アルクーキーの陽(3)
ほらみろ、こうなっちまうだろ?
「キグノ、膨らんでるよ……?」
眠たいから毛繕いが雑になったんだって!
昨陽は朝起きて、ステインガルドからアルクーキーまで30ルッツを移動してんだぜ? そりゃお前は馬に揺られてたんだからそうでもないだろうさ。でも俺はその横を小走りでずっと付いていってたじゃん。それなりに疲れてたじゃん。
そんなとこに風呂にまで入れられちゃあよ、眠くなったって仕方ないだろ、相棒? お前だって俺にブラシも掛けずに、ベッドに入ってさっさと寝ちまったじゃないか。そりゃこうなるさ。
「あはは、別の犬みたい」
笑いごとかよ!
リーエは思い直したのかブラシを掛けてくれるが、いつもみたいには時間は取れない。自分も身だしなみを整えたら朝メシ食って治療室に入らなきゃいけないからな。
「兄貴ー、遊ぼー」
「わー、兄貴、大きくなったー?」
「太ったー?」
一晩で太るか!
「いつもよりもふもふー」
「埋まるよー」
「溺れるー」
だから、人の毛足で遊ぶんじゃない。
ただでさえ毛量が多い毛並の脂が抜けて膨らんでるだけだろうが、まったく。風呂に入れられるとろくなことにならない。
相棒が嫌がるほど体臭がきつくなるのは避けたいぜ? でもな俺らにとって匂いってのは名前みたいなもんじゃん。姿が見えなくたって匂いがすりゃそこに居たとか分かるだろ? それが抜けちまうのはどっちかっていうと嫌なんだよな。だから風呂は最低限にしときたいわけだ。
風呂に入ったら入ったで、たっぷり時間を掛けて毛皮に脂を回しとかなきゃ自己主張できなくなるだろ? 猫族みたいに自分の匂いがしたら狩りに支障をきたすようなのとは違うんだからよ、いい加減その辺理解してくれても良さそうな気がすんだがな。
仕方ないから隅っこで毛繕いさせてもらうぜれーろれーろ。
「わー、兄貴ー! おいらごと舐めないでくれよー」
ひとの毛足に潜ってるからだろ?
「分かっててやってんじゃんー」
気にすんな。別に味見してるわけじゃないからな。
「きゃー! 食べられる―!」
嬉しそうじゃん。
俺は適当に雷兎たちをあしらいながら毛繕いをしてる。そんで今陽も温かい目で見守られながら、相棒の仕事に付き合っていたわけだ。
「なんか賑やかですね?」
俺もそれを聞きたかったとこだぜ。何かの音楽みたいなのがさっきからうるさくって堪らん。
「結婚式だよ、リーエ。二軒先はデオグラドルシェの教会だろう?」
「そうでした」
そういえばそんなもんもあったな。縁がないが。
「ラウワイ商会の跡目が盛大に人集めてるらしいんだ。祝えってな」
「へぇ、おめでたいのは良いことです。振る舞いとかあるんじゃないですか?」
「たぶんな。あとで覗いてみようかって思ってる」
料理の匂いもぷんぷんしてるぜ。さっさと行っちまえ。
「今陽は眠の陽ですもんね? 皆さん、ずっと騒いでいるんじゃないですか?」
「午後は会場も準備してるって噂だ。この辺が賑やかなのは午前中だけのはずだから、迷惑にはならないだろう」
「あはは、ずっとこんな感じだと病気の方とか大変ですものね?」
そいつは堪ったもんじゃない。
これも相棒と暮らすようになって憶えたんだが、人間には六陽の周期があるんだ。夜空に浮かぶ黄盆の模様の変化で定まったらしい。それが六陽で一巡りするもんだから、一巡が決まっているのさ。
丘の陽から始まって、雲、湖、樹、魚ときて、最後に模様の少ない眠の陽がくる。この眠の陽が一般的な安息陽になってて、仕事を休む奴は休むのさ。
アルクーキーの陽は三巡置きの魚の陽。だから今陽が眠の安息陽。酒が好きな人間はここぞとばかりに飲むんだろうな。犬の俺には酒なんぞ料理に使ってある時くらいしか口にする機会はないがよ。
「ぎょえっ!」
なんだ、あのドラゴンの尻尾の下敷きになったような悲鳴は?
「どうしたんでしょう?」
「あの声はファンチャの野郎だな」
「お聞きしたことない名前です」
でかい町だから知らない奴だっているだろ。
「だろうな。治療院嫌いで有名だったからな。それが馬鹿な野郎で、一昨陽派手な夫婦喧嘩をした挙句に、嫁さんが調理ナイフを振り回してな」
「え? そんなに?」
「それで足をざっくりとやられちまいやがんの。歩けなくなって治療院に担ぎ込まれて即入院。落ち着いてから、夫婦揃って衛士にきっちり絞り上げられたってわけ」
そりゃ尋常じゃない気もするが、これだけ人間が居れば笑い話の一つにしかならないのかよ。
「それで済まなかったから余計に笑える。この野郎、なんで治療院を毛嫌いしてたかっていえば、動物が苦手だっつーんだ」
「あー、ここ、結構色んな子がうろうろしてますもんね?」
「だからしょっちゅう悲鳴上げてやがる。あんまり気にしなくていいぜ」
「そういうことだったんですか」
なるほどな。鉢合わせしちまったか。ん?
俺の毛足に潜っている奴や跳ね回っている奴がいるが足りない気がするな。いち、にのさんっと、五匹しかいないじゃんか。おいおい。
「一匹出ていっちゃった?」
気付いたか。どうやらそれが悲鳴の原因だ。
「早く捕まえないと。兎ちゃん、怒られちゃう」
「焦らなくたって、野郎が騒いだって治療院の連中、取り合わないって」
「でも、キグノのお友達だから気が引けちゃうの」
しょうがないな。連れ戻すか。
「匂いで追い掛けて」
くんくん。あっちのほうか。ん? 良い匂いがするぞ?
相棒、また朝メシ食って綺麗に手を洗わなかっただろぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ。
第八話は膨らんだキグノと、散歩に出た雷兎の話でした。少しずつ設定補完していきます。前作は冒険とかの色が強かったので、あまり人々の生活に纏わる設定を入れてなかったのですが、本作は日常に密着しているので細かな部分まで触れていきます。大まかな設定はルビで代用していますが、お知りになりたい方は『魔闘拳士』参考資料をご覧ください。