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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
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3-5 選択の自由


 人数分のパンと酒杯とチーズを盆に載せて運んできたオリヴェルは上機嫌だった。エリアスは歯痛を堪えるがごときしかめっ面で、木の実と干し果物を焼き固めた菓子を運んでくる。悪魔なんぞにこんな贅沢、という唸り声は、厚い背中に弾き返されてむなしく床に落ちた。


 主に感謝を捧げて葡萄酒の杯を乾すと、一同はささやかな夕食を囲んだ。


「今日は忙しくなるだろうと思って、温かい食事は用意しなかったんだ。すまないな」

「こんな素敵なものを出してくれたのに、謝ることなんかないさ」


 オリヴェルとユウェインはまるで旧知の友のごとく打ち解けているが、他の面々はその身分同様にちぐはぐで場に馴染まない顔をしている。カスヴァは仲良し二人を胡散臭げに横目で見やり、平気で歓談できる神経がわからない、とばかり首を振った。それを捉えたオリヴェルが苦笑する。


「妙な取り合わせだっていうのは同感だし、ややこしい気分なのもわかる。でも今この場ではパンを分かち合おう。こうしてここに我々が揃ったのも、主のお導きだ」


 隣席のエリアスは露骨な呆れ顔をしたが、ふと古い記憶を呼び覚まされてつぶやいた。

「すべては無限のかかわりの中にあり、そのひとつひとつを主はご存じだ……」

 一族を失ったために己は学院でオリヴェルと知り合い、グラジェフが監督官となって。司祭ユウェインが外道に襲われ、たまたま悪魔エトラムがそこへ介入し、その結果としてグラジェフが死に至ったがゆえに、今ここに自分がいる。世界が崩壊するのを防ぐという、途方もない目的のために。


(すべて神の計画だというなら確かに遠大で、人間の狭い視野で恨み言を吐くのは浅はかなんだろう。だがこれほど不幸を織り込んだ計画など、くそくらえだ!)


 運命に対する怒りが再燃したところで、それを煽る輩が余計な口を挟んだ。

「グラジェフ殿の言葉かい? さすがに重みが違うね」

「……」

 ぎろり、とエリアスは悪魔憑きを睨みつける。彼を死に追いやったも同然の張本人が、何の罪もなさげな顔をして言及するなど許しがたい。

 だがユウェインは己に向けられた怒りを明らかに理解していながら、宥めるような微笑を浮かべてさらに続けた。


「これは最大級の賛辞として聞いて欲しいんだけどね。ことこうなると、彼の魂を食べ損ねたのは惜しかっ」


 最後まで言わせず、エリアスは立ち上がって悪魔憑きの胸倉を掴んだ。さすがにカスヴァも庇おうとしない。

 怒りのあまり蒼白になったエリアスに、ユウェインは笑みを消し、冷たく強いまなざしを返した。


「一人前の浄化特使ともあろうに、弱みを突かれて激昂するようでは、師匠も浮かばれまいよ」

「貴様……っ」

「どうせ君は、さっきの言葉を思い出していながら、それでもこんな不幸は理不尽だ、神は知っていながら救わないのか、だとか恨みを抱いたんだろう。師が伝えようとしたことを、君は何もわかっていない」

「黙れ! 貴様があの方のことを口にするな!」


 エリアスが手に力を込め、引っ張られたユウェインは顔をしかめて立ち上がった。その身に纏う気配が不意に重みを増す。


「だから惜しかったと言ったんだ。グラジェフ殿の魂を取り込んでいたら、今頃彼の言葉を君に届けることもできたろう。彼が知っていた聖都内部の構造も、枢機卿らにかかわる情報も得られて、今頃こんな所で今後の相談をしている必要もなかった。確かに今こうして我々が揃っていることは、天の意志を感じるほどに不思議なことではあるが、すべてが計画のうちなんてわけでもない。わかったら……いや、わからなくても手を離してくれ。服が傷む」


 直後エリアスは、唸りと共に悪魔憑きを突き放した。よろけたユウェインは椅子を巻き込んで倒れそうになったが、危ういところでカスヴァがそれを支える。

「おいエリアス」

 オリヴェルが気遣う声をかけたが、彼は見向きもせず、荒々しく出ていってしまった。


 気詰まりな沈黙がしばしあって、ユウェインがゆっくり息を吐いた。

「やれやれ、ちょっとやり過ぎたかな。ありがとうカスヴァ」

 襟元を整えてから、よいしょ、と座り直す様子はいつも通り、のんきで穏やかな田舎司祭そのものだ。カスヴァは傷ついた若者が去った戸口を一瞥し、複雑な顔で言った。


「おまえらしくもない。いくらなんでも、もうちょっとましな言い方があるだろう」

「上手になだめて優しく説教したところで、彼にとっては悪魔の詭弁にしか思えないさ。憎まれ役はつらいところだけど、あんな顔をされちゃあ“良き司祭”としては黙っていられなくてね。でもまぁ、もてなしの食卓を台無しにしたのは悪かったよ」


 ユウェインは軽い口調で言って肩を竦め、オリヴェルに目礼した。空っぽの隣席を所在なさげに見ていたオリヴェルは、いや、と小さくつぶやいてから嘆息した。


「そうか、グラジェフ様は楽園に召されたのか。……つらいだろうな」

「面識があるのかい?」

「一度、偶然ちょっとだけお話しする機会があったんだ。あいつがとても信頼しているようだったから、良かったと安心したんだが。残念だ」


 聖印を切り、死者の平安を祈る。ユウェインも同じ祈りを唱えてから、気を取り直して言った。


「さて、先輩を巻き込みたくない優しい後輩君がいない間に、少し事情を話しておこう。選択の余地を与えないのは不公平だからね。君が助けたルナーク様は、人の手でつくられた『聖霊憑き』だ」


 視線が当人に集まる。少年は先ほどの騒ぎがなかったかのように、黙々とパンを口に運んでいた。つくりもの、と言われても納得してしまう――人間ではない、という意味で。オリヴェルの顔に浮かんだそんな疑念を、ユウェインが訂正した。


「ああ違うよ、確かに彼は人間だ。教皇聖下の甥だか息子だか、肉体を持ってこの世に生まれた命だとも。ただそこに、純化した霊力を後から注ぎ込まれているんだ。悪魔は相手が人間でも外道でも霊魂をまるごと食べるけど、生身の人間にそれはできないからね。そうやって『聖御子』に仕立てた目的は、もちろん飾っておくためじゃない。初代の聖御子と入れ替えるためだ」

「……待ってくれ、ええと、つまりそれじゃあルナーク様は」

「生け贄だね。円環のひび割れをふさいで世界を守るための」


 さらっとユウェインが肯定し、オリヴェルが顔を歪めた。二人のやりとりを傍観していたカスヴァは、いたたまれず目を伏せる。これが善良でまっとうな人間の反応だ。ちらりとルナークの様子を見たが、やはり何も感じていないらしく変化がない。

 オリヴェルは愕然としていたが、ややあってこめかみを揉みながら唸った。


「不可能だろう。円環のひび割れを塞ぎ得たのは、主が遣わされた、まさに『聖御子』であらせられたからだ。人の手でつくったものがその代わりをするなんて、傲慢どころか無謀すぎる」


 ふっ、とユウェインが失笑した。初代の聖御子も所詮つくりもの、それも破滅の元凶の一人が責任を取らされただけで聖くもなんともない、というひどい話を知っている身としては、笑うしかないだろう。だが彼はそんな内幕をばらして敬虔な司祭の信仰を壊したりはしなかった。


「そう、反対している側の主張はそこだと思うよ。主のお力によって円環が保たれているのに、聖御子の代替わりなど試して失敗したら世界が破滅する。成功したらしたで、彼らにとっては敵である派閥が教会上層部を牛耳ることになるから、どっちにしても良い事はひとつもない。だからやめさせよう、新しい聖御子様にはご退場願おう、というわけさ。……君は元々ハラヴァ様の側に属しているけれど、今後どうするかの選択は自由だ」


 重大な決断をぽんと委ねられ、オリヴェルは天を仰いだ。主に導きを乞うて祈り、はたと気付いて顔をおろす。


「待ってくれ。なぜハラヴァ様はそんな大それたことを企てられたんだ? 地位や名声のために世界を破滅の危機に晒すような方ではないぞ。教皇聖下だって、ルナーク様のお命をみすみす……」

「わたしの命はそのためにあります」端的に答えたのはルナーク本人だった。「わたしがつとめを果たさねば、近々円環は断裂し、世界は嵐の海に呑まれるでしょう」


「そんな」

 喘ぐように言ったきり、オリヴェルは絶望的な表情で声を失う。悪魔憑きと魔道士の、否定を含まない沈黙が、少年の言葉に真実の重みを与えた。

「……すまない、祈らなければ。こんな……」


 狼狽と動揺を隠せず、語尾が嗚咽の予兆に揺れた。オリヴェルは口元を覆い、逃げるように食堂を出ていく。見送ったルナークは不思議そうに瞬きするだけだ。思わずカスヴァは問いかけた。

「平気なのか」

 一拍置いて、今のは誰に対する何の質問かと訝るようにルナークが首を傾げる。ユウェインが「無駄だよ」と突き放した声で代わりに答えた。


「聖霊憑きは、人間には通常不可能な量の霊力を蓄える。霊力酔いを起こして暴走されちゃたまらないから、安全措置が取られるのは当然のことさ」


 あまりに非人道的な言葉にカスヴァは衝撃を受けたが、それについて何かを言うことはできなかった。宿坊の玄関扉が荒々しく開かれたのだ。

 すわ刺客かと身構えたカスヴァとユウェインの耳に、既に馴染んだ歩調の靴音が迫る。

「立ち直り早すぎるだろう」

 いっそ刺客のほうがましだ、とばかりの声音でユウェインがうめく。案の定エリアスが、火を噴くような怒りの形相で先輩を引きずって戻ってきた。


「勝手に話すな、馬鹿!」

「君に口止めする権限はないだろう? 僕は教会内部の政治的駆け引きに関して彼の意志を尊重しようと」

「おためごかしは要らん。考えたらわかるだろう、ちょっと外面がいいだけの悪魔にころっと騙されてもてなすほど人が良くて暑苦しい奴が、人柱だのなんだの聞けばこう鬱陶しくなるのは目に見えているだろうが!」


 もはや先輩に対する礼儀もかなぐり捨て、遠慮容赦なしである。さすがにオリヴェルが不服そうに抗議した。


「先輩に対してあんまりじゃないか、エリアス。おまえは初めて事情を知った時、動揺しなかったのか? 今も迷いはないと?」

「ない」

 苦々しげに即答してルナークを一瞥し、いくらか落ち着いた口調になって続ける。

「初めて聞いた時はむろん驚いたし呆れもしましたが、そもそも我々は人柱となった聖御子を崇め奉ってきたでしょう。その再現が今この時になされようとしているのに、ありがたい素晴らしいと褒め讃えるならともかく、お気の毒にと嘆いたり罪悪感に萎れたりするのは筋が通らない。第一、世界が滅びるかどうかの瀬戸際にあって、誰の命が惜しむに値するというんですか」


 いっそ清々しいまでに潔い。カスヴァは思わず呼吸も忘れて青年を見つめた。まさか現状をこんな風に捉えられるとは思いもしなかった。

 ユウェインが降参の仕草をして、称賛の笑みを浮かべる。しかし彼がそれを言葉にする前に、エリアスが鋭くささやいた。


「ぐずぐずしている暇はない。門の外から様子を窺う人影があった、どちら側かはわからんが迎えが来たぞ」


 一瞬で空気が引き締まる。ユウェインとカスヴァは席を立ち、自分たちの食器を片付けにかかる。宿坊にいるのが無関係の旅人ではなく、親しい身内だと思われたら厄介だ。ルナークを引き渡す時には隠れていなければ。すぐに後を追えるよう、支度を整えて。


 エリアスは床に下ろしただけだった荷物を再び背負い、忌々しげに唸った。


「貴様のせいで食べ損ねた」

「どこかで埋め合わせをするよ」

「要らん。この仕事が終わって貴様を叩っ斬る時、恨みを上乗せしてやる」


 楽しみが増えた、と殺気立った笑みを見せる浄化特使に、悪魔憑きの司祭は情けない顔で天に助けを求めたのだった。


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