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それから数年がたった。
始めの数日こそ興奮したものの、屋敷の外へ出かけることが少ない私が身の危険にさらされる機会などあるはずもなく、私は、影のことを思い出す必要もないほど平穏な日々を、呑気に笑って過ごしていた。
もっとも、呑気なのは、私のような子供だけ。屋敷の外の世の中は、嵐の最中の小船のように、今にもひっくり返ってしまわんばかりに大きく揺れ動いていた。
この国の支配層は、国の主たる帝と帝にお仕えしている貴族、そして、帝と貴族を武力で守る武家からなっている。だが、今から八十年ほど前から日の本の武家を統括する頭領の威勢が急速に衰え、武家階層の秩序が乱れ始めた。武士たちは、次の頭領の座を狙って互いの領地を奪い合うようになった。その過程で貴族が権利を有していた土地の多くも奪われた。
領地からの収入のほとんどを絶たれた貴族の内情は、どこも苦しい。おいたわしいことに、帝までもが切り詰めた生活を余儀なくされているという。
だからこそ、私たち貴族は、力のある武家に頼らなければならなかった。有力な武家と縁続きになることで、自分たちの安全と生活を保証してもらう。武家は武家で、貴族の血脈を取り入れることで、自分たちの地位を確かなものにする。定められた私の結婚は、いわば取引なのだ。
それでも、幼い日の私は、政治的な話とは無縁に生きており、かつての栄華には遠く及ばぬ暮らしにも不自由を感じていなかった。否、むしろ自由であった。
我が家の家格は、帝にお仕えする家の中でも特に尊い五つの家の次に高い。世で世であれば、私は、多くの召使いにかしずかれ、大層な衣装を身にまとい、御簾や几帳で幾重にも守られた場所から抜け出すことすら許されずに一生を過ごさなければならなかったという。だけど、私は、そんな窮屈な思いをするよりも、好きな時に庭を駆け回り、少ないながらも気心の知れた召使いたちと打ち解けて暮らすほうが、ずっと気楽で幸せだった。
もちろん、私とて、いつも笑って過ごしていたわけでもない。
例えば、姉のように慕っていた松風が、嫁ぐために我が家を辞した時は、寂しくて寂しくて数日ふさぎ込んでいた。
楽の上手で名高い家の娘であるにもかかわらず、自分の思うように上達できずに短気を起こしているところを父に見つかり、散々叱られた挙句に父を満足させる音が奏でられるまで練習をやめることを許されなかった時には、情けないやら悔しいやらで涙が止まらなかった。
番犬も兼ねて屋敷で飼われていた老犬が亡くなった時も、辛くて怖くて、どうしようもなかった。
だが、半べそをかきながら眠った翌日の私の枕元には、必ずといっていいほど、可愛らしい物が置かれていた。
季節の花。
色鮮やかな木の葉。
様々な形の木の実。
桜色の貝殻や、掌の中にコロリと収まる小さな巻貝。
珍しい色の鳥の尾羽。
縞模様が美しい小石や、顔が映りそうなほど黒く滑らかな石。
ささやかな贈り物は、いつでも私の心を和ませてくれた。送り主が名乗りをあげることはなかったが、私は、それらが《影》からの贈り物だと信じていた。
《影》から何かを貰うたびに、私はそれを手文庫の中に収めた。そして、手文庫の中身が増えるにつれ、私の《影》への好奇心も大きくなっていった。
過去に一度だけ目にした《影》は、細身の少年のようだった。
今の彼は、今は、ずっと大きくなっているはずだ。
どういう人なのだろう?
面差しは?
声は?
背の高さは?
私のことを、彼は、どう思っているのだろう?
守るに値する姫だと、思ってもらえているだろうか?
それとも、手の掛かる我がまま姫だと呆れているだろうか?
もっと他の姫がよかったと、思っていやしないだろうか。
それからの私は、この家の姫として恥ずかしくない者になろうと努めた。手習いも笛や箏の練習も、歌を詠むのも、利口でも器用でもない分だけ何度も時間をかけて習得していった。
そんな中、私は、ある青年の存在に気が付いた。