事にはありつけたものの、600ルッコラも奪われてヨハンに1000ルッコラを渡せば元の無一文だ。かと言ってまたマッチケースを作っても売り切れる自信がなかった。
今日だってナンシーと王子様の出現があったから売れたようなものだ。
「オレが入れ物を作っておくからさ、レイラは時間があるときにあの魔法の銀のケースを持って工房に来てくれよ。そしてまた絵を描いてくれ」
「分かったわ。明日にでも行くわ」
「……」
二つ返事で応じながらフォークを使って食事する私をスランが黙って見つめていた。
イケメンに見つめられると、ドキリとしてしまう。
近くで見るとホントに直子のモデル彼氏に似ている。
目にかかる赤みがかった胡桃色の髪がちょっとセクシーで、その髪の隙間から上目使いに見つめるのが決めポーズだったはずだ。
彼が載っているモデル雑誌をいくつか直子に自慢げに見せられた。
今、まさにスランはそのポーズで私を見つめていた。
「な、なに?」
「いや、フォークを上手に使うなと思ってさ。家では手づかみで食べるような食事しか与えられてないと思ってたけど……」
私はハッと隣のネロを見た。
ネロはフォークを使ったこともなかったらしく、不器用に皿の料理を刺しながら四苦八苦して食べている。それに比べて私は、小さな手で上手にフォークに乗せて食べていた。
「ス、スランが食べてるのを真似しただけよ」
ごまかしてみたけれど、スランは納得してないようだ。
「それに話を理解するのも決断するのも早くなったよな。前は何を言っても首を傾げて分かってないみたいで、決めることがあっても迷いまくってるタイプだったのに」
「そ、そう? ちょっと頭を打ってから回転が良くなったみたいだわ」
「ほらそれも。今まで使わなかった言葉がぽんぽん出てきて、まるで年上の人としゃべってるような気がするんだよな」
ギクリとした。
前世で培った二十年の歳月を簡単にリセットできるものではない。
気付けば二十歳のブス女気取りで、十六歳のスランを年下のように思ってしまっている自分がいた。あわてて弁解した。
「そ、そんなわけないじゃない。私は十三歳のただの美少女よ」
「うん。レイラは確かに美少女だよ。でもオレが美人だって言っても、私なんて……ってうつむいてしまうような子だったはずなのに……」
し、しまった。
美少女になったのが嬉しすぎて、自分で口走ってしまってたわ。
前世の私に比べたら月とスッポン、モナリザとウシガエルほどの差の超絶美少女だけど、それを自分で言う人なんていないんだった。
ブスは自分でブスって言っても支障はないけど、美人は自分で美人って言わないものなんだわ。それってよく考えたら自信過剰の嫌な女じゃないの。気付かなかった。
まだまだ発想がブス寄りのままなんだわ。気をつけなきゃ。
「もしかしてレイラ、誰か好きな人でもできた?」
「えっっ?!」
唐突なスランの言葉に、私はじゃがいもをフォークで刺しそこねて皿の外に転がしてしまった。
「な、なんでそんなこと……」
思い返してみれば、男性からこういう質問を受けたことなど前世では皆無だった。
私に好きな人がいるかどうかなんて、世の男性たちにとっては鳥取と島根どっちが好きかぐらいどうでもいいことだった。
「いや、急に綺麗になったし、明るくなったっていうか、生き生きしてるからさ」
そ、それは美少女になれて浮かれているからだけど。
「なんか大変な境遇なのに、レイラの目には希望が溢れてるっていうかさ。そういうの、いいと思うよ。うん。オレ、そういう子好きだよ」
「え?」
スランは言ってから、照れたように頬を染めて目をそらした。
な、なになになになに?
好きって言われたの?
生涯誰からも言われないと思ってたのに。
いや、前世では確かに生涯言われなかったけれども。
ひゃあああ。
くすぐったい。
なにこの心をさらっとくすぐっていく感覚。
初めての経験に、私の顔もボッと火がついたように真っ赤になった。
その私達のテーブルにドンッ! と皿が置かれた。
皿の上には緑のぶどうが一房のっていた。
驚いて見上げると、キャロルが口を歪めて私を睨んでいた。
「お母さんからスランにサービスですって。スランにだからね!」
「あ、ああ。ありがとう、キャロル」
スランは少し驚いた顔をしたものの、キャロルに爽やかにお礼を言った。
「レイラ、食べ終わったなら席を空けてくれる? 他のお客さんが待ってるの」
「あ、ごめんなさい」
たった今、最後の料理を口に入れたところだけどお皿は一応空になっていた。
まだ口の中でもごもごしながら急かされるように立ち上がった。
あからさまに私を追い出そうとするキャロルにスランが何か言ってくれるかと思ったけど、出されたぶどうを嬉しそうに食べている。好きと言いながらもキャロルに嫌われてまで庇うほどではないらしい。
そして確かにキャロルの言う通り、店の中には席が空くのを待ってる人が数人いた。
この店では相席は当たり前で、食べた人はさっさと出て行くみたいだ。
私はお腹いっぱい食べて満足そうなネロの手を取った。
「い、行きましょ、ネロ。じゃあね、スラン」
「お、おう。じゃあなレイラ、ネロ」
ドアを出る時にちらりと振り向くと、私が立った席にキャロルが座っていた。
そして邪魔者がやっといなくなったという顔で、嬉しそうにスランに話しかけている。
スランは嫌な顔もせずに、にこやかにそれに付き合っていた。
そういえば直子がいっつも愚痴ってたっけ。
『彼って優しいのはいいんだけど、自分に気がある女の子には誰にでも優しいのよね。好感度が大事な仕事だから仕方ないのかもしれないけど、時々虚しくなるわ。デートしててもファンに声をかけられたら平気で私を放っておいて相手してるんだもん』
私はスランの彼女でもないから文句を言うつもりはないけど。
ちょっとだけ直子の気持ちが分かったわ。
結局、そう言ってた一ヶ月後にファンの女の子との浮気がバレて別れてたけど。
スランもキャロルに強引に迫られたら断れなそう。
「ねえ、スランってお姉ちゃんのことが好きなの?」
ネロは私と手をつないで歩きながら無邪気に尋ねた。
「いいえ、ネロ。騙されてはダメよ。スランは私を好きかもしれないけど、たぶんあと五人ぐらい同じように好きな子がいるはずよ。あの顔はそういうタイプなの。ネロは好きな人が出来たら一人だけを大事にする人になるのよ。これはとても大事なことなの」
私は訓戒を授けるようにネロに何度も言って聞かせた。
次話タイトルは「ろくでなしヨハン」です