2、いよいよ転生
誤字脱字報告ありがとうございます。
「おはよう、麗羅。後ろ姿だけ見ると、あんたってホント美人よね」
自由制作の教室で私はブリキの筒にアクリル絵の具で絵を描いていた。
秋の学内作品展に出品するためのものだった。
服が汚れないように割烹着のような型のエプロンを身につけているが、後ろ姿からは中に着ている緑のAラインの服とスパッツの足が見えている。
「後ろ姿だけってどういうことよ」
ムッとして振り返ると、高校から一緒だった親友の冴子は「おー!」と手を叩いた。
「まだいける。ここからならまだ美人に見えるよ」
彼女は一歩ずつ近付いて、やがて私から五歩ほどのところで立ち止まると肩をすくめて首を振った。
「残念! ここまでかあ。あんたのトリックアートで美人に見えるのはここまでだわ」
長年の付き合いの冴子は気遣いってものがない。
「でも高校時代のすっぴんのあんたを知ってる者から言わせてもらうと大したものよ。この距離までは完全にあんたのトリックアートに脳が騙されて美人に見えるわよ」
「……あんまり嬉しくない」
化粧をするようになってから、町を歩いていてナンパされるようにもなった。
遠くから「ねえ君、そこの可愛い子」と呼びかけたチャラ男たちは、一歩二歩と近付くうちに脳の誤作動を修正し、自分が騙されていたトリックアートに驚愕の表情を浮かべる。
そして言うのだ。
「ごめん。ちょっと人違い。なんでもない。気にしないで」
まだ技術が足りない。
至近距離でも脳が現実に気付かないほどのトリックアート力が必要だ。
「あんたさあ、やっぱメイクアップアーティストになった方がいいんじゃない?」
冴子は私の制作中の作品に目をやりながら、もう何度目か分からない忠告をした。
「ほら映像の世界とかならゾンビメイクとか化け物メイクとかの需要があるじゃない」
「私は美しいものしか描きたくないの」
私がブリキの筒に描いているのは、シンデレラのかぼちゃの馬車とお姫様の絵だ。
長い筒いっぱいにおとぎ話の世界をアクリル絵の具で描いていた。
白雪姫と王子様、不思議の国のアリスと妖精たち、人魚姫と海の魚たち。
描いているだけで幸せな気分になれる。
仕事の需要があるとかないとか、そんなの関係ない。
私は私の好きな世界を描きたいの。
でも……。
「そうだな。早乙女はメイクアップアーティストか、大衆向けのイラストレーターの方が向いてるかもしれないな」
作品の進み具合を見にきた教授が、冴子の後ろから同意した。
「正直言って君の描く作品は、どれも先人の手垢だらけだ。独創性も目新しさもまるでない」
「……」
この教授が私の作品を褒めたことは一度もなかった。
いつも丁寧に時間をかけて仕上げたという勤勉さだけに辛うじて『可』をくれる。
「嫌みのない素直な絵だから大衆には気に入られるかもしれない。だが芸術ではない」
自分でも充分分かってる。私に才能なんてないことぐらい。
「しかし君のその化粧はなかなか独創的だぞ。顔の上にトリックアートをほどこそうなんて面白いじゃないか。今からでもそちらに転向してみてはどうだ? 私の知り合いに紹介してやってもいいぞ」
面白いと思って顔にトリックアートをしてるわけじゃないんだけど……。
でも教授は決して意地悪で言っているのではない。
芸術には厳しい人だけれど、ちゃんと私の将来も心配してくれているのだ。
「はい……。少し考えてみます……」
私の夢の詰まったこのブリキの作品も、きっと教授は『可』しかつけないだろう。
分かってはいても改めて言われるとショックだった。
◇
「あれ? もう帰るの、麗羅?」
昼前に絵の具を片付け始めた私に、冴子が声をかけた。
「うん。気分がのらないし……今日は注文してあった絵の具が画材店に届いてるはずだから」
「限定版の百色セットだっけ? そんなに色がいる?」
「もちろんよ。なるべく混ぜずにそのままの色を使いたいの。それにこの限定版には私の大好きな高級陶器灰青が入ってるのよ。少々高くてもこの色が入ってるセットなんて他にないもの」
器用な冴子は自分で色を作ってしまうけれど、私はそこにはこだわりがあった。
特に陶器の深みを落とし込んだような高級陶器灰青は、私の魂の色と言ってもいい。
この色をどこよりも完璧に再現した絵の具を作ったのが、この限定版のメーカーだった。
「だいたいそのジュラルミンのケース、すごくない? 絵の具をそんなでかいジュラルミンのケースに入れてる人って初めて見たわ」
「これはね、私の命よりも大事な宝物入れなの」
小型のスーツケースを薄っぺらくしたようなジュラルミンのケースは、取っ手を引き延ばせば転がす事もできる特注品だ。鍵がついていて中は二段重ねになっている。
下の段にはメイク道具が入っていた。
顔面トリックアートをほどこす四十八色パレットと下地に口紅やアイラインまですべてそろっている。
そして上の段は使い込んだ二十四色の絵の具と筆で、まだスカスカだ。
ここに今日新たに念願の百色の絵の具セットが仲間入りするのだ。
そう考えただけでワクワクした。
◇
「じゃあこれが限定絵の具セットと……新発売の下地材をおまけに付けとくわね。これを塗ればどんな素材にだって絵の具が定着する魔法の下地なの。今日入荷したばかりなの」
いつも行く画材店のお姉さんはとても親切だった。
「わあ! ありがとうございます!」
「麗羅ちゃんだけ特別よ! 気に入ったらまた買いにきてよ」
男性が私に親切にしてくれることは滅多にないが、女性……特にブス寄りの女性は私に親切だった。ブスで苦労した自分より更に苦労するだろう私への仲間意識みたいなものだろう。
私は「このご恩は必ず次のブスへと繋ぎます」と心の中で呟いて、ありがたく好意を受け取っておくことにしている。
「これで上の段のケースも綺麗に詰まりました」
私は台の上にジュラルミンケースを広げて、空いているスペースに受け取った絵の具と下地材をぴっちりと詰め込んだ。まるで測っていたかのように綺麗におさまった。
「すごいわねえ。それいっつも持ち歩いてるの?」
「はい。命より大事な宝物ですから」
服の中にネックレスのようにかけた鍵を取り出し、カチャリと締めた。
いつもは取っ手を引き出して転がして持ち歩くのだが、今は重さよりも愛おしさが勝った。
だからケースを胸に抱いたまま画材店を出た。
「じゃあ気をつけてね、麗羅ちゃん」
外まで見送ってくれるお姉さんに手を振って通りに出た。
しかし絵の具百色の重みはなかなかのものだ。
やっぱり転がそうかと立ち止まったところで、ながらスマホの男が背中にぶつかってきた。
「うわっ! 急に止まるなよブス!」
一瞬にしてブスと見抜いた男にムッとするのと同時に、衝撃で抱き締めていたジュラルミンケースが腕から飛び出した。
「あっ! 待ってっ!!」
あわてて両手に受け止めようと差し出した手に弾かれて、さらにケースが飛んでいった。
そして二転三転しながら道路の真ん中に転がっていってしまった。
「いやああああ!! 私の命がっ!!」
遠くからトラックが向かってくるのが見える。
周りにいた人たちは、あの大事そうなジュラルミンのケースは完全に轢かれてしまうだろうと気の毒そうにケースと私の顔を交互に見ている。
そう。誰も私の次の行動を予測してなかった。
まさか私がジュラルミンケースを守るためにトラックの前に飛び出すなんて……。
「えっ! ちょっと、あんたっ!!」
「きゃああああ!!」
「なにやってんだっ!!」
止めようとした誰かの手を振りほどいて、私は道路に飛び出した。
だってこれは私の命よりも大事なものなの。
必死にバイトして貯めたお金でようやく揃えた私の美のすべて。
これだけは絶対に手放せないの。
「きゃあああ!!」
「大変だ! トラックに轢かれたぞ!」
「ダメだ。あんな轢かれ方をして助かるわけがない」
「誰か、救急車を!」
多くの人の悲鳴のような声が聞こえていた。
思い返せばみじめな人生だった。
誰よりも美に憧れ、美を追求して、美に見放され、そして美のために死んでいく。
私が望んだ美は、ある人は生まれながらに持っていて、ある人は努力によって手に入れた。
なのに私だけはどれほど努力しても届かなかった。
ああ、神様。
生まれ変わったらとびっきりの美貌を下さい。
それ以外の何もいらないから、美しい顔だけを下さい。
どうか、どうかお願いします……。
次話タイトルは「転生先は美少女?」です