聖騎士伯フラグレン(1)
なあ、もっとくれよ。
俺は前脚で相棒の膝をちょんちょんとつつく。
俺たちが食ってるのは、一つ前の町で買ったモノリコートクッキーだ。割と高価な菓子だけにこいつがとびきり美味い。
親父さんが言ってたが色合いは悪いんだそうな。犬の色覚はちょっと劣るんでよく分からないんだが、青い粒々がクッキーに混じってる。青ってのが人間は美味しくなさそうに感じるんだとさ。
その青い粒がモノリコートって菓子らしいんだが甘くて最高に美味い。甘いだけじゃないぞ。
動物の内臓は特有の癖のある苦みやコクがあるが、このモノリコートの苦みとコクはどこまでも深い。舌が溶けるんじゃないかと思っちまうじゃん。
で、そのモノリコートがあのモノリコの実から出来てるっていうから驚きだ。まだその名前も知らないくらい仔犬だったときに、俺はその深い藍色の実をいたずらに齧ったことがある。とんでもなく苦くて食えた代物じゃなかったぜ。
ところが人間はこのモノリコの実を加工してこんな美味い菓子にしちまうんだから尊敬に値するね。よくやった。
「欲しいの?」
くれ。
「本当に高いんだからね? それにホルツレイン製のモノリコートクッキーなんてあの町にあったのはすごい偶然なんだから」
いいから寄越せ。
「もう、贅沢憶えちゃっていけないんだー」
よし、きたきた。
うんうん、クッキー生地もこの辺で手に入るのと同じ上等な粉を使ってるからそれだけで程よく甘い。そこに固めの食感のモノリコートが牙に当たる。噛み潰すと芳醇な甘みと旨味が舌に広がっていきやがる。こいつは絶品だぜ。
なに一人で平らげようとしてるんだよ。
「もう十分食べたでしょ? あとはわたしが食べるの」
おいおい、一人占めはないだろ。旅の道連れを相手にそれはちょっと切ないぜ。つんつん。
「これはお小遣いで買ったんだからわたしのなの!」
そう言うなよ、相棒。つれないなぁ。ほら、耳舐めてやるからぺろり。
「ひゃん!」
せっせとクッキーを齧っていたんだけど、くすぐったかったのか手元が緩んで最後の一枚を落としちまった。
あーあ、もったいないな。仕方ないから俺が食ってやるよ。
おいおい、つまみ上げるな。下に落ちたんだぜ?
「よかった、草の上で。大丈夫大丈夫」
こらこら、お前、いつもは下に落としたもんを俺に食わせてんじゃん? こういう時だけ大丈夫はないだろう?
「埃だけ払えば食べられるもん!」
いや、待て。おかしいぞ。そいつを食うのは俺の担当のはずだ。
リーエが口に運ぼうとするクッキーに俺は嚙りつく。お互いに端っこを咥えた状態で睨み合いになった。
相棒の茶色い瞳が挑戦的な色を帯びてやがる。でもよ、ここは譲れないぜ。
「ふぁへ、ふぉへふぁふぁふぁひほ!」
いや、今まで通りなら俺んだろ?
「ふー!」
そんな猫の威嚇音みたいなの出したって無駄だぞ。
結局、両側から齧り進めて途中で折れ、半分ずつになっちまった。
そのあと顔中舐めてやったがなぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ。
◇ ◇ ◇
「ねえ、犬用の鞍ってあるのかな?」
ずいぶん無体なこと言ってくれるじゃないか、相棒。
そりゃ、変に噂が広がってたら嫌だって言うから駅馬車使わないのには賛同したぜ。だから背中に乗っけるのもやぶさかじゃない。
でも、当面の目的地の王都スリッツまではかなり距離があるのは相棒だって分かってただろ? お急ぎ便の駅馬車でも四陽は掛かるところなんだから、のんびり歩いてたら相当時間食うじゃん。座り心地が悪いくらい我慢しろよ。
「ものすごい揺れるからあんまり長い間背中に乗っていられないんだもん。鞍があったら少しは楽になると思わない?」
却下だ。
鞍ってのはあれだろ? 馬とかセネル鳥みたいに、歩いたり走ったりするのに背中の筋肉をあまり使わない連中だから平気なんだぜ。
犬や猫みたいに普段から全身の筋肉を使う同輩たちにゃ向かないもんだって分かるだろ? あんなもん乗せちまったら背中が擦れて痛くて敵わないだろうし、たぶん毛が抜けてひどい有様になっちまうぜ?
仕方ねえな。そんなに痛いなら舐めてやろう。
「ひゃっ! ちょっと何するのよ、キグノ!」
何って、痛いところを舐めて癒してやったんじゃないか?
後ろからスカートの中に顔を突っ込んで尻を舐めてやったらリーエは飛びのいた。
どうした? そんなに顔を赤らめて、尻を押さえて下がらなくてもいいじゃないか? 善意だぞ、善意。
「いやらしい! 何て事するのよー!」
そんなに嫌がるなよ。痛いんだろう?
「ちょ、待って! まだ舐める気ね!?」
心配すんな。俺は犬だぜ。人間相手に盛ったりはしない。安心して舐めさせろ。
「ね、キグノ? 話し合いましょ?」
だから俺が何言っても通じないじゃん。
スカートの尻を押さえた相棒と、尻を舐めようと狙う俺が等間隔を置いて睨み合い、輪を描くようにぐるぐる回ってる。
動体視力じゃ勝負にならないぜ。いつまで頑張るつもりだ。諦めろ。勝負は決まっているんだ。
街道脇でそれをやっているもんだから、通り掛かりのセネル鳥に乗った行商の兄ちゃんが指差して笑ってやがる。リーエは真っ赤になってしゃがみ込んだ。
このあと、さんざん叩かれちまったぽかぽかぽかぽっかぽかぽか。
第三十九話はモノリコートクッキーと鞍の話でした。ちなみに犬にチョコレートはタブーとされていますが、中毒成分であるテオブロミンはモノリコートには含まれていない設定です。
そして厳密にいえば、犬が少しでもチョコレートを食べると中毒になるというのも迷信のようです。前述のテオブロミンは結構な量(小型犬でも200gですから、お徳用を一袋ほどでしょうか)を摂取しなくては重篤な状態を招いたり、中毒症状で死に至ることはないようです。ただ、甘い物を好む犬に味を憶えさせて欲しがるようになるよりは、一欠けでも与えないようにするのが正解なのでしょう。予防策としては順当ですね。




