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ゆずり葉の系譜  作者: 風花てい(koharu)
6/14

 翌日には、私の嫁ぎ先は屋敷中に知られるところとなった。 

 ゆるゆると行われてきた輿入れの準備は、ここに来て急に活気づき、出入りの商人が常には入らない屋敷の奥にまでやってくるようになった。私も女であるから、慌しい雰囲気を煩わしく思いながらも、自分のために沢山の着物や道具を誂えてもらえるのが嬉しかったし、商人が次々に広げてくれる綾錦を見て、心も弾んだ。


 同じ頃、屋敷から弥一郎の姿が見えなくなった。「姫さまが、いよいよ他の男のものになるとわかり、屋敷に留まるのが辛くなって逃げ出したのでございましょう」と言う者もいたが、私は、彼がどこで何をしているのかを知っていたので、動揺することもなかった。


 弥一郎は東国におり、今は、とある武士の配下の者として働いている。


 その武士とは、私が嫁ぐ国の重鎮のひとりで、かねてより貴族との親交も深く、このたびの婚儀をまとめるための仲介の労を取ってくれた人物でもある。


 父は、弥一郎をその男に預けた。男のほうも、父が弥一郎を間者として使うことを承知し、貴族との絆をより深めるために彼を家来としたそうだ。驚いたことに、私の夫となる者もまた、私の輿入れと共に間者が家中に紛れ込むことを、薄々ではあるが承知しているらしい。父によれば、お互いに知らぬふりをして秘密を融通し合うほうが、どちらにとっても動きやすいということが少なからずあるのだそうだ。 

「時には嘘の秘密を流されて、あちらに利用されることもあるかもしれないよ」と、私は、からかい混じりの警告を父から受けた。ついでに、「利用されてやるのもまた手のうち」とも言われた。 


 今まで権謀術数とは無縁だった私にとって、このような男の発想は、複雑怪奇で理解しがたいものがあった。こんな調子でやっていけるのだろうかと不安がる私に、「ややこしいことは、弥一郎に任せよ」と父が言う。 

「姫は内々に聞き知ったことを弥一郎に教えるだけでもよい。そなたが、我が家のためにと、あまりに小利口に立ち回っては、かえって夫殿の不興を買うかもしれぬゆえ」

 父の物言いから、私が輿入れした後で弥一郎と合流できることは確実であるようだった。私はホッとしながら、一年後の輿入れを楽しみに日々を過ごすことにた。

 


 次の年の春、私の婚姻のための行列が、いよいよ東国へ向けて都から出発することになった。 


「あちらの家の人々に可愛がられて幸せになりなさい」

 出かけ間際に父が私に言った。 


「どうぞ、お体を大切に。沢山の幸せに恵まれますように」

 母からの言葉は、表向きにははんなりと柔らかかった。


 だが、彼女は、私にだけ聞こえるように耳元に口を寄せると、「いきなり惨いことをいうようですが、男の方の奥さまは、ひとりとは限りません。でも、よほどの事情がない限り、正室の腹から生まれた者が嫡男。これだけは、誰もが等しく認めるところです。たとえ殿のお心が離れようと、これだけは決して譲ってはなりません。よろしいですね?」と、現実的なことをささやいた。


 私は、神妙な顔で母の教えにうなずくと、ふたりに別れを告げた。



 天気にも恵まれたこともあり、私たちの旅は順調に進んだ。だが、鈴鹿の峠に差し掛かった時に、物見遊山な気分が一転する。同行者に女性が多く、豪華な婚礼道具と共に進む私たちの一行は、山賊たちの格好の餌食だったようだ。街道際から襲い掛かってきた彼らによって、行列は、あっという間に散り散りにされた。


 駕籠の外では切り裂くような悲鳴と獣のような怒号が入り乱れ、刀や槍がぶつかり合う音に血の匂いが混じる。「姫さまをお守りしろ!」と、誰かが叫び、私が乗っている籠が大きく揺れた。


(もしかして、私はここで死んでしまうのだろうか?)  

 駕籠のあちこちに頭や肩をぶつけながらも悲鳴をあげまいと唇をかみしめる私の心に不安がよぎる。私は、盗賊たちの前に引き出されて、さんざん慰みものにされた挙句、山中に屍をさらすことになるのだろうか?


「や……弥一郎」

 いつの間にか、私は、ここにいないはずの《影》の名を呼んでいた。

「弥一郎! 弥一郎! 弥一郎!」

 駕籠の両壁を押さえるようにして手足を突っ張り、舌をかみそうになりながら、私は、幼い頃から最も頼みにしてきた者の名を呼び続けた。


「助けが来たぞ!」という声が遠くに聞こえたのは、その直後であった。 

 味方の安堵の声に混じって、盗賊のものらしき断末魔の叫びが、すぐ近くで立て続けに三つほど聞こえた。「大丈夫か」と、外の者がたずねる声に、私は耳を疑った。 


「弥一郎……弥一郎なのですか?!」

 私は、駕籠の壁にすがり付くようにして、外に向かって声を上げた。外ではまだ戦いが繰り広げられているようで、刀や体がぶつかり合うような音が続いている。それらの音が止むと、駕籠の扉が引き剥がされるような勢いで開けられた。駕籠の小さな出入り口から顔を覗かせたのは、まさしく弥一郎であった。


「姫さま、ご無事ですか?!」

 額に汗を滲ませて、切羽詰った顔で弥一郎が叫んだ。

「弥一郎!」

 安堵と懐かしさで気が緩んだ私は、周囲の目を気にする余裕もなく駕籠を飛び出すと、弥一郎に向かって両手を伸ばした。泣きながら夢中で彼の首にすがりつくと、彼が驚いたように身を竦ませたのがわかった。 


 しかしながら、彼は私を拒むことはしなかった。震えている私を血刀を持っていないほうの腕で強く引き寄せると、「ご無事でよかった」と、吐息のような声で呟いた。

「遅くなりまして、申し訳ございません。ですが、もう大丈夫ですよ。怪我をしたものもおりますが、皆も無事です」

 怖さで震えている私の背を撫でながら、弥一郎が教えてくれる。その声と手の温かさに解されるように私の体全体に安心感が広がっていく。


 もう大丈夫。


 心から、そう思えた。




 とはいえ、私も、いつまでも弥一郎にしがみついているわけにはいかなかった。


「姫さま。誠に申し訳ないのですが」

 私がようやく落ち着いてきた頃、弥一郎が苦笑混じりにささやいた。

「そろそろ離していただけますか。事情をご存知の今の主はともかくとして、私の今の仲間も来ますゆえ」

「あ」

 私は、慌てて彼の首に回していた腕を解いた。そうだった。今の彼は、私の婚家を主とする家に仕え、私の家とは縁もゆかりもない出自ということになっているのだった。こんなところを彼の同輩に見られたら、きっと不審に思われることだろう。


(見られるといえば……)

 私は、この場にいる四人の人足を振り返った。私の懸念を察したかのように、弥一郎が、「この者たちは私を知りませぬゆえ」と言った。なるほど、彼の言うとおり、彼らは四人ともに駕籠を担がせるために雇った者たちばかりである。口止めの必要はないだろう。また、弥一郎を知っている者は、都を出立する前に父から『思わぬところで弥一郎と出くわすことになるかもしれないが、初めて会った者として振舞うように』と申しつけられているはずであるから、こちらも問題ないと思われる。


 私にしても、彼を見るのは初めてであるかのように振舞わなければならないはずである。だから、私は、弥一郎から離れようとした。だが、なぜか弥一郎がそうさせてくれない。

「その足では歩けますまい」

 彼は足袋しか履いていない私の足を見下ろして微笑むと、私に背を向けて腰を屈めた。

「人足のひとりが怪我をしております。あちらで代わりの者を見繕いますので、それまで、なにぶんご辛抱願います」 

 彼が、人足たちにも聞こえるように声を張り上げる。

「ありがとう。頼みます」

 私は、頭をそびやかしながら努めて気取った声を出すと、弥一郎の背におぶさった。

 

 弥一郎の背中は大きくて、四人がかりの駕籠よりもずっと頼りになるように思えた。常よりも視界が高いせいか、彼の肩越しから見える風景は、いつもよりもずっと広く、遠くまで見えた。




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