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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛の伏線

作者: 須賀




 これは私という一人称による物語なのだ。

 私の視点で、私が見たものが綴られていく。

 だから私は伏線を探している。

 三人称じゃないから、一人称だから、私が見つけなくてはならないのだ。







「新刊で犯人わかったんだけどさあ、前の巻読み返しても、一切伏線なかったんだよ。意外性狙ってるんだろうけど、いきなりポンッとこいつが犯人ですって言われても、納得いかなくない? 私は伏線はちゃんと必要だと思うんだよ。もう、本屋で同じ漫画買っていった知らんおっさんも絶対同じこと思ってるわ」


 ジャージのファスナーを落ちつきなく上下させ、友人は不満に口を尖らせていた。昨日の放課後、好きな漫画の発売日だ、と浮かれながら本屋に走っていった彼女は、その内容が気に入らなかったらしい。それはともかく知らないおっさんの心の内まで代弁してくれなくていいのだけれど。


 ジージーとやかましく響くファスナーの鳴き声に文句を言っていいものか悩みつつ、適当に頷いて、それからふと気がつく。体育館に向かっていた足が止まると、隣を歩いていた友人も合わせて立ち止まった。


「あ。体育館シューズ忘れた」


 友人の手にはきちんとあるシューズ入れが、私の右手にも左手にもなかった。


「ありゃ、教室?」

「うん……、取りに行ってくる……」

「あーい」

「一緒に来てくれたりは」

「しませんなあ。先行ってるから、体育館で僕と握手!」


 中学校まではそんな決まりなどなかったから入学当初は驚いたものだが、この学校では体育館での授業の際は普段履いている上履きから体育館用のシューズに履き替えなくてはならない。面倒だし上履きのままでいいじゃん、というのは誰もが一度は呟く文句である。


 ファスナーを弄くる手を止めない友人と別れ、今まで歩いてきた廊下を小走りで戻っていく。と、そこでチャイムが鳴り出してどきりとした。ここは一階。教室は四階。そして体育担当の教員はこの学校で誰より遅刻に厳しいのだ。







 伏線は必要、と友人は言っていた。確かに、物語において後の展開に繋がる伏線は重要ではある。


 死んだとされた人物の死体が見つからなければ、実は生きていて後から再登場したり。窮地で前向きな言葉を並べたら希望を打ち壊すように死を迎えたり。や、これはフラグ、ともいうか。

 しかし何気ない会話や日常シーンに紛れた何でもないような要素が結末に大きく影響したりすると、思わず感嘆の声を溢してしまうこともある。そういった感覚を思えば、確かに伏線に拘る友人の言葉も理解できるかもしれない。


 いや、今の私はファスナーの熱に取り憑かれた友人なんかよりも、伏線の必要性と重要性を説くことができるに違いない。


 四階まで階段を駆け上がり、荒い息で見知った教室に飛び込んだ瞬間、不可解な光景に思考力がすとんと落ちた。理解ができない、というか、どうしてこうなっているのか意味がわからない。作者、もとい神様がいるのなら、そんな伏線なかったじゃん、と文句を言いたくなるような状況。漫画の新刊に憤っていた友人はこんな気持ちだったのだろうか。


 は、は、と階段ごときに乱された自分の呼吸音が、やけに耳についた。他クラスでは授業をしているはずなのに、と一瞬考えたが、三クラス合同で行われる体育の授業は、この教室付近をここまで静寂に沈めているらしい。


 声を出そうとして、無理で。この場から逃げようとして、無理で。せめて呼吸を落ち着かせようとして、それも結局無理だった。目の前の光景を見つめ、私は間抜けなまでにただその場に立ち尽くしていた。


 皆が、クラスの女子の皆が、教室に置いていった制服を、知らない、人が。


「……ぁ、」


 遊園地のジェットコースター以外で出したことのない悲鳴は、出そうとして容易く出るものではなかったらしい。


 勝手に小さな言葉を漏らした私の口が何を言おうとしていたかは自分でもわからないけれど、怖い顔で近づいてきたその男性は大きな手で私の口を塞ぎ、もう片方の手で首を絞めた。


「っ、ぐ、ぅ、」

「なあ、黙れ。声出すなよ? 苦しいだろ? 騒いだら殺すからな。静かにしてろ。暴れたら殺す」


 恐ろしく低い声と、ギリギリと締めつけ苦痛を与える喉元の手が、私を追い詰める。矢継ぎ早にかけられる言葉は彼の焦燥を示していたが、人に首を絞められたことなどない私はこのままだと殺されると思ったし、直後に思い出したように彼がポケットから取り出した折り畳みのナイフを見て抵抗する気など直ぐに霧散した。


 泣きながらこくこくと必死に頷けば、首に掛けられた手をようやく解放されて、床に蹲って咳を繰り返していると「うるせえ」と脇腹を爪先で蹴られた。痛い、やだ、と思わず口に出すと無言で蹴りを繰り返されたので、自分の口を両手で塞いで悲鳴と嗚咽を堪える。


 なんで。どうして。痛い。嫌だ。怖い。痛い。


 ここはこんな危ない人などいる筈のない平和な高校で、先程までこの教室で数学の授業を受けていて、友人と駄弁りながら体育館でバドミントンをして、次の授業である現代文をうとうと微睡みながら受けるはずだったのに。

 いつもと何も変わらない日常のはずだったのに。


「くっそ、なんで生徒が教室に戻ってくるんだよふざけんな、うぜえ」


 身を守るように丸まる私から離れると、彼はぶつぶつと呟きながら再び制服を物色し始めた。スカートやワイシャツを片っ端から傍らのリュックサックに詰め、時折顔を押し付けるようにして匂いを嗅いでいる。

 こんなの、知らない。私は忘れ物を取りに来ただけだったのに。体育館シューズを持って、厳しい先生に平謝りしながら漫画の新刊に機嫌を損ねた友人と合流するはずだったのに。


 彼が制服に夢中になっている今なら、逃げられるだろうか。滲む視界を晴らすために目元をジャージの袖で拭って、体を起こそうとしてみてから、ごくりと唾を飲んだ。鋭い視線が私を射抜いていた。


「おいお前動くんじゃねえ。喋るな。逃げんな。殺すぞ」


 当然見つかりたくないらしい彼は大声など出さないが、低く押し殺した声はやけに私の恐怖心を膨らませた。あの声と一緒に首を絞められ、蹴られたことを体が覚えてしまったのだろう。


 ガチガチと歯は噛み合わず、階段を駆け上がったのとは別の理由で荒い息はおさまらない。できるだけ小さくなろうと体をひたすらに縮め存在感を薄くして、女子高生の制服を盗む変質者の行動を見守った。


 たとえば、ニュースや朝礼の教師の話の中で、変質者の話を事前に耳に入れていれば、あの友人も私も納得できる伏線が張られていたことになったのにな、と止まらない涙と鼻水を拭いなから考えた。身動ぎする度に蹴られた脇腹の痛みで息が止まって、変に息を吐いては鼻水が垂れた。


 ひょろりとした長身の彼はあまりいいとは言えない手際で制服を集めている。そもそも盗む段階で堪能しようとするから時間がかかるんだ、と無意味に分析してみる。


 初犯かなあ。どうやって校内に入ったんだろう。この高校、警備面、緩いのかなあ。

 ああ、惨めだ、私。







 彼の伸びた爪が首の皮膚に食い込んだ。

 はくはくと微かな呼吸を苦しげに繰り返す私を見下ろして、彼は口元を醜く歪ませる。神経質そうな細い目が機嫌よさそうに線になった。


 耳に届く音が遠くなり、ドクドクと大きく響いていた動悸がやけに緩やかになり、やがて視界の端からサーッと白が染まり出したあたりで、心得たように手を離された。


 一気に入り込んできた空気は待ち望んでいたはずなのに私を苦しめる。胸元を握り締めて大きく咳き込むと、溜まっていた涙がぼろぼろと床に零れた。口の端はみっともなく唾液で汚れていて、手の甲で拭いとる。


 彼は暴力に慣れてはおらず、最初は殴る蹴るをひとつ覚えのように繰り返していたが、早い段階で手や足を痛めたらしく首を絞めることが多くなった。何度も私の首に手を掛けるうちに気を失う一歩手前のタイミングを見極めたらしく、毎回意識を失くせず長く苦しい思いをする羽目になった。


 あの日から何日経っただろう。侵入してきたときと同様、私以外の誰かとは遭遇することなく高校を出た犯罪者の彼は、背中のリュックサックに好みの匂いがしたらしい制服を何着か詰め、ガクガクに震える私を引き摺るように家に連れ帰った。腹部にナイフを突き付けて私の抵抗を抑えていたらしいが、理不尽な暴力と恐怖に襲われ呆然としていた私は覚束ない足取り以外は素直について行ってしまったのだ。


 私より一回りは年上であろう彼の名前は未だに知らない。私は自分を浚った相手にお名前は何ですか、なんて馬鹿正直に交流を深めるように質問を繰り出せるほど心は強くないし、彼もまた自分が浚った女子高生に名前を訊くほど興味はないらしい。


 私は盗まれた制服と同じだ。彼が盗んだあれらを使う様子を何度か見たことがある。背中を丸めて息を荒げ、せっせと自身の快感を追う後ろ姿はぞわぞわとした不快感を私に与えた。


 これ以上ないと思ったその不快感は、固い床に押し倒され、無理矢理に足を開かされたときに最高記録を更新した。あくまでも私自身に興味はないとでもいうように顔に被せられた布に、涙も嗚咽も悲鳴も全て飲まれた。強引に誘拐されてきた私が、その加害者本人に存在を否定されている事実に、自尊心がズタズタにされる気がした。


 ミラちゃん、と呼ぶ声を何度か聞いた。ミラちゃん、ミラちゃん、喘ぐような、縋るような声。


 その名前を、私は知っている。私の学校の、私の学年の女子の中で四番目か五番目に異性から人気の女の子。彼が盗んだ制服の中にも彼女のものがあった気がする。


 そっか、彼はミラちゃんが好きで、ミラちゃんの制服がほしくて、ミラちゃんの学校まで忍び込んで、そのついでに目撃者を捕まえて、使ってる、のか。そっかあ。


 ミラちゃんの制服を着させられることもあったけど、もうすっかり彼の家の匂いに染まっていた。何が楽しいんだろう。


 一軒家に住む彼は、きっと引きこもりニートってやつだと思う。働いている気配がないので彼の親が一緒に住んでいるのではないかと思ったが、その姿を目にしたことは一度もない。事故か何かで亡くなって、残された家と遺産で彼はこうも優雅にニートしているのではないだろうかと床の冷たさを頬に感じながら予想した。否、彼からもこの家からも情報は得られなかったので、これは予想ではなく私の妄想でしかないのかもしれない。


 私に許された行動範囲は二階にある壁の厚い小さな部屋の中と、その部屋の真横にあるトイレのみだ。身動ぎすると右手と右足に繋がれた枷が不愉快な音を立て、初日に暴れた成果である手首と足首の傷跡を抉るので、最近は専ら最低限の動きしかとらないようになった。一階で生活しているらしい彼が欲を解消しに来ない限り、私はここに一人でいるだけだ。


 ここには何もない。何も、何もない。


 昨夜殴られた頬が熱を持っていて、頭がぼんやりした。


 インターホンが鳴る音がした。一階の彼が玄関に足を忍ばせて近づく足音も。この家はインターホンにカメラが付いていないから、今頃は覗き穴に目を当てていることだろう。また通販だろうか。

 彼がドアを開ける音は聞こえず、代わりに催促するような呼び出し音だけがもう数回鳴っていた。幾度となく鳴らされる音は、私の飛びそうになる意識を何度か引っ張り上げたが、やがて静かになった。

 今度こそ、熱に浮かされたまま、抗うことなく意識を飛ばした。







 三週間ぶりに顔を見た友人に、堪えようとしていた涙が滝のように流れた。滝のような、なんて表現を見聞きする度にそんなあほな、と思っていたものだが、まさに滝のようにどばどばと止めどなく流れ続ける私の水分を見て、友人は驚いたように目を瞬かせていた。


 私達の高校に不法侵入し、女生徒の制服を持ち出した犯罪者は、居合わせた生徒を連れ去り暴行・監禁し、家を訪れた警察を恐れ、リビングのドアに掛けた紐で首を吊り自害した。遺書はなかったがPCのデータは全て消されていたらしい。同じ高校の人なら誰もが知っている事実だ。


「伏線を探したい」


 友人が呟いた。伏線? 何の話だろうか。


 その場では問いただすことはなかったが、思わぬ行動力で深夜にあの彼の家に入り込んだ彼女は、部屋中を漁り出した。つい心配になってついてきてしまったが、彼女は何を探しているのだろう。無人のはずの家の電気を遠慮なくつけてしまった大胆さに、警察から怒られないだろうかと不安を覚えた。


 二階に上がった彼女を追って階段に足をかける。ギッ、ギッ、と一段上がるごとに鳴る軋んだ音に、僅かに恐怖心を煽られた。


 階段を上がって右側にある部屋を、彼女は調べているようだった。何気なく左側に視線を向けて、物置のような小さな部屋のドアが開いているのに気が付いてどきりと心臓が嫌な音を立てた。握り込んだ手に汗が滲んでいて、思わずその部屋から逃げるように背を向け、異様な様子で何かを探し続ける友人のいる部屋に向かった。


「……ねえ、ほんと何探してるの? よくわからないけど私も手伝うよ」


 声をかけながらその部屋に入ると、彼女が部屋の真ん中で立ち尽くしていた。大きな本棚とタンス、勉強机、ベッドの置かれた至って普通の部屋だったが、彼女は見ていて可哀想なほどに青褪めていた。


「……どうしたの? えっと、伏線、だっけ? 見つかったの?」

「見落としているだけだと思ってたの」

「え?」


 平坦な声で、何かが抜け落ちてしまったような表情で、彼女は小さく呟いた。泣いているか、もしくは泣くんじゃないかとその瞳を見つめるも、パチ、パチ、と規則的に瞬く瞼の下は涙など浮かべてはいなかった。


「私の目に映ってなかっただけで、どこかにあるんじゃないかと思ったの」

「何、が……?」

「あるんだって信じなきゃ、ただの道具だと思ったの。本当はあるんだって思っていたから、あの小さな世界だけでよかったの。何もないのはこの部屋だけだって、そう思って、」


 肩が大きく震えていて、ああ、とうとう泣くか、なんて呑気に構えるも、やはり彼女は泣かない。涙脆いはずの彼女の涙は、どこにいってしまったのだろう。


「でも、あの人は、一人であっさり、死んじゃった。唯一気に掛けたのはパソコンのデータだけ、で。私のことなんて、きっと、思い出しもしなかったんだ。私は、私には、最期に謝ろうとするほど罪悪感も持てなくて、最期に道連れにしようとするほど執着も持てなくて。……なんで、どうして、ないの」


 ぽろ、ぽろ、と吐き出すように言葉を並べる彼女が何を探していたのか、ようやく理解した。性的暴力の被害者の彼女は、しかし加害者の彼に情を求めていたのだ。伏線を探すと言っていた。愛情の、伏線。伏線か。嫌でも、彼女がいなくなる直前の会話を思い出して胸が痛くなる。忘れ物をした彼女について行かなかったことを何度も何度も悔やんだ。


「だって、私がただの道具で、そこに何もなかったなら、そしたら、あまりに私達が報われない」


 言葉の終わりに、未だ包帯の巻かれた手でそっと腹部に触れたのを見て、息を呑む。


「そんな、まさか、」


 ふらりと足を進め部屋を出ていく後ろ姿を引き留めようとするも、彼女の手からするりと抜け落ちた一枚の写真を思わず咄嗟に拾いあげた。


 私の写真だった。制服姿の、横顔。覚えはない。隠し撮られたものなのかもしれない。呆然とする私に、彼女は足を止めてゆっくりとした動作で振り返った。


「あの人が誰を見ているか、わかってたけど、私にも、ほしかったの。私も見てほしかった」


 彼女の涙はこの家で全て流れて尽き、そして彼女はすっかり歪んでしまった。


「全部、」


 彼女がこうなったのは、


()()ちゃんのせいだね」


 私のせいだ。


 静かに微笑む彼女からつい目を逸らした。


 三週間前に私が買ったのと同じ本を、本棚の中に見つけた。






 いや、ちょっと疲れているのかもしれない……。ひたすらに可哀想な女の子を、書こうとしたら、可哀想……。

 主人公は愛の伏線見つからなかったのでこの後自殺しそう。ストーカーは割と本気で主人公どうでもよかった、ミラちゃんはすはす。ミラちゃんは人からの好意に怯えるようになった。

 変態ストーカー不法侵入制服フェチ誘拐監禁下種野郎だけ幸せでごめん。と思ったけどしんだわあいつ。

 お読みいただきありがとうございました。


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