6-2 敵影
目当ての物はじきに見つかった。ひっそりと一番奥にしまわれていたが、手紙の束など他にはないからすぐわかる。
折り畳まれた羊皮紙を一通一通開く。日付を遡ると、最初のものは一年近く前だった。カスヴァが不在で、ユルゲンが死んだ頃だ。葬儀や後任の相談をしていたらしい。そこから期間が空き、ユウェインが着任した後からやりとりが再開されている。
どうやら、さすがにモーウェンナも新しい司祭を疑っているとは言い出せなかったようだ。どんな風にごまかしたのかわからないが、向こうからの手紙は、魔道士の見分け方、悪魔の存在を示す手がかりなどが記されている。
(あいつを告発したわけじゃないんだな。司祭として許容される範囲がどうとか、そんなことは一切書かれていない)
だが返事の内容を読むと、彼女がユウェインへの疑いを確信に深めていったのも理解できた。悪魔の手管、あるいは魔道士に特有の言動として記された事柄は、実によくユウェインに当てはまる。いつだったか、彼女に指摘されてカスヴァもその通りだと得心しそうになったように。
(可哀想に)
不安だったろう。怖かったろう。なのに頼りの夫は、敵と思しき司祭にすっかり心を許して弁護する始末。霧の中で手を離され、取り残されて、どんなにか……。
罪悪感に苛まれながら、最後の手紙を開く。行を辿るうち、目の涙は乾き、代わって愕然と見開かれた。
『悪魔に憑かれた者、あるいは魔道士から悪魔を引き剥がすには、その者がまったき人であった頃の名残を用います。抜けた乳歯のような身体の一部、あるいはそれ同様に肌身離さず持っていた物……』
――忘れ物でも取りに来たのか。
――そんなところ。
池のほとりで交わした何気ないやりとりが、稲妻のように脳裏に閃く。そして、モーウェンナが池に向かった理由も。
ユウェインが子供時代を過ごした家には、そうした名残が放置されていただろう。彼が旅立った時、家族は健在だったから、身辺整理をしていく理由がない。
(まさか。まさか、あれは……処分するためだったのか)
思い出の品を取り戻すのではなく、万が一、誰かに知られて己に対抗する武器とされないように。家から持ち出して、池に沈めたのか。モーウェンナはそれを探しに。
手が震えた。事故だ、と言い切った声の不自然なまでの力強さ。どんな悪魔の誘惑にも屈しなかった、という弔辞に隠された意味。何もかもが疑わしく、底知れない悪意が感じられてぞっとする。
同時に、教会でのモーウェンナがあまりに穏やかだった理由を悟った。彼女はあの時、覚悟を決めたのだ。もはや自分独りで悪魔と対決するよりほかないのだと。あの笑みは受容でも妥協でもなく、死を承知で戦に臨む戦士のそれだった……
「ここにおったのか」
不意に声をかけられ、カスヴァはびくっと竦んだ。身構えながら振り返ると、戸口にハヴェルが立っていた。息子の大袈裟な反応に眉を上げたが、どうしたとも問わず、用件を切り出す。
「厄介なことになった。どうやら、ノヴァルク側の街道近くで外道が出たらしい。幸い逃げおおせて、猟師小屋に助けを求めてきた」
「街道で?」
一瞬で意識を切り替え、カスヴァは手紙を置いて向き直った。次いで眉をひそめる。既にハヴェルは外出の身支度を終えていた。
「私が参ります、父上」
「いや、おまえは村を守っておれ。わしがノヴァルクまで行って、ザヤツから兵をぶんどってくる。あの業つくばりのろくでなしめ、結局今年もさんざん毟り取って行きよった。その分ぐらいは働かせんと、大損だ」
ハヴェルは忌々しげに罵って舌打ちする。カスヴァは奇妙なおかしみを感じ、苦心して表情を取り繕った。さもしい守銭奴と感じたり、徴税吏を脅すやり口の小狡さに司祭の入れ知恵を疑ったりもしたが、こうして見ると父の『悪魔』ぶりは分かりやすすぎる。本物の悪魔はきっともっと密やかに忍び寄るのだ――ユウェインのように。
そこで彼はふと思いつき、再度申し出た。
「やはり私が参りましょう。道中で父上に何かあっては一大事です」
堂々とノヴァルクに行く口実がある。司教に相談し、浄化特使の派遣を要請しておくべきだろう。だがハヴェルは許さなかった。渋面になり、引っ込んでいろとばかりの手振りをする。カスヴァが食い下がろうと一歩踏み出すと、彼は厳しく命じた。
「おまえは残れ。案ずるな、剣は清めてあるし猟師も連れて行く。万一と言うならおまえこそだろう。オドヴァからふた親とも取り上げる気か」
痛いところを突かれてカスヴァが怯む。その隙にハヴェルは身を翻し、ずかずかと大股に立ち去った。
取り残されたカスヴァは肩を落とし、もう一度、最後の手紙を読み返す。
『悪魔を祓うには主のご加護を祈るばかりでなく、彼らのやり口に精通した聖職者の力が必要です。決して、独力で立ち向かおうなどとなさらぬように』
役に立たなかった警告がむなしい。
(聖職者の力、か。もしあいつが本当に俺にも禁忌の知識とわざを授けようとしていたのなら、真意は何だろう)
その力を与えたなら、身近に『司祭もどき』が生まれるわけだ。もし彼が本当に魔道に堕ちたのなら、正体を暴かれ、契約した悪魔を祓われる危険を冒すことになる。
(悪魔がかかわっているのなら、それは避けるはずじゃないか? あいつは単に道を踏み外しかけていて、俺に仲間か理解者となるよう誘いをかけているだけ、だとか)
単に、だけ、と言うにはあまりに大問題ではあるのだが。つらつら考えていると、穏やかなユウェインの口調、昔と同じ頼りなく寂しげな微笑がよみがえり、懐疑の刃を鈍らせる。
いつもいつも懸命に追いかけてきた、ひ弱なちび助。置いていかないで、仲間に入れて、と全身で訴えてきた寂しん坊のユウェイン。
知らず、深いため息をついた。
何を信じたら良いのかわからない。何が本当で、どうするのが正しいのか。すべてが濃い霧に閉ざされた闇夜、櫂を失った舟でぽつねんと漂っているような心細さ。
「主よ導きたまえ、我が足元を照らし《聖き道》へと立ち返らせたまえ」
組んだ手を額に当てて祈り、聖句を唱える。ぱしんと両手で頬を叩き、喝を入れた。
しっかりしなければ。父が不在の間、いつも以上に警戒して村を守らねばならない。外道が万一こちらに接近してきたら……
そこまで考え、眉間にしわを寄せる。ユウェインに会いに行かざるを得まい。
(どんな顔をすればいいんだ。俺が疑いを抱いたと悟られるんじゃないか。表情豊かでもないくせにわかりやすすぎる、だとか揶揄されるぐらいだからな)
今までとは違う目で司祭を見ていると、勘付かれるかもしれない。そうなったら相手も出方を変えるかも。
(ええい、ままよ! あれこれ悩んでも仕方ない、あいつの力がなければ剣を振り回しても外道は倒せないんだ、頼るしかない)
舌打ちし、彼はやけくそのように荒っぽい足取りで歩きだした。
外に出たところで、教会からこちらにやって来る司祭を見付けた。肩から斜めにかけた鞄が膨れている。彼はカスヴァを認めると、鞄に詰め込んだ瓶やら何やらを賑やかに騒がせながら駆け寄った。
「ちょうど良かった、知らせに行くところだったんだ」
「もしかして、父上に同行するのか」
「うん、途中までだけどね。ノヴァルクが見えてきたら引き返すよ。帰りは向こうの司祭が誰かついて来るから安全だろうし。僕は道々、チェルニュクに害が及ばないように清めてくる」
憂慮に眉を曇らせ、ユウェインは唇を噛んだ。カスヴァは疑いが簡単に流れ去るのを感じながら、自分の剣を外して差し出した。
「出発する前に念のため、清めてくれ」
「ああうん、そうだね」
ユウェインは厩のほうを一瞥してから、せかせかと鞄を地面に置いた。ハヴェルがさっさと行ってしまうのを心配したのだろう。それでもしゃんと姿勢を正して深呼吸し、左手で銀環を握り右手を剣の柄に置いて、まずは聖句を唱える。
「主よ、御国の戦士を護りたまえ」
続けて例の不可思議な言語で、詩のような一連を詠ずる。カスヴァは微かにうなじが熱を持つのを感じた。やはりこれも、禁忌の力であるらしい。そうとわかってしまうと、もはや教会全体に対して畏怖や崇敬を抱けそうになかった。
(まあ、今さらだな)
剣を佩き直しながら辛辣に思う。手ひどい裏切りに遭っておいて、何をかいわんやだ。
「でもカスヴァ、万一外道が出ても倒そうなんて考えないでおくれよ。村の皆を教会に避難させて立て籠もれば、僕が帰るまで持ち堪えられるはずだから」
鞄の紐に頭をくぐらせながらユウェインが言ったもので、カスヴァは渋面になった。自分が立ち向かわなくて誰がどうにかできるのだ。
「外道が教会の扉を叩き割ろうとしているところへ、おまえがのこのこ帰ってきたら、やられるだけだぞ」
「ひどいな。まあ、君にしろ僕にしろ一人では無理だ、っていう点はその通りだよ。知らせによれば、外道は熊らしい」
ユウェインは苦々しく最後の一言を告げた。カスヴァはぎょっとなる。よりによって熊だとは。
「春にラデクが言ってた母仔連れの熊か」
「多分ね。独り立ちしたばかりの仔が憑かれたんだと思う。動物でも警戒心の強い成獣は憑かれにくくて、無防備な若い個体が犠牲になりやすいんだ。でも、仔とは言っても既に充分大きい熊だからね……しくじったよ」
悔しそうな唸り。カスヴァは「おまえのせいじゃない」と反射的に応じた。
「おまえが追い払っておいてくれたおかげで、街道沿いに出たんだ。そうじゃなかったらいきなり村が襲われていたかもしれない。司祭に熊退治までしろとは言えないさ。おまえのほうこそ、気を付けろよ。父上と一緒にノヴァルクまで行って、皆と一緒に戻ったほうが良くないか?」
「様子を見てどうするか決めるよ。おっと、もう行かないと。いいかい、ちらっとでも気配がしたらすぐに避難するんだよ!」
馬が引き出され、慌ててユウェインは走りだす。カスヴァは「おまえもな!」と返して手を振った。
騎乗したハヴェルに、徒歩の司祭が従う。猟師は途中で落ち合うのだろう。ご無事を、と家令や召使いらが頭を下げて送り出す。門を抜け、坂を下って、じきに人馬の影は小さくなっていった。




