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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
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1-5 駆け引き

 昼食の後、エリアスは館の人々にすっかり包囲されてしまった。オドヴァとツィリだけでなく、二人の興奮に巻き込まれた他の面々まで、悪魔退治の話を聞きたがったのである。


 かつて巡回特使として訪れていたグラジェフは、その手の話をほとんどしなかった。一方で老司祭ユルゲンは、悪魔についての説教を度々おこなった。罪を犯した者が堕ちる地獄のおぞましい責め苦、奈落の闇と悪魔の恐ろしさについて。だがエリアスの語る内容はより身近で理解しやすく、具体的だった。


 子を失った悲しみに付け入られた母。商売に行き詰まったところへ旨い話をもちかけられ乗ってしまった男。古い憎しみを抱き続けた末に狂い、外道に堕ちた老人。

 すべてこの村でも起こり得る話であり、他人事ではない。


 聴衆の興味は尽きなかったが、さすがに嗄れ声のエリアスにいつまでも語らせるのは酷だ。カスヴァは適当なところで切り上げさせると、彼を客室に案内した。


「狭くて恐縮だが、ここを使ってくれ」

「充分、贅沢なほどだ。痛み入る」


 エリアスは淡々と礼を言い、持ってきた旅の荷物を床に下ろす。なぜか後からついてきたユウェインが、へえ、と興味津々に身を乗り出した。


「悪魔祓いの道具が入ってるのか。見せて欲しいな」

 途端に二人から揃って疑惑の目を向けられ、悪魔憑きは首を竦める。

「まあ、明日にでも。今日は疲れただろうし、ゆっくり休むといいよ」


 そこまで言い、彼はすっと気配を変えた。周囲が不意に静寂に塗り込められる。あらゆる音が身動きを封じられたかのように。

 そして、密かなささやきが蛇のように走り抜けた。


「間違っても夜中にこっそり出て行こうなんて、試さないことだね」


 カスヴァは顔色を変え、ユウェインの胸倉を掴む。だが彼は冷ややかにその手を払いのけた。


「性質の悪い冗談とでも思ったかい? まさか。僕は二度も同じ犠牲を出したくないんだ。仮に池や川に近寄らなかったとしても、エリアス、君はこの村の地理に詳しくない。うっかり変なところに迷い込んで外道を招き寄せられては困る。……まぁ正直に言うと、こっそり村を発ってノヴァルクの教会に通報されるのが一番困るんだけどね」

 そこで彼は思わずのように失笑した。

「あの『炎熱の大悪魔』が現れた、力を封じられている今こそ討伐の好機だ、なんて話が聖都に伝わったら大騒ぎだ。その時はカスヴァ、魔道士たる君も僕と一緒に逃げ出すはめになるんだから、もうちょっと警戒したほうがいいんじゃないかい? それともこの特使殿は、僕を告発はしても君のことは見逃してくれると、約束してくれたのかな」


 滔々と述べ立てられて、カスヴァは返答に詰まった。横からエリアスが鋭く「黙れ悪魔」と一蹴する。


「本性が知れるというものだな。そうやって疑心暗鬼に陥らせて不和の芽をせっせと育てる、貴様らのやり口は結局同じだ。カスヴァ殿、いちいち動揺していると良い鴨だぞ」

「ひどい言い種だなぁ。こっちは誠心誠意、友達の身の上が心配で忠告してるっていうのに。君のほうこそカスヴァを動揺させて自分の側につかせようとしているじゃないか」

「当然だ。人を悪魔の誘惑から守り《聖き道》へと立ち返らせることこそ、司祭のつとめ。似非司祭には関係なかろうがな」


 火花を散らす二人に挟まれたカスヴァは、己が争点であると承知しながらもつい、俺を巻き込むな、と言いたくなった。天を仰いでため息をつく。


「そこまでにしてくれ。エリアス殿、まさか夜中にというのはなかろうが、いずれにしても黙って姿を消さないでほしい。あなたが我々にどんな審判を下すにせよ、悪魔を殺すためならこの村がどうなってもいい、とは言わないだろう」


 頼むから慎重を期してくれ、相手は大悪魔なんだぞ――と、言外に訴える。聖都から腕利きの浄化特使が何十人と攻めてくるような事態になったら、エトラムがおとなしく独りで逃げ出すかどうか。ユウェインの『願い』を反古にして暴れ狂う可能性もなくはない。


 当然エリアスは、言われるまでもなく承知していた。肩を竦め、冷ややかに悪魔憑きを一瞥する。

「むろん、口封じされる危険は想定内だ。我が師を陥れた敵のもとへ出向くのに、何の備えもしないと思うか。私が帰らなければより厳格な調査団が派遣される手筈になっている。だから、夜陰に紛れてこそこそ逃げ出すかも、という心配は無用だ」


「ああ、そうか。もっともだな」

 敵、とはっきり宣告されてカスヴァは苦笑いした。

 相手にしてみれば最初からここは敵地なのだ。悪魔の正体こそ想定外の大物だったが、それ以外は様々に予測し対策を立ててあるに違いない。やれやれ、と頭を振って、今度は幼馴染みに向き直る。


「……だそうだ。ユウェイン、おまえはまだ現役浄化特使から教わりたい事があるんだろう。だったら余計な挑発をして敵意を煽るな。悪魔扱いされて拗ねているのなら、オドヴァと同じ反省文を分量十倍増しで書かせるぞ」

「勘弁してよ、やれやれ。仲裁が仕事の領主様にして十歳の坊やのお父さん、面目躍如だね」


 ユウェインはおどけて降参の仕草をしてから、エリアスに形ばかり低頭した。


「この通り、棘のある言葉は謝ろう。信用されないのは承知だけど、僕は今のところ本当に、君を害する意志はない。君にはあれこれ訊きたいことがあるから、また話に付き合ってくれないかな。今夜はちゃんと休めるように、決して君の魂に手出しはしないと誓おう。主と聖御子と司祭ユウェインの魂にかけて」

「悪魔の誓いを信じる浄化特使がいてたまるか」

「それはそうだけど、誠意は見せておかないと。それに君だって実のところ気になるだろう? 誰がどうやってグラジェフ殿の銀環を読み解いたのか、聖都の深奥に何が潜んでいるのか。それに、外道ばかり増えているのはどうしてか。手がかりとなる古い知識を得るために、せいぜい僕を利用するといい。何しろ教会が秘匿する奥義は、浄化特使たる君にとっても手が届かないだろうし、信用ならないという点では聖都のお偉いさんも僕も似たようなものだろう?」


「……まったく、よく喋る」

 渋面で黙って聞いていたエリアスは忌々しげに舌打ちした。直後、辛辣な冷笑を閃かせて続ける。

「同意するのは不本意だが、教会の上層部が信用ならないのは事実だな。貴様のあの驚きようが演技でなく本物なら、それこそ教皇聖下の側近に悪魔がいてもおかしくない」

 そもそも自身こそが『信用ならない』好例ではないか。女が浄化特使になれるのなら、悪魔だって潜りこめるだろう。そんな皮肉を込めた冷笑。


 ユウェインは「おっと」と白々しく耳を塞ぐふりをした。

「今のとんでもない発言は聞かなかったことにする。しがない一司祭として、教皇聖下に対する不遜はさすがに畏れ多い。ただ、まぁ、うん。そもそも『聖き道の教会』が、イファラムという神の子でもなんでもない一個人を担ぎ上げて利用した集団だ、と知っている身としては、あり得るかもとは思うよ。……もっと嫌な可能性もね」


 思案げに推論を述べ、半ば独白のように一言つぶやく。その横顔を眺めて、カスヴァは不思議な気分になった。そこにいるのが初めて見る誰か、名も知らぬ他人のように感じられたのだ。幼馴染みでも司祭でも悪魔でもない、本来出会うはずのない誰か。


 妙な感覚に捕らわれたのは彼だけではなかったらしい。エリアスもまた複雑な表情をして、思わせぶりな発言を切り捨てもせず尋ねる。


「どういう意味だ。悪魔よりも嫌な可能性だと?」

「微妙に傷付くなぁ。悪魔よりひどいものなんて、いくらでもあるじゃないか。ああいや、問題はそこじゃないね。続きは明日にしよう。あんまり館で込み入った話をしていて、誰かの耳に中途半端な情報が入っても良くないし、何より本当に、君はもう休まないと」


 優しくいたわる口調に、エリアスが眉を寄せる。どこかに隠れた傷跡に、ふと羽毛が触れてわずかに怯んだように。ユウェインは念を押すようにひとつうなずいた。


「重ねて約束する。少なくとも今夜は、君の魂に手出しはしない。もし約束を破ったら一発ぶん殴ってくれていいよ」

「ふん。誓いよりは実効を期待できそうな担保を出してきたか。ならば、何を使って(・・・・・)ぶん殴っても一回は一回だな?」

「……真顔でそういう条件を付け足されると怖いなぁ。でも、ここでごねたら約束を守るつもりがないとみなすんだろう? ああわかったよ。君がその手で持てる物なら、何を使ってくれてもいいさ、そんな機会はないんだから」


 ぎすぎすした空気のままながらも、どうにか休戦協定が成立し、傍で見守っていたカスヴァは思わず深く息をついたのだった。


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