仔犬キグノ(1)
相棒が寝る準備に入ったみたいだから俺ものっそりと立ち上がる。
「どこ行くの? おしっこ?」
そうだよ。小便だよ。お前、家ん中でしたらこっぴどく叱ったじゃないか。本当なら俺の生活空間なんだから匂い付けしときたいんだぜ? 仕方ないから裏の菜園の隅でしてるだろ?
こいつは内緒だが、家の外の四隅には時々ちょっぴりだけかけて回ってる。縄張りはきっちり主張しとかないとろくでもないの入ってくるかもしれないからな。
「今夜はどこで寝るの? 扉開けとく?」
リーエが寝室から顔を覗かせてるから、鼻先で押して閉めてやった。これは居間の床で寝るから心配すんなって合図だ。
こうしておきゃ相棒は納得してベッドに入る。ここからは俺の時間だぜ。
闇犬っていうくらいだから夜闇は俺の領域だ。ステインガルドはかなり北のほうに有るから、夜になっても生ぬるい空気に満ちてる。そいつを縫って村の中を小走りで駆ける。
田舎の村なんで、大概の人間はさっさと寝ちまってる。騒いでんのは酒場にたむろしてる親父どもくらいのもんだ。無視して柵の外まで俺は出ていく。
村の柵の周りをぐるっと回ってところどころに小便をかけて回らなきゃなんない。妙な奴が村に目星を付けて匂い付けしてないかの確認と、ここにゃ俺っていう強い雄が居るんだから入ってくんなよって目印を付けとかなきゃいけないだろ?
ひと通り終わって村の入り口まで戻ってきた。見上げりゃ満天の星。色々あってここに住み着いてるが、俺にだって親ってもんが居たんだ。
あの晩もこんな星空だった気がするぜ。
◇ ◇ ◇
「いいから俺様の雌になれって言ってるじゃねえか?」
ちょっと身体がでかいからって好き勝手言いやがる。
「はっ! 冗談じゃないわね。何であたしがあんたみたいな貧相な雄の子を産まなきゃいけないのさ?」
ちょ、お袋! 気が強いのも知ってるけど、そりゃ言い過ぎかも?
なんたって状況が悪いって。群れの雄どもが急に押し掛けて来やがったから、お袋だって俺一匹を咥えて逃げるのが精一杯だったじゃんか。
「ボスが目を掛けてるからっていい気になりやがって!」
取り巻きの一匹が吠えてやがる。
「どこの誰だか知らないが、浮気してきて許されるとでも思ってんのか?」
「浮気じゃないね。本気も本気さ。彼のたくましさにあたしはめろめろで、尻尾が真っ直ぐに伸びちゃったくらい」
「この雌、いけしゃあしゃあと! ボス、ちょっと痛めつけてやりましょうや!」
こいつはヤベえ雲行きだぜ、お袋。
「黙ってろ。いいか? これが最後だ。俺様と番え。そうしたらこのガキども、見逃してやってもいい」
非常にマズい。ボスの足元で震えてんのは俺の兄弟達。まだ走るのも覚束ないから逃げるに逃げられないじゃんか。絶体絶命ってやつだ。
「そんなだからあたしがあんたに尻尾振る気になんないって分かんないのかい?」
お袋も腰は引けてないが震えてるし。
「そうか。ならお前の気が変わるまで一匹ずつ殺すまでだぞ?」
「まったく汚い雄だね!?」
「……やれ」
やられちまった……。くそ! ありゃもうダメだ。取り巻きの口から垂れ下がってる兄弟を見るのは堪らないぜ。
「よくも! あたしの可愛い子を!」
怒りのあまりにお袋の身体から幻惑の黒い霧が噴き出してきてる。でも、相手も闇犬じゃこいつは効かねえし。
「お前が聞き分けないからだ。あと三匹だぞ?」
「子供の仇にケツ振る雌がどこに居るってのさ!?」
「分らん奴だな」
止めろ! もう止めてくれ! 兄弟が一匹ずつ断末魔を上げる度に俺の中で何かが首をもたげてきてるんだ! こいつを目覚めさせていいんだか分からないんだって!
「次はそのガキだ。これだけの数の雄相手に逃げられるとか思うなよ?」
ヤバい! もう限界だ!
「やってみな? 敵わなくたって何匹か道連れにしてやる。あんたは情けないボスとして雌たちに後ろ脚で土を掛けられるといい」
「でかい口叩くな! 手前ぇみたいな雌一匹……、ぎゃん!」
悲鳴が連続してる。良く分からんが、これが阿鼻叫喚ってやつか? 目の前が暗くなってく。意識がもう……。
◇ ◇ ◇
あれ、生きてるみたいだぞ? あの状況で、何で俺は生きてんだ?
「起きたのかい、あたしの可愛い子」
お袋の前脚の間で舐められてるってことは生き延びられたんだな。
「やっぱりあの雄の子だね。立派なものだったよ。ありがと、お母さんを助けてくれて」
そう言われても、俺何やったか分からないんだけど?
「憶えてないのかい? まあ良いさ。大きくなるうちにもっと上手に使えるようになるよ、きっと」
気になるじゃんか。でも、お礼を言われても困るんだよな。だってお袋が責められたのは、俺や兄弟たちにたてがみが生えてきちまった所為だし。
それまではボスじゃない誰かの子じゃないかって牽制し合ってたみたいだけど、それでお袋が群れの外で種をもらってきたってバレたわけだからな。
「やれやれ、これでせいせいしたよ」
お袋はあっけらかんとしてるな。
「群れじゃないから狩りとか大変だけど、適当に流れていくしかないね。苦労を掛けるけどお母さんと一緒に来てくれる?」
当たり前だろ? 俺の頼れるもんはお袋しか居ないんだから。
「本当に可愛い子だね!」
この後、お袋にめちゃくちゃ舐められたし、俺も舐め返してやったぜぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ。
第三話はキグノの過去に入っていく話でした。意識してこのオチに持っていっている訳じゃないんですが、文字数の巡りが良くって使えています。どこまで続けられるか分からないけど努力してみようかな?(笑)