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第1話:死恐怖症

初めての投稿です。

温かい目でお読みください。

俺はタナトフォビアだ。


タナトフォビアというのは死そのものや死に関連するものに対する恐怖症のことで、これらを考え出すと思考が止まらなくなり、恐怖・発狂恐怖に陥る人のことだ。

簡単に言うと死恐怖症ということだ。


俺は幼い頃からこの恐怖症を持っていた訳でない。

タナトフォビアになったのはむしろ最近の話なのだ。


それは一年前にさかのぼる。

高校に入学して間もなく、母方の祖父が癌で亡くなった。

母方の祖父は癌を患っていたので亡くなる前に心の準備はしてはいたが、実際に亡くなるととても悲しかった。

身近な人が亡くなったのは母方の祖父が初めての経験だった。


母方の祖父の四十九日を終えた数日後の毎日のように雨が降る梅雨の季節のことだった。

父方の祖父が亡くなった。

父方の祖父は風呂に入っていた時に脳梗塞で倒れてしまい、家族が気付いた時にはもう手遅れだった。あまりの衝撃に驚いた。時間が経つにつれ本当に亡くなってしまったのだと実感した。

もう大切な人が亡くなるのは見たくなかった。

しかし、その願いは叶わなかった。


夏の暑さも和らぎ、過ごしやすい日が増えた9月のことだった。

父が亡くなった。

原因不明の急死だった。

父と俺は家で2人、普通に話をしていたのだが、父が急に苦しみ始め、胸を押さえて倒れた。

意識がなかったため、すぐに救急車を呼んで心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し救急車が到着するまで何度も何度も行った。

意識が戻らない父と共に救急車で病院まで向かった。永遠と続く救急車のサイレンは病院に到着した後もずっと頭の中で鳴り響いていた。もう二度と聞きたくないと強く思った。

父は病院に到着してからも1時間ほど心臓マッサージや治療を受けていたが意識が戻ることはなかった。

医師がこれ以上続けても意識が戻る見込みはないということを母と話をしているのを聞いた瞬間、涙が溢れ出て止まらなかった。

ついさっきまで話していた父が亡くなるなんて思ってもいなかった。

亡くなって1カ月経っても信じられなかった。

それから俺の性格は暗くなっていった。


秋が終わり、雪がちらつく12月。クリスマスを終え、新年を迎えようとしていた頃だった。父方の祖母が肺炎で亡くなった。

父方の祖母は夫である祖父が亡くなった後、すぐに認知症を患った。それに加えて息子である父が亡くなり、認知症は物凄い勢いで進んでしまった。祖母はみるみる痩せていき、何も食べようとはしなかった。祖父、父の後を追うかのように亡くなった。

俺の心は徐々に壊れていった。


冬が終わり、高校一年生の生活も終わりを迎え、進学の準備をしていた春休みのことだった。

親友が自殺した。

前々から親友は生きることが辛いとよく呟いていたが、俺はそんなことはないと言い続けてきた。しかし、彼は死の恐怖よりも生きる恐怖の方が強かったのだと思う。

彼は自宅の自室で首を吊って亡くなっていたのだという。


俺は人の死は何度経験しても慣れることは決してないと知った。




それから俺は高校二年へ進学したが、4月から一度も学校へ登校していない。

今日は6月の第一土曜日。昨年の負の連鎖が始まった忌々しい梅雨の季節だ。

平日も休日も祝日も関係なく、俺は部屋に引きこもっている。

毎日パソコンやスマホをいじってあっという間に一日が終わる。


そんな毎日を送っているとやることがなくなり、ついには考え事もなくなった。

そしてなんとなく辿り着いた問題。それは“人は死んだあとどうなるのか”ということ。

この問題を軽い気持ちで考え出してしまったのが失敗だった。


死んだらその先は一体どうなってしまうのかという問題。

俺は気が付くとそればかり考えてしまうようになっていた。


そしてそれは徐々に悪化していった。

夜、寝る時はもちろんのこと昼間も頭から離れなくなっていた。

酷い時は発作が起こり、病院へ搬送されたこともあった。


人は死んだらどうなるのか。答えのない問いを永遠に考えてしまう。

考えなければいい。そんなことは分かっているのに無意識に考えてまた苦しむ。

この苦しみを分かってくれる人はいるのだろうかと母に相談した時は、そんなこと考えるだけ時間の無駄だと言われた。


次に死ぬのは俺かもしれないと怯える日々。

今の日本の平均寿命は約80歳だ。

しかし、必ずしも80歳まで生きていられる保証はどこにもない。

可能性は低いが今から100年生きられるかもしれない。

平均寿命通り80歳で死ぬかもしれない。

病気や事故で60歳、40歳、20歳にだって死ぬ可能性は十分有り得る。

最悪今年かもしれない。明日かもしれないし、今日かもしれない。

自分がいつ死ぬかなんて分からない。

自分よりも若い少年少女の訃報のニュースを見ると心が張り裂ける。

いつ死ぬかなんて本当に分からないのだと強制的に考えさせられる。

ただ、確実に言えることは“死”はいずれやって来るということだ。


人はいつか必ず死ぬ。

そんなこと分かっている。

怖いのは自分がいつどんな時に死ぬのか、死んだ先に何があるのか。何が待っているのか。その答えを知っている者はこの世に存在しない。


わからない。わからない。わからない。


俺は天国や地獄は存在しないと思っている。

死んだら最後『無』だと思う。

何も残らない。自分が死んだらすべて終わり。

だから今、生きている意味が分からない。

すべて消えてしまうのになぜ一生懸命生きなくてはならないのか。


わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。


上を見ると宇宙もいつか消えるのかと考えてしまう。

下を見ると地球もいつか消えるのかと考えてしまう。

目を閉じると自分が死んだ後の世界で楽しそうに笑っている人々の姿が映る。

自分が死んで、地球が滅んで、宇宙が消滅する。

こんな小さな命一つあってもなくても変わらないではないか。

そもそも宇宙はどうやって創られたのか。

無からは何も生まれない。それなのに宇宙があるということは最初から何かしらの物質が存在していたことになる。では、その物質は何処から生まれたのか。

そもそも時間という概念が考えを邪魔しているのか。

この世に【時】は存在しないのかもしれない。

人間が勝手に時が流れているように錯覚しているだけかもしれない。

なぜ宇宙が存在するのか、地球が生まれたのか、生命が誕生できたのか。


わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。


人の生と死を考え出すときりがない。

問題を解けば解くほど新たな問題が増えていく。


こんな死恐怖症〈タナトフォビア〉である俺が明日の朝にはこの世界に存在していないなんて思いもしていなかった。


お読みいただきありがとうございます。


2017年12月3日は天赦日といって、とても縁起のいい日だそうですよ。


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