第5話:導く蛍
雨が止み、再び歩き出してから2時間経つだろうか。
今までどれほどの距離を歩いたのだろうか。
日は落ちていき空の色がオレンジ色へと変わった。
もう間もなく日が沈み、森の中は真っ暗になるだろう。
暗闇の中を進むのは危険だと思った。
夜の知らない場所のさらに森の中は恐怖でしかない。
どこかに休める場所があるといいのだか世の中そんな都合よく事は進まない。
歩いても歩いてもそんな場所は存在しなかった。
やがて日が沈み、オレンジ色の空が徐々に黒色へと変わりつつあった。
「きゃ!」
お姫様が足を滑らせ俺の背中に抱きつく形となった。
沈黙
「す、すみません!」
お姫様は慌てて離れた。
「い、いえ!大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
何が起こったのか分からず、一瞬思考停止してしまった。
「はい。大丈夫です」
お姫様と目を合わすことなく、関係のない方向を向いてしまった。
先ほどまで降り続いていた雨のせいで地面はドロドロで歩きにくくて仕方がない。
それに加え暗くなってきているせいで足元もよく見えなくなっている。
一刻も早く休息場所を見つけ、決めなければと気が焦りだした。
それにしても約6時間以上、人とも獣とも遭遇していない。
運がいいのか、それとも・・・
それから適した場所を見つけることができず、完全に日が落ちてしまった。
森の中は考えられないほど暗かった。
こんな体験はしたことがないので、もうどうすればいいのか分からなかった。
仕方がないのでそこら辺の木の下で休もうと考え、お姫様に声をかけた。
「本当はもっといい場所を見つけたかったんですが、見つからないのでそこら辺の木の下で休みましょう」
「はい」
お姫様は嫌な顔することなく素直に聞き入れてくれた。
心が痛い。
そこら辺の大きな木まで移動し、俺たちは座り込んだ。
とてつもない疲れが襲いかかってくる。
地面は石だらけでとてもじゃないが横になって眠れるような場所ではなかった。
お姫様はきっとこんな生活したことないんのだろうなと思った。
もちろん俺もない。
何も食べていないのでお腹は空いているし、何も飲んでいないので喉はカラッカラだ。
最後に食べたのといえば、醤油味のカップラーメンだ。
最後に飲んだものはコーラだった。
今思うとすごく不健康だったと思う。
ああ、なんで俺はこんなところにいるんだろうな。
いつまでたっても理解できない。
せめてお姫様の座っている場所くらいは石を取り除きたいと思ったので、何個も石を放り投げた。
「ありがとうございます」
お姫様がお礼を言った。それに対して俺は「いえ」とだけ返した。
「寝られるか分からないんですが、今日はここで寝ましょう。寝れなかった目を閉じているだけでいいので」
「わかりました」
寝ようと言ったものの俺に寝る気は全くない。
なぜなら、ここがどんな場所でどんな生き物がいるか分からないからだ。
せめてお姫様だけでも寝てほしかった。
少しでも疲れを取ってほしいのだ。
しかしながら、今日会ったばかりの知らない男と一緒に寝るなんてそうそうできることではないと思った。
お姫様を見るとしっかり目を開けていた。
俺は心配して声をかける。
「寝れませんよね?目を閉じてるだけでも多少疲れはとれるので、目を閉じてるだけでもいいですよ」
するとお姫様は困った顔で答えた。
「いえ、でも、目を閉じると嫌な記憶が甦ってきてしまって・・・」
俺は自分の言ったことを後悔した。
それは自分もよく分かっているのに、なぜそんなことを言ってしまったのだろうか。
目を閉じると永遠と死の恐怖が襲いかかってくる。
それに似た苦しみを俺は知っている。
今まで考えていなかったが死への恐怖がまた襲いかかってきそうだ。
今日はそれを考えるどころではなかった為、苦しまずに済んでいたのだ。
気を緩めると今にも心の中に住み着いている死神〈タナトス〉が現れそうだ。
そんな重たい空気の中、小さな光が一つ見えた。
その小さな光は空中にふらふらと浮いている。
「蛍」
俺は思わず呟いていた。
「蛍?あ、本当!綺麗ですね」
お姫様も蛍を見つけたようだ。
初めてお姫様の笑顔を見た。
俺はふと思った。蛍は水辺に生息しているということを、あの蛍の後を追ったら川のある場所にたどり着くかもしれないとそう思った。
「お姫様!あの蛍を追いましょう!」
急に大きな声を出したのでお姫様は驚いていた。
「は、はい!でも、なぜですか?」
「蛍は水辺に生息しているからです。蛍の後を追えば、川が見つかるかもしれません!」
俺は嬉しさのあまり興奮気味に答えた。やっと水が飲めるかもしれないからだ。
「そうなんですか?わかりました!」
お姫様がそういうと俺たちは立ち上がり、見失わないように蛍を追った。
蛍を追ってから数分が経過した。
懸命に蛍を追っているとついに水の音が聞こえた。
川が流れている音だった。
やっと見つけたと安堵した。
水の音が聞こえる方向へ進むと木々の隙間からあちこちに蛍が飛んでいるのが見えた。
「わあ!綺麗!」
お姫様も嬉しそうだった。
これほどの蛍を見るのは初めてだった。
その光り輝く光景に目を奪われてしまった。
この光景だけで今日の疲れが吹き飛びそうだ。
俺とお姫様は川辺まで行き、たくさんの蛍の光に照らされた川の水を見ると川は透き通っていてとてつもなく綺麗だった。
先程まで雨が降っていたとは思えないほどに美しい。
俺は両手で川の水をすくうとその水を一気に飲んだ。
「おいしい!」
今日一番の笑顔でそう言った。
隣で聞いたお姫様も同じように両手で水をすくい、水をゴクリと飲んだ。
「おいしい!」
お姫様はとびっきりの笑顔で驚いたように言った。
陣はこの時、ドキッとした。
お互い向かい合っている状態でお姫様の顔が思ったより近かったからだ。
「ーッ!?」
言葉にならない声が漏れ出てしまった。
それに気が付いたお姫様はすぐに顔を川へ向け、謝罪の言葉を口にした。
「すみません!」
俺も川を見ながら言った。
「いえ、こちらこそ」
変な空気になってしまった為、俺は勢いよく立ち上がった。
「今日はこの近くで寝ましょう」
「はい」
そうして俺たちは先ほどとは違う場所の木の下で休むことになった。
もう一度たくさんの石を放り投げ、お姫様が横になれるような状態にした。
お姫様が着ている軍服を地面に敷いて、その上で寝るように促した。
「ここで寝るといいですよ。でも、無理はしなくていいので」
「はい」
そう言ってお姫様は横になった。
それから30分程経過したが、どうやらお姫様はまだ起きているようだ。
やはりこんなところでは眠れないのだろう。
「眠れないようですね」
「・・・はい」
そんなお姫様を心配して声をかけた。
「眠れないのでしたら、お互い自己紹介しませんか?無理に寝ようと思っても良い睡眠はできませんから」
「そうですね」
今後の為にお互いのことをよく知っておくべきだと思いそう提案した。
お姫様も素直に聞き入れてくれた。
それからお姫様は起き上がり俺と同じように体育座りになった。
「じゃあまず俺から・・・俺の名前は内藤陣。お姫様のお名前は?」
「私はエマ・二スニラ・ノヴ・イラキと申します」
「へぇ、すごい名前ですね。かっこいいです」
俺はお姫様の名前を聞いて感動していた。日本にはない名前だからだ。
「そうですか?」
「うん。えっと、エマっていうのが名前・・・であっていますか?」
「はい。その通りです」
名前も日本とは違って前が親からつけてもらったもののようだ。
「俺は陣ってのが名前なんです。つまり親からつけてもらったものですね」
「ジン・・・様」
様付で初めて呼ばれたため、なんだか照れてしまう。
「様なんかつけなくていいですよ。陣でいいです」
「でも・・・命の恩人に対して・・・」
「ううん、俺はほんと何もしてませんから」
「そんなことありません!ジン様がいなければ私は今頃・・・」
「・・・」
重い空気が流れる。
「あの・・・救っていただきありがとうございました!」
「いや、俺は・・・」
改めてお礼を言われても“どういたしまして”とはどうしても言うことができなかった。
ただ剣に触っただけの事、お礼を言われることなのだろうか。
「あなたが助けてくださったので今ここに私がいます!私には返しきれないほどの恩があります」
「そんな・・・」
「あなたの言うことならば何でも聞きます!何処へだって行きます!」
「そんな深く考えなくていいですよ」
「いえ、私は本気です!」
沈黙
この後なんて言えばいいのか分からなかった。
数分の時が流れ、俺はこれまでの経緯を説明することに決めた。
「俺はこの世界の人間ではありません」
いきなりそんなことを言われれば誰しも困惑してしまうだろう。
この世界でこんなことを言っても誰も信じてはくれないだろう。
そう思った。
しかし、お姫様は違った。
「そうなんですか」
「え?」
驚くことも疑うこともしないお姫様に驚き、俺は目を見開いてお姫様の顔を見た。お姫様は陣の顔を真剣に見ていた。
「信じて・・・くれるんですか?」
真剣にお姫様の目を見て言った。
「はい。信じます」
お姫様は目をそらさず答えた。
「あなたの言ったこと、すべて信じます」
そう言われた瞬間、陣の目から涙が出てきた。
何故だろう。
自分でも分からない。
なぜだか、救われたように感じた。
何時間か前まで自宅にいて、訳も分からない場所でずっと歩き続けてきた。
強がってきたものが今になって崩れ、涙が溢れ出た。
声を出さず、涙だけ大量に流れていく。
ダムが崩れるように。
なぜ、そこまでしてくれるのだろう。
なぜ、そんな優しい言葉をかけてくれるのだろう。
俺は今一度、そんな彼女を守りたいと強く思った。
「俺、お姫様のこと、命を懸けて守ります」
泣きながら言っても格好悪いし、説得力はない。
しかし、それを聞いたお姫様も泣いていた。
「ありがとうございます。そんなこと言っていただけるなんて・・・私、とても嬉しいです」
何だろうこの状況は、よく分からない。
何がこのような状況を生み出したのか。
本当に現実なのか、いや、現実ではありえないことだろう。ただきもいだけだ。
しかし、今起きていることは現実だった。
俺は彼女に死恐怖症のことを話した。
「実は俺、死恐怖症なんです」
「そうなんですか」
「死について考えるととてつもない恐怖感が襲ってくるんです」
「私も先ほど殺されそうになった時、とても怖かったんです。死んだらどうなっちゃうのだろうと」
同じようなことを考えている人がいるのだと思うとなぜか安心する。
少しだけ心が楽になった気がした。
「怖いですよね。去年、僕の大切な人が5人死んだんです。大切な人が亡くなるにつれ、死について考えるようになったんです」
「大変だったのですね」
「死んだらどうなるのか。はたして天国はあるのだろうか。すべて無になるのではないかと考えると、今自分がやっていることに意味はあるのかって考えてしまうんです」
「・・・意味は・・・あると思います」
「なぜですか」
「意味がないことなんてこの世にないと私は考えています。何かしらの経験を積んで、人は成長します」
「・・・」
経験を積んでも死んだら無意味だと俺は思った。
しかし、お姫様は続けて自分の考えを口にした。
「私も死ぬのが怖いです。でも、死が怖いという気持ちを乗り越えれば、今よりずっといい生活ができると思いませんか?」
「思いますけど・・・死んだら何もかも―」
「無駄にはなりません!」
「え?」
言いかけたことに対してすぐにお姫様は答えた。
「無駄にはなりません。天界があります」
「そんなことわから―」
「あります。私はそう信じています。信じていればきっと叶います」
お姫様は父である国王と同じことを言った。
そこまで言うのなら、俺も彼女を信じてみようかなと思った。
「そこまで言うなら・・・俺も信じてみようかな、天界」
「私が先に死んだらあなたの事、天界でずっと待ってます!だから、安心してください!」
「俺より先に死なないでくださいよ。俺の方こそ先に死んだらお姫様の事、ずっと待ってますから」
「そう言っていただけるなんて嬉しいです。約束ですよ?」
「約束しましょう」
「私も待ってますから、あなたのこと、待ってますからね」
「その気持ちだけで十分です」
俺たちはそんな約束を交わした。
死への恐怖が半減したような感じがした。
今まで1人で苦しんできた。
けれど今は違う。
黒色に染まりつつあった俺の心に小さな白い光が差し込んできたように思える。
そんな小さな白い光だが俺にとってすごく明るく、綺麗で、安心するものだった。