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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
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5-2 血路

 四人が姿を現したのは、庭園の一隅、無節操に茂った月桂樹の木陰だった。

 空はのっぺりと灰色の雲に覆われ、太陽は見えず影の長さも判然としない。しかし今が何時だろうと、鐘を鳴らし礼拝を執り行う状況でないのは、すぐにわかった。辺りに人影はないが、ひどい喧騒がすぐ近くから聞こえてくる。


「荷物はここに置いて行こう。身軽にならないとね。後で回収できるかどうかは、主の御心次第ということで諦めておくれよ」


 エトラムの指示でエリアスとカスヴァはそれぞれ鞄を下ろし、枝の間に押し込んで隠した。剣を抜き、最後の道程を急ぐ。


「書庫はどこにあるんだい?」

「教理典礼省、秘術審理課の最奥だ。ここからだと……」


 そこを曲がって銀鈴樹の広場を突っ切って、とエリアスが歩きながら説明する。むろんカスヴァにはさっぱりわからない。ただ、近くないとは見当がついた。


 建物の陰から見晴らしの良い広場へ出ると、予想以上に酷い光景が広がっていた。

 静かな瞑想の回廊も、熱い議論の交わされた講堂も、荘厳な典礼を執り行った大小の礼拝堂も、流血と瓦礫に汚されていない場所はひとつもない。誰もが錯乱し、悲痛な怒りと敵意に振り回され、突然失われた手足や仲間を探して泣き叫んでいる。


 エリアスは痛ましい姿を断固として無視し、右往左往する怪我人を避け、時に押し退け振り払って、どんどん進んで行く。カスヴァもそれを追いながら、多くの人々が最寄りの礼拝堂を目指していることに気付いた。祈りの場、主の威光に守られた砦へと。言いようのない怒りが込み上げ、彼は毒づいた。


「祈っても『泡』からは逃げられないだろうに」

「いや、確率から言えば礼拝堂に行くほうが助かる望みがあるよ。長年にわたって秘儀典礼で霊力を安定させてきた場だから、『泡』も出にくい。気休め程度だけどね――《炎よ祓え》」


 エトラムが説明し、言葉尻に古代の言葉を続けて手を振る。輝く炎の蛇が行く手の床めがけて飛び、『泡』を消すかわりに焼け焦げを作った。

 近くにいた祭服の老人が悲鳴を上げ、悪魔だ、悪魔が来た、と叫びながら転がるように逃げていく。カスヴァはひやりとしたが、幸い悲鳴はほとんど注意を引かなかった。誰もが自分の痛みと恐怖に囚われているのだ。


「左へ避けて!」

 鋭くエトラムが叫び、手を振り上げる。エリアスが飛びのくと同時に炎が奔り、宙に生じかけていた球形の揺らめきを破裂させた。

「よし、次は……っと、あっちか」


 進路を確認し、エトラムは素早く霊力を編んで送り出す。カスヴァの目にも、銀の杭が行く先の地表に突き刺さるのがうっすらと見えた。チェルニュクでやったのと同じわざだが、悪魔本人がおこなうと速やかで精確だ。


 しかしさすがに、それだけ続けて術を使えば否応なく注目を集めてしまう。悪魔だ、と叫んで逃げる者が大半だが、その流れに逆らって立ち向かう蛮勇もまた発揮された。あいつらを殺せば神の怒りが鎮まる、とでも考えるのだろう。追い縋り、無謀にも素手で掴みかかってきた神学生を、カスヴァは剣の一振りで退けた。


「この災厄を止めたければ、邪魔をするな!」


 よろけて倒れた学生とその仲間を怒鳴りつけた直後、嫌なものが視界に入った。後方から四人、そして行く手の建物から三人、抜き身の剣を陽光にぎらつかせた教会兵が現れたのだ。くそっ、とカスヴァは呪詛を吐いた。


 明らかに教会兵は興奮と熱狂に憑かれていた。どうにか秩序を取り戻して人々を避難させようという姿勢には見えない。刃を濡らし、胸当てを染める鮮血が、ここに来るまで彼らがなした所業を物語っている。

 先頭にいた兵士が剣を構えて声を張り上げた。


「魔道士の手先、聖なる都に破滅をもたらす悪魔ども! 主の裁きを受けよ!!」


 邪悪を排除する単純明快な使命は、人間を殺戮の装置に変える。エトラムが蔑みの失笑をこぼしたと同時に、前後の教会兵が突撃を仕掛けた。


「後ろ、小さい『泡』が沸くから気を付けて」


 エトラムが肩越しに警告し、前方の地面に向けて指を走らせる。炎が噴き上がって壁をなしたが、教会兵はものともせず突っ込んできた。

 しかし目を庇って炎を突破した結果、足並みは乱れ連携も取れていない。エリアスは最初の一人を喉への一突きで屠り、その背後から闇雲に振り下ろされた剣を受け流して脇腹を裂き、最後の一人は炎から出る間も与えず足を払って倒した後、眼球から脳髄までを貫いた。


 後方のカスヴァは霊力の揺らぎを視界に捉え、兵士をそこへ誘導しながら戦っていた。

 切り結んでいた最中に腹を抉り抜かれた一人目が崩れ落ち、生じた一瞬の隙にルナークが風のように通り過ぎて二人目、三人目の魂を奪う。半狂乱になった四人目が襲いかかったが、カスヴァの剣に阻まれて右へ左へ翻弄されるうち、突然片足が消えてなくなり、体勢を崩したところでとどめを刺されて絶命した。


「片付いたな。行くぞ」


 一息つく間もなくエリアスが言い、走り出す。カスヴァは追撃がないのを確かめつつ、赤毛の青年の戦いぶりに内心舌を巻いた。

(これが女だと?)

 ユウェインだけでなく、ハラヴァも死に際に言っていたのだから本当なのだろうが、あまりに冷徹無慈悲で、そもそも人間なのかどうかさえ疑わしくなる。むろんカスヴァ自身も、殺す気で襲ってきた敵を屠ることに躊躇しないが、それにしても。


 余計な事を考えていたせいで引き離されそうになり、慌てて足を速める。そこらじゅうに霊力の残滓が銀の靄となって漂い、ちらちらと眩しい。


 じきに四人は一棟の建物に入った。礼拝堂よりは幾分実務的な趣ながら、外観にも内装にも華美な装飾が施されているところは変わらない。所々丸く抉れてはいるが、少なくともまだしばらくは、倒壊する危険はなさそうに見えた。


 廊下のそこかしこに人が倒れていた。教会兵もいれば、神銀の剣を握ったままの浄化特使も、事務方らしき丸腰の憐れな犠牲者もいる。そして奥から、いまだ激しい騒音が響いていた。どうやら閉ざされた扉を破ろうとしているらしい。


「面倒だな」エリアスが一旦足を止めて唸った。「ここから一度『通廊』に潜って、立て籠もっている側に出られないのか」

「やめたほうがいいね。奥にそこそこ丈夫な結界がある。『通廊』から割り込めなくはないけど、ハラヴァ様が引っかき回してくれたおかげで、この辺りはかなり不安定だ。建物ごと潰れかねない」

 息切れしながらエトラムが答え、しかめっ面で胸を押さえた。

「はぁ……ふぅ、まったく、肉体があるのは不便なものだね! やれやれ。ここで揉めてる連中は、外にいた教会兵よりも、明確に“魔道士ハラヴァ討伐”を意識しているだろうから、ルナーク殿を前に押し出せば、もしかしたら止められるかもしれない」


「本気で言っているのか?」

 エリアスとカスヴァが異口同音に言った。思わず二人は顔を見合わせ、エトラムが、そんな状況ではないのにくすくす笑い出す。

「息が合うね、お二人さん。いや、もちろん本気じゃないよ。だけどまともにぶつかったら、君達のどちらも無事では済まないだろう。……うん、仕方ない、大悪魔の本領発揮といくかな。エリアス殿、斬りつける相手を間違えないでおくれよ」


 おどけて念を押し、エトラムは背筋を伸ばして前に出る。カスヴァは斜め後ろに立って援護する体勢を取ったが、軽く手で止められてしまった。


「ありがとう。でも、ここでちょっと待っていてくれるかい。霊力に当てられて君達までおかしくなったら困るからね。大丈夫、すぐに片付けるよ」

「おい」


 それこそ本気か、と引き止めようとして、カスヴァは息を飲んだ。エトラムの身体を銀の靄が包み、徐々に輝きを増してゆく。それに伴い、えもいわれぬ力が精神を圧倒した。

 気圧されて怯み、後ずさる。その間にもうエトラムは歩き出していた。


 横でエリアスが、悪魔の誘惑から魂を守る聖句を唱える。わずかに楽になったが、それでも身体の自由が効かなかった。

 ただ見ているしかない。

 まるで巨大な翼のように銀光を広げた悪魔が、廊下を奥へ進んでゆく。その光景に、カスヴァは発作的な衝動を堪え切れず、嗚咽じみた失笑を漏らした。本来ならば天から舞い降りるか、さもなくば奈落の底から這い出るべき存在が、普通に歩いて移動している現実を受け止められなかったのだ。


 異形のものが突き当たりの戸口をくぐり、左に曲がって姿を消す。ようやく身動きできるようになったカスヴァは、よろけそうになって踏ん張った。


「あれが……本来の、大悪魔か」

「ろくでもないな」


 喘いだカスヴァに対し、エリアスの反応は素っ気ない。平気なのか、と様子を見ると、赤毛の青年はややこわばった表情のほかには動揺を見せず、しっかり周囲に警戒を続けている。そしてルナークは相変わらずだ。最年長の自分が一番打たれ弱いとは、とカスヴァは天を仰いだ。


 その時、奥から届く音が途絶えた。

 打撃や破壊の音、怒声や叱声であったものが突如ぱたりと止み、次いで異様な叫び声、感極まったような号泣、立て続けの金属音へと変わる。さすがにルナークとエリアスもぎょっとなり、息を詰めて廊下の先を凝視した。

 ぞっとするような静寂が落ちる。一呼吸、二呼吸。そうして、


「もういいよー。ああいや、良くないけど、誰か手伝ってー」


 間延びした声が呼んだ。カスヴァは脱力しかかったのを堪え、頭を振って歩き出す。正直なところ、以前のユウェインそのままの口調で助けを請われたのでなければ、現実逃避してどこかに隠れて目を瞑っていたい気分だった。どこまで計算してのんきに装っているのやら、さすが悪魔と言うほかない。


 だが束の間の弛緩も、角を曲がった途端に消し飛んだ。

 堪える間もなく呻きを漏らし、口を押さえる。廊下に死体の山が築かれていた。最奥の扉が目指す書庫なのだろうが、その手前に教会兵が折り重なって倒れているのだ。しかもそのすべてが、おぞましいことに歓喜や平穏に満ちた顔で、自らの喉や胸に刃を突き立てている。


 地獄めいた光景を創り出した当の悪魔はと言えば、今は輝く翼も消え、場違いなところへ迷い込んで困惑している田舎司祭の顔をして、扉の前から死体をどかせようと悪戦苦闘していた。


「死体が障害物になるとは盲点だったよ。悪いねカスヴァ、手を貸して……」


 当たり前のようにエトラムはそう言いかけたが、遅れて現れたエリアスを見て表情を消した。カスヴァも振り返り、まずいと感じて緊張する。浄化特使は蒼白な顔で剣を構えていた。


「悪魔め。《聖き道》を歩む者にとって自殺は最大の禁忌だというのに、貴様はそれを、かくも易々と」

「今更だね、エリアス殿。ここで悪魔退治を始める気かい? 生憎、相手をしている暇はないんだ」


 エトラムは冷ややかに突き放し、腕を持ったままだった死体をよいせと壁際へ引きずっていく。一応まともな姿勢に整えてやりはしたものの、雑な扱い方だ。


「骨も残さず焼き尽くすほうがお好みだったかな。まぁそうすると建物全部消し飛ぶし書庫がどうなるかわからないから、仕方ないよね。後々――っと」


 何か言いかけて口を閉ざし、さっと手を一振りする。小さな炎蛇が飛翔し、壁に食らいついて火花を散らした。それでエリアスも我に返ったように剣を下ろし、忌々しげに死体をどかせ始めた。

 どうやら危機は脱したらしい。カスヴァもほっとしつつ手伝い、ルナークは一人一人に臨終の祈りを捧げてやる。扉の前が片付くと、エトラムは血で滑る床石に用心しながら歩み寄り、そっと手を触れた。


「ああ、やっぱり。ルナーク殿、頼むよ。ここは君じゃないと開かない」


 呼ばれて少年が進み出る。彼が細い手で触れた途端、扉に銀光が走った。それまで激しい攻撃にさらされてびくともしなかったのが嘘のように、無数の傷でぼろぼろになった姿があらわになる。そして――蝶番が軋んで、ひとりでにゆるゆると開いた。


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