2-3 昔語り【+簡易地図】
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二人は土の軟らかそうな場所を木の枝で掘り、浅いながらも墓穴を用意すると、遺体を埋めた。作業が終わった頃には、雲の切れ間から覗く太陽が既に昼時を過ぎたと教えてくれていた。
グラジェフは街道に戻る道すがら、野苺でもないかと探したが、あいにく主のお恵みは得られなかった。
「腹が減ったな。急いで村に戻っても良いのだが……一休みしても構わないかね」
連れの顔色を見ながら、そう提案する。エリアスは疲れを見せていないものの、異を唱えはしなかった。
(やはり無理を重ねているのだろう)
鍛錬していようとも女で、これほど痩せており、しかも聖都を出てから一度もまともな寝床で眠っていないのである。そろそろ体力も限界だろう。
グラジェフはことさらゆっくり、どっこらしょ、などと年寄りじみた動作で道端の柔らかそうな草に座った。腰に着けた小さな革袋を開き、携帯食をひとつ口に放り込む。潰した木の実と干し葡萄と麦粉を練り合わせ、硬貨大に丸めて堅く焼きしめたものだ。しばらく口の中で転がしていると唾液でふやけ、水がなくてもそれなりに食べられる。噛み締めると滋味がじんわりと染み出て美味い。
横でエリアスも同じものを食べていたが、こちらは心ここにあらずで味もわかっていないようだった。グラジェフはふと思いついて尋ねた。
「そなたの故郷はどこだったかな」
聞いた気がするが忘れてしまった、というような口調を装ったが、相手が途端に緊張したのが感じられ、グラジェフは失笑した。
「いや、詮索するつもりではない。ふと気になったのだ」
実際にも彼は、試そうとして質問したのではなかった。木の実の味が子供時代の記憶に結びつき、郷愁をおぼえたがゆえの自然な話題だったのだ。
エリアスは気配を緩め、素っ気なく「セイレアです」と国名だけを答えた。そして、実に当然の流れとして問い返す。
「グラジェフ様は?」
相手に話させておけば、己が問いかけられる立場にはならない。普段から口数が少ないのだから、自分が語るよりもあなたの話を聞きたい、という態度を取れば質問を回避できる。まずまず良い対応だ。
グラジェフは空を仰ぎ、漠然と西のほうへ目をやりつつ答えた。
「私はユトラルだ。小さな村でな、ここと少し似た景色を見て育った」
言葉を切り、一呼吸置いて付け足す。
「十歳の頃に、外道にやられてしまったが」
「……お悔やみを」
「そう暗い顔をするな。皆、散り散りになってしまって生死もわからぬが、私はこうして生き延び、主の御為に働いているのだから」
気にするな、と言う代わりに手を伸ばし、細い背を叩く。びくっと相手が身をこわばらせたので、グラジェフは失敗に気付いたが、急いで引っ込めるのも不自然だ。何もなかったように追加で一回ぽんと叩き、どうせならついでだ、と赤毛の頭をぐしゃりとかきまわしてやった。
「そなたのような駆け出しに同情されるほど落ちぶれてはおらんぞ。生意気な小僧め」
冗談めかして言ってやると、エリアスは慌てて頭を庇いつつ、ほっとしたような苦笑を見せた。失礼しました、と詫びながら、指で髪を整える。その表情と仕草に一瞬だけ、年齢相応の瑞々しさが覗いた。
予想外のものを目にしたグラジェフは胸を突かれ、動揺を悟られないよう顔を背けて瞬きした。懐古の情に捕らわれたとでも思ってくれたらいい。
(なんという落差だ)
一瞬のきらめきは、彼――彼女がひた隠しにしている、貴族令嬢としての本質なのか。それとも、もはや失われ消え去った無垢な時代の残照だったのか。
あまりの痛ましさに彼は瞑目し、眉間を押さえた。
村が滅んだ己の過去など、何ほどのことがあろう。家族も友人知人も行方不明のままだが、目の前で殺されたわけではない。心身に傷は負ったが教会に保護され、立ち直って真っ当な人生を歩めるだけのものを与えられた。むしろ今の世では恵まれているほうだ。
(主よ、なぜ)
幾度となく胸に抱いた、決して答えの得られぬ問いがまた喉元までせり上がる。
(なぜお救いくださらないのですか)
これほどの重荷を、このように細く折れそうな背に負わせるのは、なぜ。
司祭として、そうした問いに対し与えるべき言葉は知っている。主の御心は人智の及ぶところではない、と。だが、そんな言葉は……。
その時、不意にエリアスが立ち上がった。グラジェフは意識を引き戻され、物思いから醒める。いつもの無表情に戻った若者が、平坦な口調で言った。
「そろそろ帰りましょう。雲行きが怪しいので」
「……うむ。そうだな」
グラジェフも空を見渡して同意し、よいせと腰を上げた。唐突かつ無遠慮に沈思黙考を邪魔したのも、彼なりの思いやりだろう。結局のところやはり、若造に気配りされるほど落ちぶれてしまったのかもしれない。グラジェフは己に苦笑しながら、うんとひとつ伸びをした。
来た道を引き返して村に戻ると、教会で伝令特使が待っていたが、グラジェフは驚かなかった。
「イスクリからの要請かね」
「はい。こちらに」
平静に尋ねた彼に、伝令特使もまた当然のように応じて書状を差し出す。エリアスがいささか面食らっている様子なのを視界の端に捉え、グラジェフは失笑しそうになるのを堪えた。
先ほど浄化した死者には魔術の痕跡があった。単なる魔の気配というのでなく、確かに呪文による命令が施されていたのだ――身を隠せ、と。
魔の気配とされる銀のきらめきは、霊力の徴でもある。それを用いた術が施されていれば、光の中に力を方向付ける定義の徴候が見て取れるのだ。
もっとも、銀環を持つ司祭であれば皆、わかるわけではない。グラジェフがわずかな時間に見出したものを、エリアスは捉え損ねたのだろう。もし気付いていれば、悪魔殺しに執念を燃やす彼女――もとい彼――が顔色を変えないはずがない。
(魔術を用いるのは悪魔か、悪魔と契約した魔道士。いずれかが、あの死に損ないに関与している)
いにしえの時代に栄えた魔術は人の傲慢を招き、破滅をもたらした。ゆえに今は教会が禁忌として厳重に封じている。知識も触媒も持たない一般人がどんなに誰かを呪おうと、自家製のまじないをかけようと、そこに霊力が宿り効果をあらわすことはないのだ。
グラジェフの推測通り、伝令特使はイスクリの東にある大きな町から主街道を南下し、リブニ村へ来たという。
「グラジェフ様が外道を退治してくださった後でしたので、楽をさせていただきました。そのうえ立て続けの要請で恐縮なのですが」
伝令は首を竦めたが、拒否されるとは考えていない様子だった。グラジェフはざっと書面に目を通し「あいわかった」と応じた。
「明日にもイスクリへ向けて発とう。ご苦労だった」
「お願いいたします」
伝令は頭を下げ、エリアスにも軽く会釈すると、せわしなく馬に乗って北へ走り去った。伝令特使はのんびり一泊してから帰る、などという贅沢が許されない。
「あれもきつい役目だな」
小さくなる騎影を見送り、グラジェフは同情的につぶやく。待ちかねたエリアスがそわそわと寄ってきた。
「今度は何の知らせですか」
「……読んでみろ」
グラジェフはやや躊躇したが、書状を渡してやった。そなたは見落としていただろうが、あの死体には……と教えてやることは簡単だ。だが彼がもし独りで行動していたなら、見落としたこと自体に気付かないまま任に当たることになる。それでも対応できるかどうかを試さなければならない。
案の定、行を辿ったエリアスは驚きと興奮をその面に浮かべた。
――イスクリの司祭ジアラスより、住民に悪魔憑きが出た疑い有りとの報。
食い入るように書状を見つめるエリアスの目が、爛々と輝く。グラジェフは憐れみと警戒を抱きながらも、逸る猟犬をやっと放してやれる喜びを禁じ得なかった。
「お待ちかねの悪魔だ」
ささやいた声に思いのほか熱がこもる。どうやら己の血もまだ冷えきってはいなかったらしい。久々の狩りに滾るものを自覚し、彼は密かに微笑んだ。
【周辺地図簡易版】