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ゆずり葉の系譜  作者: 風花てい(koharu)
4/14

 私がその男に気がついたのは、十を少し過ぎた頃。松風が辞めてから一年余り後のことだった。


 名は弥一郎という。


 彼は、警備の者のひとりとして我が家に仕えていた。だが、先にも話したとおり、我が家の内情は厳しく、貴族としての対面を保つのが精一杯の暮らしをしていた。ゆえに、我が家には多くの者を雇い入れ養うだけの金銭的な余裕はなく、警備の男などは、下働きがするような庭の草むしりから、正装して客人をもてなしたり御所へ向かう父の供に加わったりすることまで、幅広い役割をこなさねばならなかった。


 弥一郎は、無口ではあるが誠実で、頼めば何でも気軽に引き受けてくれるというので、家の者たちから重宝がられているようだった。


 私が彼に気がついたのは、彼が、まだまだ少年らしさを残していた頃であった。 

 ある日、庭の手入れをしている彼を見かけた私は、彼の顔が、私の知っていた者によく似ていることに気がついた。

「どうかなさいましたか?」

 私に気が付いた弥一郎が、僅かに首を傾げながらたずねた。

「いえ」

 私は、彼から目を逸らすと、「ご苦労さまですね。ありがとう」と、ひとまず彼をねぎらい、急いで、その場から立ち去った。


 その日から気をつけて見ていると、弥一郎は、一日の多くの時間を、私の住む局に近い場所での警備や雑用に費やしていることがわかった。それだけではない、寺参りなど、私が出かける時には必ず弥一郎が護衛に加わっていた。女ばかりが目につく屋敷の奥で、呼べばすぐに駆けつけてくれる程度に常に私の近くにいる男も、弥一郎だけだった。


(たぶん、彼が、私の《影》だ)


 だが、それがわかったからといって、私の日常の何かが変わるわけではない。私は、この家の娘である。貧乏ゆえに主と雇い人との上下関係が緩くならざるを得ないとはいえ、私は、この家の姫である。その私が若い男と……しかも使用人と気軽に口を利くのは、とてもはしたないことだ。


 身分の低い男など眼中にないかのようにすましているのも、姫たる私の務めなのである。

 彼に興味など持っていないかのように 始めからそこにいない者のように。 

 私は、姫らしい高慢さをもって、弥一郎を無視し続けた。


 それでも、彼を見つけるたびに、私の目は勝手に彼の姿を追いかけた。

 細身で身軽そうな体つきとふっくらとした頬に少年の面影を残していた弥一郎は、年を追うごとに頬の肉もそげ落ち肩幅も広がって、上背のある逞しい男に成長していった。 

 腕っ節もなかなかで、私の供をした際に供の女に因縁を付けてきた浪人崩れのゴロツキ集団を一人で片づけてしまったとか、屋敷に忍び込もうとした盗賊を退治したなどの武勇伝もあった。顔つきも、なかなかに美しい。屋敷の内外を問わず彼を夫に望んでいる女が大勢いる……と、そんな噂も聞こえてくる


(私には関係ないわ)


 《影》は、私を守る者ではあるけど、私のものではない。それに、昼間の姿が仮の姿だとしても、《影》に妻や子がいてもいいはずだ。私を守る任務に支障がでない限り、彼の好きにして何が悪いというのだろう?


だが、女たちが彼を肴にはしゃいでいるのを目にするたびに、私は、なぜだか機嫌が悪くなった。イライラするのは、まだまだ先のことだと思っていた私の輿入れが数年後に迫ってきているせいかもしれないが、彼のことを考えるたびに心穏やかでいられなくなるのは事実だ。


 弥一郎が妻女を得たら、その女は、彼を都に引き留めようとするのではないだろうか?

 そうなったら、私は、ひとりで東国に行かねばならないのだろうか? 

 顔も見たこともない男と添い遂げるために、ひとりの守りもつけてもらえないまま、二度と戻ってこられぬような遠方にやられることになるのだろうか?


 幼い頃から《影》に守られてきた私にとって、彼が身近からいなくなることは、身ぐるみをはがされて荒野に置き去りにされるも同然だった。心細くてしかたがない。 


 思い悩んだ私は、長年自分に課していた戒めを破ることにした。




「いますか」 


 真夜中。皆が眠りについたのを待ちかねて起きあがった私は、幼い日に一度だけ話しかけた場所から、恐る恐る《影》を呼んだ。案の定、返事はない。


「共に東国に行ってほしいのです」

 暗闇に向けて目を見開いたまま、私は頼んだ。輿入れの際には乳母や乳母子の千草も同行してくれるだろう。だが、《影》であるそなたがいないと心細いのだとも打ち明けた。


 その夜は、私が一方的に自分の要望を伝えるだけで、《影》が私の声に応えることはなかったし、気配さえ感じとらせてはくれなかった。耳に返ってくるのは、虫の声だけ。もしかしたら、《影》は私の声の聞こえる場所にはおらず、私ひとりが、夜の闇に向かって話していただけだったのかもしれない。それでもよいと、私は開き直っていた。いいや。自分のしたことを早くも後悔していた私は、むしろ、弱音を吐くところを誰にも見られなかったのだからよかったのだと思い込もうとしていた。  


 だが、それから十日ほど後。


「弥一郎が、輿入れされる姫さまと共に東国に行きたいと、御所さんに直訴したそうですよ」と、乳母が苦笑混じりに私に教えてくれた。ちなみに、この家で働く者にとっての《御所さん》とは、私の父のことである。


「そうなの?」

 私に仕える《影》のことは、秘密であるはず。その《影》が、大っぴらに私の東国行きに同行したいと父に訴えたと聞いて、私は目を丸くした。


 だが、私が知らなかっただけで、この家に仕える者たちの間では『弥一郎の姫さま贔屓』は、有名なのだという。

「でも、婚礼の御一行の護衛ならともかく、男の身の上では、姫さまと共に東国に留まるのは許されないのでは?」

「それでも諦めきれなかったのでしょう。弥一郎は、姫さまを天上の花の如くに思っておりますから」

「姫さまを少しでも悪く言おうものなら、顔を真っ赤にして怒りますものね」

「姫さまのお姿が僅かでも垣間見えようものなら、その場で弥一郎の仕事の手が止まると、皆がこぼしておりまする」

 私が興味を示すと、女たちの口から思いがけない話が次から次へと飛び出してきた。女たちは、弥一郎のことを、私に懐く大きな犬かなにかのように思っているようだった。弥一郎が私に寄せる想いを『分不相応』といった言葉で非難する者もおらず、誰もが、ただただ彼の愚直さを面白がっている。


(ああ、そうか)

 私は、ようやく合点がいった。


 彼女たちは、弥一郎が《影》であることを知らない。

 夜の闇の中で結ばれた、私と弥一郎の絆を知らない。


 だからこそ、彼女たちは、弥一郎が決して叶わぬ思いを抱いている愚か者だとしか思えずに、単純に面白がっていられるのだろう。弥一郎は弥一郎で、《無様に姫を崇める男》を演じていたほうが、私を見守り易いとでも思っているに違いない。


 しかしながら、私は、彼女たちのように弥一郎を嗤うことはできなかった。彼女たちが弥一郎を侮辱する言葉が、我がことのように心に突き刺さった。

「姫さまが呼べば、あの者は尻尾を振って、どこまでもついてまいりましょう」

「いささか無愛想ではございますが、忠犬でございますわね」

「あの意気込みならば、女のナリをしてでも、姫さまのお傍に侍ろうとするかもしれません」

 女たちの笑いが癇に障る。


 弥一郎は、彼女たちが思っているような愚か者ではない。彼女たちが彼の真の姿を知らないだけ。そこまで彼女たちに弥一郎を……私の《影》を侮辱されるいわれはない。


 おかしなことに、私は、彼女たちの言葉に憤りながらも、自分の心が浮き立つのを感じていた。弥一郎が、私をとても大切に思ってくれている。ずっと仕えてくれるつもりでいてくれる。人づてとはいえ、それがわかったことが嬉しい。


 だが、新たな不安も出てきた。

 彼女たちの言うとおり、私の輿入れ後、彼は、どのようにして私の側にいるつもりなのだろうか。嫁入り後に、実家から連れてきた男を私の身近におく理由があるとも思えない。武家なのだから、うちから連れて行かなくても、あちらには武芸に秀でた護衛がいくらでもいるだろうし、小者にしても土地の者で足りていることだろう。でも、だからといって、《影》が常に屋根裏に潜んでいられるとも思えない。忍びとはいえ、男が常時屋根裏に潜んでいれば、いつか誰かに気付かれてしまう。


(もしかして、本当に女装して私に仕えてくれるつもりなのかしら?)


 いつまでも騒がしい女たちの噂話に適当に相槌をうちながら、私は、弥一郎の姿を思い浮かべた。ただし、思い浮かべるのは、体格の良い今の弥一郎ではなく、比較的華奢な体つきをしていた数年前の弥一郎である。


 その弥一郎から、まずは刀を取り上げて女物の装束を着せる。ついで、黒々とした眉を剃って髪を長く真っ直ぐにし、紅と眉を引く。すると、想像の中の弥一郎は、幼い頃に私が懐いていた女と瓜二つになった。 


(でも、さすがに、もう松風には化けられないわよねえ)

 扇で口元を隠しながらクスクスと笑う私を、周りの者が不思議そうに眺めていた。






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