第六十話 親知らず子知らず④
『小原さんの、お母さん?』
「ああ。途中から三人で外で聞いていた。」
そっか。ドア開けっぱなしだったものね。
「お母さん、小原が自殺するんじゃないかと心配で学校の近くにいたらしい。」
学校のトイレから出た時、私の声で雨守先生は即座に授業を自習にして教室から直接飛び出したんだって。
ちょうど午後の授業がなくてプールのポンプ室の掃除をしていたチャラ松さんに声をかけて。
私の声のする方角を目指して駆けてくる途中、やはり小原さんを追うお母さんに会ったそうだ。
まだチャラ松さんの腕の中で震える小原さんに、お母さんが泣いて叫びだした。
「さっきのは一体なんなのよ? 心配させてなんなのよ?!」
「お母さんっ!
あんたが泣きゃあいいってもんじゃないでしょうがッ?!」
厳しい声を投げつけるチャラ松さんにびっくりしちゃった。それはお母さんも同じだったらしい。びくっと体をこわばらせたまま、固まってしまった。
「わ、若松先生、ゆ、幽霊がっ。」
「心配ないよ。もういないってさ。
ほら、雨守先生、そういうののエキスパートなんだって。
でもそれナイショな?」
なんだか十把一からげに丸め込まれた感があるけど、まだチャラ松さんの腕をつかんだまま、小原さんはゆっくりと室内に目を向ける。
正面に立つ私はもう見えていないみたい。
雨守先生は振り向いて部屋の隅を指さしながら、小原さんに告げた。
「そこに数人、行き場がない幽霊がいたが今祓っておいたよ。
ほら、もういないだろ?」
小原さんは雨守先生の言葉を信じたように、ぎこちなくも頷いて見せた。
「それに君を恐ろしい目に遭わせた女の子の幽霊もな。
もう君の前には現れない。」
そしてチャラ松さんの後ろに立つお母さんにも先生は目を向けた。
「お母さんとお互いの気持ちをきちんと話してみたら?
わだかまりがあるのもわかるが、
悪く悪く考えてしまいすぎると、また彼らを呼ぶことになるよ。」
そう言って雨守先生は三人の脇をすり抜け、外に出た。
「若松先生、一緒にいて二人の話を聞いてあげてください。
体育科には伝えておきますから。」
そしてアパートに三人を残しての道すがら、雨守先生は私を見る。
「すまんな。縁だけ悪者みたいにしてしまって。」
『いいんです。誰かを悪者にしたい時って、きっとあるでしょうし。
「人間そんなに強くない」、ですよね? 先生。』
先生の顔を覗き込んだら、なんだか苦々しい顔してた。
「ん。そうだけど……そうだな。」
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夕方というか放課後もだいぶ過ぎて。
生徒はもちろん、先生達もだいぶ帰った頃にチャラ松さんは戻ってきた。まだ明かりが点いていた美術準備室に直接。
事情を話しておいた高野先生、立花先生も一緒にチャラ松さんを待っていた。
「若松先生、ありがとうございました。すみません、担任なのに私……。」
「いいっていいって。高野先生、授業中だったし。
むしろ、担任でも教科担当でもなかった俺だから良かったみたいだよ?」
チャラ松さんの話によると、あの二人がお互いにじっくり素直に話せるのは、まだ時間がかかるかも知れないってことだけど。
小原さんの言葉を聞いていたお母さんは、いくらか胸の内をチャラ松さんに話したそうだ。
離婚してしまったことについて、きちんと娘に話していなかったこと……話せなかったことを、ずっと悩んでいたらしい。
夫婦のどちらが悪い、というのではなく、お互いの忙しさにかまけてすれ違いが多くなり、勝気だったお母さんが一方的にお父さんを責め立ててしまった、というのは本当のようだった。
『お互い、省みるところはあったはずでしょうに。
あの母親、
それを認めたくない一心から、その後も強気で振舞っていたのかしらね。』
立花先生は首を左右に振りながら、やりきれないように呟いた。
『強がっていた、ということですか?
それが学校に対してのモンスター化?』
「そうじゃないかなぁ~。」
チャラ松さんは椅子に腰かけながら体を反らせ、天井を見つめながら答えた。
『じゃあ、お母さん昨日学校に来た時、
小原さんのリストカットのことを相談しなかったのも意地を張って?
それか普段の態度から言いにくかったんですかね?』
「そうだな。
不安や動揺から、かえって普段の自分を維持しようとしたのかもな。
素直になればいいだけなのに、親は早々変わりはしないよ。」
私の問いに答えてくれた雨守先生に、チャラ松さんは目を丸くして迫った。
「でも雨守先生。
俺、二度もあのお母さんに強く言っちゃったじゃないっすか?
そしたらなんか、えっらい変わりようでしたよ?
妙に神妙になっちゃって。驚いちゃった。」
「それはきっと、
若松先生が自分より強い人だと認識して対応が変わったんだろうね。
権威を傘にするような人だったなら猶更ね。」
『その分、素直になったとは言えないかもだけど、
自分の弱みも話しやすくなったんじゃないんですかね?』
「まあそうだったのかもねぇ。自分から離婚の原因話しだしたりしてたもんな。
あ、そう言えば。」
チャラ松さんは思い出したように続ける。
元旦那さんが偶然近くに越してきたことも、お母さんはブティックに通う親しい常連客から聞いていたらしい。
「それも面白くなかったんだろうな。」
雨守先生の呟きに今度は高野先生が疑問の声を上げた。
「まさかそれで久坂先生や私も目の敵に?」
と、同時に他の三人の先生は頷いて応える。
ああ~、なんかわかる気がするな~。目の前で別の人と幸せ見せつけられてるって感じちゃえば。
でもでも。
『小原さん自身は、どうでしたか?』
「うん。
最初、なんでもっと早く助けてくれなかったんだって、すげえ怒ってさ。」
『やっぱり素直にはなってくれないですよね、私のあんなやり方じゃ。』
「いや、縁ちゃんと雨守先生には悪いけど、
あの時は雨守先生が大丈夫だって止めたからって言ったら
妙に納得してくれたよ。」
「実際その通りだったんだから、別に若松先生は悪くないよ。」
『そうですよ。何を気にしてるんですか?』
すると申し訳なさそうにチャラ松さんは上目遣いで私達を見て。
「だって縁ちゃんを悪役にしちゃったんだよ~?
でも、そう言ってもらえるとありがたいけどね。
それで小原、久坂先生に反発してたことを謝りたいって言ってたな。」
『もう産休に入られてるのに?』
「全然関係ないのに、産休に入る久坂先生と被っちゃったんだって、その……。」
チャラ松さんはお腹をさする真似をして見せた。
『うん……それもわかる気がします。』
お父さんを獲られてしまったって、思ったのよね。
きっと小原さんのお母さんが久坂先生や高野先生に酷いことを言ったのも、それと同じだったんじゃないのかな。
すると、長い溜息をついた後、チャラ松さんが私の顔を覗きこんだ。
「それにしても縁ちゃん、
よくこんな大人のドロドロした話に入ってこれるね~?」
『なんでだろ? 雨守先生といて、慣れましたw』
私は笑って答えたのに、隣の雨守先生は申し訳なさそう頭を下げた。
別にいいのに~。
だって何度も二人で死線超えてきてるじゃないですか!
私はもう死んでますけど。
と、チャラ松さんはポンと手を叩いてまた思い出したように言った。
「そうそう、小原、言ってたよ。
縁ちゃんのこと怖かったけど、ずっと怒られてる気がして頭に来てたって。」
『逆ギレですよね。』
「うん。でも言い合いして、なんだか楽になった気がするって。」
『そっか。なら良かったです。』
「だからもう自殺は考えないってさ。」
『そう。うん、良かった!』
それが一番、ほっとしたな。
「実際、まだこれから大変だろうけど。まあ、俺から小原に声かけてくよ。」
「そこは私もしっかり向き合いますから。」
『私わたくしも協力するわ。
でも、昔とは随分生徒もその親の意識も変わっているから、
私のほうが学ぶことが多いかも知れないわね。』
チャラ松さん、高野先生、立花先生はお互い顔を見て頷きあう。
すると雨守先生がうなだれたまま、右手を挙げた。
「とくになんの働きもない俺は……せめて二人に夕飯おごらせてくれ。
みんなで行こうか。」
『あの食堂ですね?』
「やりい! ちょうどはらぺこだったんすよ~。」
『まあ、ずうずうしい。』
チャラ松さんを横目でたしなめる立花先生。でも、立花先生、あのかつての教え子さんの霊と話ができるようにしてもらえてるからかな。チャラ松先生を睨む顔も、すぐにほころんだ。
すると高野先生が私の顔を覗き込んだ。
「後代さん、こんな時、退屈じゃない?」
ああ、食べられないですもんね。私。
『いいえ。にぎやかなほうがいいじゃないですか♪』
それに、だんだん先生の役に立ててるなって実感がはっきり湧いてきて、それが嬉しいんだもの。