聖騎士伯フラグレン(5)
総がかりで宥めた相棒が落ち着きをみせたところで、お茶を運んできてくれたメイドとは別のメイドがやってきて、相棒を風呂に連れていく。涙と一緒に旅の汚れも落としてくる算段らしい。
普段は使ってない屋敷にこれだけの人間を置いておけるとは、この婆さん本当に金持ちだな。
それなのにリーエのためにこれだけの気遣いをしてくれるとは感謝しておかないとな。膝にすりすりしてやるぜすーりすーり。
「あら、感謝の印? 義理堅いのね」
普通だって、普通。
「本当にあの娘のことを思っているのねぇ」
ん? まるで俺が人語を理解しているのが分かってるみたいじゃん。
「わたくしが話し掛けるのを変だと思う?」
傍目から見れば酔狂に映るだろ?
婆さんは俺の頭を撫でながら、目を瞑って何かを思いを馳せている。
「或る方を思い出してしまうの」
誰だ? 魔獣と話す物好きが他にもいるのか?
「わたくしね、この国じゃ英雄だなんて持て囃されているけど、本物の英雄に会ったことがあるのよ」
お、話が飛んだぞ?
「キグノ、あなたはあの方にそっくり」
おい、人間の話じゃ……。
「優しくて気さくで朗らかでとても物腰が柔らかいのに、とてつもなく強いのよ。信じられないほどに」
あんただって強いからその地位に在るんだろ、フラグレン。もっと強いってのか?
「その方も魔獣を連れていらしたわ。小さな薄茶色の魔獣。普通に友人に接するように話し掛けてたの。通じ合うのが当たり前であるかのように」
妙な奴もいたもんだな?
「リーエとあなたを見ていたら、それが当然のことだって感じられて面白かったわ。あの頃が甦ったかのように思えたの」
口振りからして相当昔のことだろ?
「懐かしい。気持ちまで若返りそうだわ」
フラグレンは口に手を当ててころころと笑う。本当に愉快そうで何よりだぜ。
「闇犬のあなたが、どうして人間と一緒に暮らすようなったのかは分からないけど、深く繋がり合っているのは分かるわ」
会話が噛み合うほどじゃないけどな。
「わたくしみたいに王国の求心力として祭り上げられた存在じゃなくて、あなたたちみたいなのが本当に語り継がれていくような存在になるのよね?」
自嘲ってわけじゃなさそうだな。目が笑ってる。
「それなら、わたくしにできることは決まっているわね」
よく解らんがそうなのか?
けどな、俺の喉を撫で上げる婆さんの手からはすごくいい匂いがしたぜぺろぺろり。
◇ ◇ ◇
風呂に入れられた相棒は小奇麗になって帰ってきた。
メイドの着せ替え人形になっちまったのか、お嬢様みたいな格好にされちまってる。婆さんが昔着ていた服だっていうから時代遅れのもんだとは思うんだが、俺にはよく分からない。
それから皆でメシを食うことになったんだけど、相棒は親父さんに作法も仕込まれているからそんなに恥をかかないで済んだみたいだな。
今陽ばかりは猫の視線が怪しかったもんだから、さっさと平らげさせてもらったぜげっぷ。ひとの皿から少しくらい失敬するのは許してやるから、背中の上で顔を拭うのは勘弁しやがれ。毛皮に匂いが移っちまうだろ?
その後、カーティアがさっさと逃げ出しやがったから何事かと思っていたら、あのお茶を運んでいたメイドが背後から迫ってきた。異様な気配だぜ。
「あ、キグノも洗ってくださるみたいだから悪さしちゃダメよ?」
マジか!
「こちらにいらしてくださいね?」
いや待て! 話し合おうぜ?
問答無用だった。
使用人用の浴場らしき場所に連れ込まれて隅から隅まで洗われちまった。それは一向に構わない。手つきも優しかったからな。
ただ、洗っているうちにだんだんとメイドの口元が欠け盆に変わっていくのがちょっと怖かっただけだ。何か色々と奪われた気分になっちまった。
ちょっと腹が立ったから、下着姿のメイドに目いっぱいぶるぶるをお見舞いしてやったぜ。せめてもの仕返しだ。楽しそうに笑っていやがるから仕返しにはなっていなかったんだろうけどな。
「綺麗にしてもらって良かったね?」
さんざんだったぜ。そういう相棒だって慣れないふかふかのベッドで落ち着かないんだろ?
「なんか夢みたい。あの聖騎士伯様のお屋敷にお客様として扱っていただいて、こんな素敵なお部屋で眠らせていただけるなんて」
フラグレンだって楽しそうにしてるんだからいいんじゃないか?
「満喫したらまた罰が当たりそう……、いけない。そんなふうに考えちゃ駄目って怒られたばっかりだったね?」
そうだぜ。悪いことがありゃ良いこともある。帳尻が合うようにできているんだろ、相棒?
あー、もう眠い。今夜くらいゆっくりと眠ろうぜ。
◇ ◇ ◇
だから言ったじゃないか? あんな派手な戦闘した陽に風呂になんか入っちゃ駄目なんだって! 眠くて毛繕いなんてしてらんないだろ!
「あはははは! キグノ、爆発してるー」
笑うな、カーティア。齧られたいのか?
「すごい! 私でも隠れられそう!」
ひとの背中に隠れてどうしようってんだ? そもそも黒猫が俺の毛足に溶け込めるわけないだろ?
むぅ、相棒だけじゃなく、婆さんまで指差して笑ってやがる。
むかつくぜ。涎まみれの刑にしてやるぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ。
第四十三話はフラグレンの記憶の話でした。彼女が魔闘拳士の真の姿に触れたのは僅かの時間でしたが、強く印象に残っていたという内容です。